中国四川省大地震救援ニュース 53

四川省の被災地でYさんと一緒にボランティアをした大学生の感想をお届
けします。
夜寝る前にベッドの下から声が聞こえてきた。
友達「中国で地震があったみたいやなー。」
我「そやなー。」
僕たちは一緒に住んでいる。
友達「中国行こか?」
僕も友達も国際協力、ボランティアに興味があり、たまたま二人とも中国
語を勉強していた。
僕は大学4年となって、未だに将来の事を決めかねている。国際協力にも
興味はあったが、踏み込んで活動に参加した事はなかった。何もしないま
ま悩むよりも、この一年は動きながら悩もうと思っていたので、中国行きを
決めるのに時間はかからなかった。
「何もできないかも知れないけど、何かはできるんじゃないか?」
思い立ったら吉日で、夜のうちに航空券を調べ、翌日には手配した。残り
3席だと言われ、僕たちの席だと思った。つても何もない僕たちはとりあえ
ず軍手を30組買い、白のTシャツに義工(ボランティア)などと書こうと言っ
て盛り上がっていた。
後に友達がヒューマンシールド神戸のYSさんのことを思い出し、連絡を
取っていたのだが、成都のゲストハウスでYSさんとCODEのYMさんに偶
然出会えたのは運命的とも思えた。その日から27日間、活動に参加させ
て頂いた。この出会いがなかったら、現地での配給の列を2人分長くして
いたかも知れない。
被害のあまり見られない成都から震源に近づいて行くと、無残な姿となっ
たビルが見えてきた。YMさんは現地の人の声に耳を傾ける。政府の耳に
届かない小さな声を集め続ける。帰ってから、寝ずにパソコンに向かいレ
ポートを打つYMさんを見た。被災者の目線に立つ事の大切さ、活動への
情熱を教わった。真似をしてみると、寝不足になった。しかし、使命感があ
れば、多少寝なくても大丈夫だと知った。
忘れられない光景がある。
瓦礫の山から娘さんを必死で探しているお父さん。悲しそうに見つめるお
じいちゃん。ここは僕たちが泊まっていたゲストハウスのスタッフがマン
ションの下敷きになった現場。一週間もずっと探し続けている。
捜索の途中で、地震発生からちょうど一週間の時刻となった。オレンジの
服を着た消防隊が列を組み、追悼のクラクションが鳴り響く中の黙祷。こ
んなに悲しいクラクションを聞いた事はない。横では、スタッフの叔母さん
が泣いていた。それを見て涙が止まらなかった。なんて理不尽な現実だろ
う。そして自分に何ができるだろうか。
活動の後半は政府の手の届かない農村部の一つの村に入り、各家の瓦
礫の撤去などのお手伝いをした。ずっと何かしたいと思っていたので、一
緒に汗して働く事は分かりやすくて気持ちが良かった。まだ作業を始めた
ばかりなのに「もう休みなさい」、作業を終えると「ご飯食べていき」と声を
掛けてくれる。そして感謝の言葉。自分がここに来た意味があったと思え
た。
他にも出会いがあった。泊まっていたゲストハウスで「何かしたい」と集
まった仲間たち。最初は車一台だったが、最後は車二台が17人で満席と
なった。
また現地に行って活動したい。何か関わっていきたい。将来の事に悩み
ながらも、そう思っている。
P5290232-s.JPG