No.74「丹波農業フィールドワーク第2回:学生の感想⑤」

CODE未来基金のプロジェクトとして、丹波市での農業フィールドワーク第2回を先日実施しました。
参加した学生のみなさんの感想を、順にご紹介します。
今回は、山村太一さん(神戸学院大学3回生)の感想です。

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CODE未来基金の皆様、ムラとマチの奥丹波の皆様今回もこのような貴重体験を作っていただきありがとうございました。この経験をしっかり活かせるように私も日々精進していきたいと思います。

5月29日から30日の2日間私は、二回目の農業フィールドワークに参加させてもらった。まず、今回の農業フィールドワークは、前回よりも単純に楽しみながらも学ぶことできた。その理由は、前回に比べて参加人数も増え、奥丹波の人とも新たな出会いや交流がたくさんあったからだ。また、田植えの際には、ただ黙々と農業を体験したのではなく、音楽と融合しながら田植えをしたり美味しいお米を食べたりと、今回の農業フィールドワークも得たもの感じたことは、盛り沢山となった。

特に私が印象に残っているのが、やはり田植えだ。田植え自体が、人生で初めての体験だったので、期待でいっぱいであった。実際に田んぼを見て、正直泥に素足で入ることに抵抗はあった。しかし、いざ入ってみると、まず「気持ちいい」と思った。とても不思議な感性だ。今でも、なぜ「気持ちいい」と感じたのかは分からないが、はっきりとそう感じたのを鮮明に覚えている。泥の中に足を入れることは、普通は「気持の悪い」ことだと思う。しかし、実際に足を入れると「気持ちが良い」と感じたのだ。一日目の夜でも、土に触れることがいかに大切なのか話に出たが、その大切さを田植えで身をもって体験することができた。普段アスファルトの上を歩いている私たちだが、時には素足や素手で土を触ることが必要なのかもしれないと感じた。この土に触れることを、アーシングと言うそうだ。私は、この「アーシング(Earthig)」について興味を持ったので、もっと詳しく調べてみようと思う。

田植えを通して痛感したことは、食べ物に対する感謝の心だ。「いね」という言葉の語源は、「いのち」から来ているらしい。それくらいに、お米とは昔からの欠かせない営みの一つであると感じた。田植えは、一反を目標に全て手植えで行った。大人数で実施したから楽しく苦もなく終えたが、これをもし一人二人でするとなると大仕事だ。よく「お米一粒一粒に神様がいる」と小さい頃か聞いたことがあったが、この活動を通して初めてその言葉の本当の意味に気がつくことができたと思う。苗一本一本に植えた人の想いがこもっている。この想いこそが神様であり、だからこそ食べ物を粗末にしてはいけないと考えた。田植えが、どれほど大変で労力を有するのか知らなければ気がつくことのできないことだと思う。つまり、今の若い世代が食べ物に興味がないのは、このように自分で食べ物を育てるという機会が昔に比べて、激減しているからではないかと仮定した。若い世代にも、食べ物にもっと興味を持ってもらうために、このような機会をもっと設けるか、小学生ぐらいから食育の授業をもっと充実させる必要がある。食べ物に興味を持っている人が増えれば、農薬の問題や農業の担い手の問題、食料自給率の問題も少しずつ解決に向かっていくのではないかと考えた。ただこの方法は、時間と労力を有し、すぐに結果は出てこない。それゆえにこそ、私たちが私たちと同じ世代である人達に食べ物に興味を持つことの大切さを訴えていかなければならない。それは、このような貴重な体験をさせて貰った私たちの義務であると感じる。これからの農業フィールドワークの方向性は未定であるが私は、ムラと奥丹波の野菜を広めていく活動をしたいと思う。
(山村太一)

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