ハイチ地震レポート No.37

去る20日、岡田外務大臣は31日にニューヨークで開催予定の支援国ドナー会議を前に、滞在時間6時間という超強行スケジュールの中ハイチを視察されたようです。
ハイチ地震から2ヶ月余りが過ぎ、被災地ではまだガレキが山積みになっているという報道もあり、そして未だに家をなくした人たちにビニールシートさえ配られないという状況も見られるようです。あまりにも甚大な災害となったために、いろいろな事柄がこれまでには未経験のこととして被災者を襲うことで不安を増長させることが心配です。
他方、地震後首都ポートプランスを離れて地方に移住された方々が約50万人にものぼるようですが、その移住先ですばらしい支えあいが生まれているというニュースが入りましたので紹介します。これはCODEの翻訳ボランティアの方がChurch World Serviceが出しているレポート(3月10日)から見つけたものです。
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地震の発生と、この数週間で約8,000人とも言われる人々がPetite Riviereにやってくるというような突然の何千人もの人の到着という事態に対して、このラジオ局は草の根の活動としての給食プログラムを支援するため、市民の支持を盛り上げる役割を果たしている。CONHANEや他のラジオ局であるRTAと一緒に動いて、ファミリーラジオは食料の寄付や食料のための募金のアピールをだした。そのひとつはこんな感じだ。
「もしあなたのところが6人家族なら、ゴブレット(脚・台つきコップ)一杯の米を寄付して下さい。」
この取り組みはうまくいっており、地元の住民は米やその他の食料を持ち込み、ポルトープランスから移住してきた住民のために一日500食の食事を提供するための募金をしている。全員ではないが、移住者の多くはこの地方につながりがある。局の職員やボランティアたちはファミリーラジオの事務所やスタジオの近隣にある給食センターで食事を配っている。
「彼らがこの食事を必要としていることを私達はわかっている。そして職員やボランティアや支援者全員にたくさんの分かち合いの気持ちがある。」とLouinerは付け加えた。
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というもので、実はこのLouinerは被災者でもあるのです。
また、首都ポートプランスではハイチ政府によるガレキ撤去プログラムの活動風景があちらこちらで見受けられるようで、これは”cash for work”という手法でガレキを片づけるという仕事をして、賃金を得るというシステムです。ハイチでは商店なども機能しており、お金さえあれば最低限の生活必需品は購入できるようで、こういうシステムで被災者が復旧事業で働きながら稼ぐということが一定補償されれば、自らの力で暮らしの再建が可能になると思うのです。
このような二つの被災地の光景を見ると、海外からの支援のあり方というものを如何に被災者目線で、被災者主体で提案することができるのかが重要になってくるでしょう。

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