クキさんのレポートがスタートしてから、いきなり直接レポートが止まっています。実は、停電なのです。よくマータラ県では停電になります。どうしても、というときは町まで行って、インターネットカフェから発信して貰っていますが、特に急ぐわけではありませんのでしばらくお待ち下さい。
その替わりということではないのですが、ちょっとこんなエピソードを紹介します。日々の暮らしの中での防災について2回ほど書きましたが、タララの子どもたちが阪神・淡路大震災のあった今年の「1.17」に絵を描いて送ってくれました。その絵画展は、すでにCODEの会議室で開いたのですが、その絵を描くにあたっての子どもたちのやりとりです。少し長いのでご迷惑かも知れませんが、付き合ってやろうと思われる方は読み続けて下されば幸いです。あらためてこれを読んでいて「ハッ!」としました。こうして、自分たちの村を襲った津波のこと、そしてクキさんが体験した阪神・淡路大震災。彼等彼女らなりに、災害のこと、命のことなどを考えることによって「痛みの共有」がなされるんだなぁ!ということでしょう。
そしてクキさんもこうした子どもたちのやりとりから学んでいます。
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1.17の活動としてタララ村から「プラトナ(希望)の獅子」の絵画をKOBEへ送ることになった。子どもボランティアリーダらの手作りである。以前、資金集めの活動の一旦としてタララ寺のホールで「絵画コンペティション」を実施したことがある。チーフモンクも優劣つけがたいと悩みに悩んで、順位を決めたほど、参加者の絵画の出来は素晴らしいものだった。そのコンペティションで見事、優勝したチャトランギーの弟が、お手本を描くのを手伝ってくれた。チャトランギーが1.17の絵画を送る活動を弟に説明したら、その翌日の朝、弟がチャトランギーに、そっとお手本を手渡してくれたと聞かされた。
早速、そのお手本を元に、タララ村のプラトナ・チャイルド・クラブ、子どもボランティアリーダらが、希望の灯りを持つ獅子の絵を厚紙に描いた。最年少のラニールは、「僕は絵画が得意じゃないから、描けないよ~」と兄貴分であるアミラに言うと、アミラが、「プルワン、プルワン、トライしろ!」と横で囁きながらも、そっとラニールが描くのを手伝っていた。獅子が持つ「灯り」が小さすぎると言いながら、大きな灯りに描き直し、獅子の足が短すぎると言いながら、足長に描き直しながら、アミラは兄貴分としての役目を十分に発揮していた。その姿に涙がでそうになった。
ふざけながら描いていたロッシャンに対して、彼の一番の親友であるナデューンが、「お前は、この絵の意味が分かっているのか!分かっていたら、そんなふざけて描けないはずだ!」と怒鳴った。ロッシャンは、小さな声で「分かっている」と言うと、「それなら言ってみろ!」と問うナデュン。しどろもどろになりながら、何やら意味不明なことを言うと、「パーガル(馬鹿)!」と言われた。そして、ナデュンの長い、長い説明が始まった。説明が終わらないうちに、優等生のニローシュが「十分、分かった!」と言うと、大爆笑となった。
各人が、それぞれの想いと共に描かれた「プラトナの獅子」の絵にフレームをつけることになった。「フレームを何処で購入できるのか?」と聞くと、「購入する必要なんてない、自分たちで創れる」と申し出た子どもたち。そして、ロッシャンが「椰子スティック(椰子の葉の中心にある)」を、アミラが竹を山から切り取っ
て持ってきた。竹は私が想像していたものよりもかなり太かった。アミラの見事な手さばきでその竹は我が家でフレーム用の細い竹と変化させた。アミラは、バイクの修理から何から何まで、上手くこなせる、「何でも屋さん」である。弟分であるラニールも、二代目「何でも屋」になるため、アミラ兄貴とペアーで行動している。
現在、フレームの部分は完成、あとは、厚紙ボードをラミネートされた絵画に貼り付ける作業のみが残っている状態である。各絵画に、作成者名(写真付)と年齢、そしてKOBEへのメッセージを添えて、CODEに送る予定である。CODEから、この「プラトナの獅子」が、新たな「希望」と「勇気」を添えて何処へ巣立っていくのか分からないが、この絵画を通して、タララ村とKOBEが同じ痛みを持つものとして、「希望」という糸で織り込まれた「KIZUNA」で結ばれて、優しさの共有が深められたらと願う。
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スリランカより愛をこめて-クキさんの防災共育レポート7
レポート6に書きましたが、暮らしそのものが「防災共育」になっていなければ効果も半減するだろうと思われます。「子どもに、小さい頃から自分の衣服がどこにあるかを覚えさせ、いつも自分で着脱ができるように教えることが、まず防災共育の第一歩です。」と、日本の防災の専門家が言われたことを思い出します。
さてタララ村の子どもたちは、ガソリンスタンドで車の「洗車」をしたり、地域のお寺で開かれるバザーに野菜などを出品したりしながら、活動費を捻出して頑張っています。そういう子どもの活動を見て、ツクツク(スリランカのオート三輪タクシーの愛称)のドライバー達が協力してくれたりして、タララ村で生まれた「プラトナ・チャイルド・クラブ」が地域に支えられ活動をしています。「暮らしの中で」というのは、おそらくこうした生活の延長で”防災共育”を口にすることに意味があるのだろうと、クキさんは気づいてきたようです。
ご存知のように、スリランカを津波が襲ったのが2004年12月26日です。2年目の昨年12月26日、クキさんが「26日には何かやろうか?何もしないの!」と子どもたちに投げかけたところ、タララに住む一人の子どもが「ボランティアしようよ!海岸掃除をしょう!」と提案したのです。2年目の節目ではあるが、何か華々しいことをやるわけでもなく、そっと「ボランティアしようよ!」というのは最高の提案だと学ばせて貰いました。日本では、阪神・淡路大震災後、震災のあった「1月17日」がボランティアの日になり、その1週間は「ボランティア週間」と意義づけられたほどです。子どもといえど
も、ほんとに感性がすばらしいと思いました。
余談ですが、タララ村でもクキさんは人気者ですから、タララ村の中で借りている家は毎日地域の人のおしゃべりの場でもあり、コミュニティ・カフェKUKI」になっているようです。また、日頃のなんでもないおしゃべりも紹介できたらと思います。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート6
今年度のスリランカでの防災共育プログラムに、日本で有名な「稲村の火」などの話を読み聞かせながら、スリランカオリジナルの絵本づくりに挑戦します。そんな立派な作品にならないかも知れませんが楽しみにしておいて下さい。おそらく今年度最後のギリギリになるでしょう。
さて、この種の絵本ですが、ご存知の方もおられると思いますが、すでにたくさん出版されています。その中でも奈良に本部を置く「スリランカの教育を支援する会」がすばらしい活動をされていますので、是非HPをご覧になって下さい(http://www16.plala.or.jp/j-slfpb/)。
CODEも、津波直後に現地入りしたときはこういった絵本づくりを目指していたのですが、足踏み状態です。でも、きっとタララ村からオリジナルの絵本が生まれることを願っています。防災共育の中でも、こういう普及ツールはやはり現地の文化や生活に馴染んだところでのストーリーができなければ効果は半減します。例えばインドネシアの場合は、”ワヤンクリッ”という影絵が暮らしに浸透
しているので、影絵を使って津波から命を守るための防災共育などをストーリーを演じれば間違いなく子どもたちにも浸透するでしょう。さてスリランカでの大衆文化は何でしょうね?ちなみに、今ではどうなのかわかりませんが、いっとき日本の「おしん」が大人気だったそうです。おしん版津波絵本ができれば、受けること間違いなしですが、ちょっと難しいかな?と思います。
ところで、スリランカの南部を中心に布教されている仏教は小乗仏教ですが、お寺のある地域では、住民が大変信仰心が厚いと言いましょうか、寺との関係がなくては暮らしがあり得ないというほどのものです。クキさんからのレポートによると、年に1回どこかの寺(例えばタララ村の場合は、村にある寺)に近隣のチーフモンク(僧侶のリーダー)を招待し、住民が僧侶達に食事のサービスをし
ます。僧侶達が食べ終わって、はじめて住民が食事につくのですが、(クキさんが尊敬している)タララ村のチーフモンクは、一人ずつみなさんのお皿に「たくさん食べて下さいね!」と笑顔でささやきながら配膳されるそうです。クキさんはこのお寺で食事をご馳走になるひとときも「防災共育」だといいます。何故なら、「このひとときは、人の心を穏やかなやさしい気持ちにさせてくれたからです。その優しい気持ちは、あらゆる人災に対して大きな”備え”となると思うのです」と。
あれ?これがそのまま絵本のストーリーになればいいのになぁ、チーフモンクを題材にはできないか??。余談ですが、それにしてもこの「備え」については、アフガニスタンの平和学ででも教えて頂いた話しと同じです。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート5
能登への寄せ書きの中のチャトランギー |
すでに今年度1年間の防災共育のプログラムを概要のみ紹介しましたが、そこに「おばあちゃんの知恵集め」というのがあったと思います。そもそもこの発想は、足湯ボランティア活動からのヒントであることは伝えましたが、クキさんがタララ村の子どもたちに阪神・淡路大震災~中越地震~能登地震へと足湯が生かされていることを伝えたときに、子どもたちが、「スリランカでもできるよ!老人ホームに行っておばあちゃん達に減災の知恵などを聞く活動をしようよ!」ということになったそうです。以下にこの「おばあちゃんの知恵集め」に関してのクキさんのコメントを紹介します。
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スリランカの老人ホームにいる高齢者の方々はチャトランギーによると、割りと裕福な方が多いらしいのですが、寂しい方がほとんどだと聞きました。これは日本でも同じですね。「一番の貧困は、誰からも必要とされていないということ」だとは、マザーテレサの言葉ですが、子どもたちが寄り添いながら、おじいちゃん、おばあちゃんから知恵を聞くことにより、彼等が、自分たちも必要とされているっていう想いを感じていただけたら、又、その事により元気になってもらえたら、寂しさが少しでも和らいでくれたらと願っています。この活動により、おじいちゃん、おばあちゃんの内なる力を引っ張り出すことができますように、そしてそれらの力(知恵)が、私たちの内なる力(知恵)となり、この先の人生を光らせて
くれるのです。そして、子どもたちが、次世代の子どもたちへ伝えていく、(繋がる)ことにより、更にKIZUNAが広がり、知恵が広がるのです。
つまり「共育」なんですね。
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(*文中のチャトランギーというのは、プラトナ・チャイルドクラブのリーダーで、この会を行政に認可して貰うために何度も役所に足を運んでやっと認証させた”がんばり屋”です)
以前レポートで少しだけ紹介した計画書をHPにアップしました。こちらからダウンロードできます。
http://www.code-jp.org/report/CODEs%20project%204weeks%20program.pdf
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート4
タララ村での防災共育プログラムに「防災マップづくり」があります。日本では最近多彩になり、従来のようなペーパーの上に描くだけではなく、マップも布で作ったり、パッチワーク風にしたり、またその大きさも舞台の段通ほどの巨大なものまで出来ています。しかし、タララ村では子どもたちの発想で、発泡スチロールの上に模造紙を貼って、そこに基本的な地図を書き、その上に立体的に工作した建物や木々を刺してつくるという方法で、これをクキさんは「立体型(発泡スチロール手法)」と表現しています。面白いのは、「地面手法」といって道路の土の上に地図を描き、土の上に工作物を差し込んでいくといくとうやり方です。屋外での活動の場合に子どもたちが考えたのですが、残念なのは保存が出来ないということです。唯一写真を撮っておいて保存するしかありません。ただ、まちづくりワークショップで時々使う手法ですが、箱庭風にしてその中で地図をつくるといことは可能かと思いますので、今度チャレンジして見ます。
それにしても子どもたちもいろいろなアイデアを出してくれます。子どもたちの提案を、リーダーも含めクキさん達が協議し決定して行きます。実は先に紹介した「知恵があれば人生は光る」と命名したのは、現地の中学生です。余談ですが「知恵」って、仏教では「智慧」と書き、「悟り」を意味するそうです。子どもたちの感性って、ほんとに凄い!
加入者名:CODE
*通信欄に「タララ基金」と書いて下さい。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート3
タララ村の子どもたちやリーダー達の紹介なども、HPにて追々紹介させて頂きます。今年の1月17日、阪神・淡路大震災から12年を迎えた後、「タララ村の子どもたちのメッセージ展」を開催しました。それはタララの子どもたちが阪神・淡路大震災の被災者のために描いてくれた絵画で、一人ひとりの紹介もしています。当センターの近くに来られましたら是非この作品も見て下さい。
さて津波以降、スリランカプロジェクトにご支援下さっていることにあらためて感謝を申し上げますが、津波発生から2年半が経過しCODEの財源も厳しくなっています。すでに紹介させて頂きました助成金も受けましたが、誠に恐縮ではございますがあらためてみなさまにご寄付のお願いをさせて頂きます。災害支援に対する寄付は、どうしても直後の緊急時にしか集まりません。しかし災害後の「復興支援」も大切なことです。阪神・淡路大震災から12年を経験したKOBEの被災地のみなさまは痛切に感じてきたことです。そこでCODEが行っているスリランカ・防災共育プロジェクトに関しての基金として「タララ基金」を募りたいと思いますので何卒ご協力のほどお願い致します。期限は2008年3月31日とします。タララの子どもたちは、時にはガソリンスタンドで窓拭きをしたり、また住民がバザーをして協力してくれたり、またタララ以外の支援者が寄付をしてくれたりと自助努力もしています。しかし、活動を切りつめて切りつめて行っています。是非、ご協力をお願いします。
加入者名:CODE
*通信欄に「タララ基金」と書いて下さい。
スリランカから愛を込めて-クキさんの防災共育レポート2
読者のみなさまは、防災「共育」という漢字を使ったことに「?」と思われるでしょう。クキさんは、NGOの経験が豊富でもなく、防災教育の専門家でもありません。阪神・淡路大震災の被災者として、津波被害を受けたタララ村の子どもたちと体当たりで、まさに「痛みの共有」を体感しながら、「減災」のために取り組もうということから、このCODEのプロジェクトに関わって来ました。クキさんが赴任してから間もなく「教育っておかしいよね!防災教育って、別に一方的に教えるものでもないし、むしろ子どもたちと共に学ぶというか、もっというと子どもたちに教えられているんですよネ!」という実感から、防災共育としています。
(余談ですが、教育するという英語のeducateは、「引き出す」という意味もあるそうです。奥が深いなぁ?)
さて、今年度の年間プログラム計画が出されており、写真と共に届いていますが、詳細については追々HPにアップしていきますのでご覧下さい。プログラムを要約しますと、3つの手法による防災マップづくり(中身をお楽しみに!)、防災ソングやお絵かき、避難看板づくりなど、そして”元気の渦”プログラムがあります。一つひと
つの説明は次号からしていきます。しかし、圧巻は”おばあちゃんの知恵袋集め”という活動です。何故圧巻かというと、おそらく上がってくる成果を予測すると、まさしく”足湯ボランティアのスリランカバージョン”なのです。寄り添うことと聴くことから知恵を集めようと言う手法です。阪神・淡路大震災で初お目見えし、新潟県中越地震で育ち、そして今回の能登半島地震にもつながるという足湯が、形を変えてスリランカでも活躍するということでワクワクします。このレポートも楽しみにしておいて下さい。
スリランカから愛を込めて-クキさんの防災共育レポート リニューアル創刊号
CODEはみなさまのご支援を受けて、2004年のスマトラ沖津波災害直後から、スリランカ東部に入り防災教育の可能性を探り、その後南部ゴール県やマータラ県でも同防災教育はじめ、漁業支援・保育所幼稚園建設支援を重ねて参りました。あらためてお礼を申し上げます。
CODEは原則的には緊急支援を行うNGOではなく、阪神・淡路大震災などの経験を生かして、その後の「復興支援」に重点をおいて災害後の援助活動を行うNGOです。「復興支援」の中でも、次世代に語り継ぐという活動が大切であることは、阪神・淡路大震災からこの12年間にわたっても強く言い続けてきました。そういう思いから、語り継ぐ場としての保育園や幼稚園、あるいは漁村というコミュニティ、あるいは地域の重要なシンボルである寺院などのフィールドでの人材を確保しながら、この2年半にわたって活動をして参りました。
中でもその防災教育のファシリテーターとして、スタッフの濱田久紀(以下「クキさん」といいます)を現地に派遣し後方支援をしてきました。クキさんは、1年間のUNV(国連ボランティア計画)との契約が終了し、その後1月からも引き続き南部マータラ県コッタゴダ地区タララ村で防災共育を続けています。実はこのタララ村は、クキさんがはじめてスリランカに入り、初期の防災共育を開始した村で、それだけに思い入れの強い村でもありますが、1年にわたってタララ村の子どもたちはじめお母さんやお父さん、石工、漁師、ツクツクのドライー、寺の僧侶などさまざまな市民・住民と歩んで来ました。今はタララ村に住居も構え、”永住?も辞さず”という覚悟で日々活動をしています。これまでスリランカレポートが滞っていましたことをお詫びすると共に、これからはリニューアルした気持ちでのレポートをお届けしますので楽しみにして下さい。
なおCODEは、とりあえず今年度のクキさんの活動を全面的に支援することを決定したことと、このタララ村での防災共育の一部は「公益信託 今井記念海外協力基金」の助成を受けていることをつけ加えておきます。そしてこのプロジェクトは「プラトナ・チャイルドクラブ」という子どもたち自信の手でつくったクラブとのコラボレーション・プロジェクトです。ちなみにこのクラブの歌があり、そのタイトルは「知恵があれば人生は光」です。
スリランカ第 7 次調査報告No.6
■広がる紛争
無邪気に笑う人見知りがちな子どもたちに出会い、仲間との助け合いを尊ぶ漁師たちに出会い、誇りをもって自分の仕事について話す女性たちに出会った。痛ましい津波の記憶はまだ鮮明かもしれないが、出会った人たちは少なくとも、前を向いていた。
津波から力強く立ち上がっていく人たちがいる一方で、悲しいニュースは途絶えない。道中、私たちはコロンボに一泊したが、そのホテルの近くで数日前にテロがあったと聞いた。車が爆発し、2歳の幼児とその母親が犠牲になったそうだ。また、私たちがスリランカを後にした直後にも、再びコロンボでの爆発が報じられていれた。北部・東部で激化している政府と反政府武装組織との紛争が広がっているのだろうか。地理的な広がりだけでなく、民間の人が犠牲になるという広がり。津波に奪われた命があり、間一髪救われた命があった。その生き残った人たちが、人間によって殺されているのかもしれなかった。
ある反戦団体が、キャンペーン用に作った栞(しおり)を私たちにくれた。表側にはやわらかいタッチの鳩の絵と英文。「平和とは、『望み』でもなく『願い』でもない。『権利』なのだ」。裏にはシンハラ語で、「少数の好戦的な人々の欲のために、多くの人々の権利を侵害することを許してはならない。いかなる戦争行為にも反対しよう、団結しよう」とある。
現地で会ったイタリア出身の国連職員は言った。「これを日常と思うことにしたの。先月の私の誕生日にもテロで誰かが亡くなった。だから私は誕生日も素直に喜べないと思っていたのだけれど、この状況に慣れなくてはいけないと友人に言われた。毎日のことだから。それで、誕生日を祝ったわ。」慣れなくてはいけないのだろうか。栞の「平和は与えられて当然の権利」という文言とは反対に、「戦争は慣れることができるほど日常のできごと」と言い聞かせる人。さなかに生きる人は、どちらの目線で世界を視るのだろう。