スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート17


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(上)切り絵に夢中(下)完成した地図
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「防災マップ作り」プログラム3
発砲スチロールに貼られた地図の上に、爪楊枝が付けられた様々な切り絵を、チャトランギーやリーダらの手助けのもと、園児らの手によって地図に落とし込められていった。実は地図の中には我が家も明記されていた。ある園児が、大きめの家と小さめの家を見比べ、そして私の顔を見終わると、地図にある我が家に、その子は小さめの家の切り絵をさした。そして私に「クキは体が小さいから小さいお家」と言って笑った。そして我が家の隣の家には大きめの家をさした。そしてその子は又私に、「ここの人は体がクキより大きいから大きなお家」と言って笑った。それを聞いて、皆が大笑いとなる。この子は年齢にして3~4才位である。私の隣の家には体が大きい人が住んでいることを彼が覚えていることに感心してしまった。恐らく、毎朝我が家の前の道を通り、その子は色々なものを観察しているのであろう。何処にどんな人が住んでいるのか。何があるのかなど。大人よりも鋭い視線で観察しているのかもしれないと思う。
安全な場所には緑丸の切り絵、危険な場所には赤丸の切り絵が地図にさされていった。安全な場所として1.お寺(左写真参照)、理由はTSUNAMIが来ないから、2.お家と答えた園児もいる。危険な場所として、1.お寺の道標のある十字路、理由として交通量が多いから、2.沼地、落ちる動けなくなるから、3.ジャングル(森)、危険な動物がいるから、4.お家と答えた園児もいた。安全な場所としてお家を選んだ園児に理由を聞いてみると、お家には家族がいるからと答え、危険な場所として選んだ園児は、お家は大きな波が来る位置にあるからと答えた。この子の親はこの子が危険な場所として家を選んだことを知ってどう思うのだろうか。この子の家は未だに海岸から道路を隔てた場所に建っていると聞かされた。若干3、4歳の子どもの方がことの重大さを把握しているのではないのかと驚かされた園児の答えである。
例え小さな子どもであっても基本的に自分の命は自分で守るのが原則であることを伝えた後に、一人でお寺まで行けるかどうかを聞いてみた。あるものは行けると答えた。理由として自転車があるからと答え、行けないと答えた園児は、お寺までの道のりで誘拐されるかもしれない、怖い、転んでしまって怪我をしてしまうかもしれないからと答えた。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート16


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(上)手伝うロッシャン(下)作業する子どもたち
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「防災マップ作り」プログラム2
お寺は災害時には避難所となること、お寺までの道のりを、いざという時には一人でも来れるように道を覚えることが大切であること等の説明がされ、いよいよ切り絵と地図に色をぬる作業となった。色紙、厚めの紙、カラーペン、クレヨン等、作業に必要な文具類が配られる。直にカラーペンのふたをとって、描く子どももいれば、じーっと紙を見つめて、リーダらの顔を見ている子どもなど、見ているだけで笑みがこぼれてしまう。リーダらを観察していると、こちら側が何も言わなくても園児の側に寄り添いながら、切り絵の手伝いをし始めていた。園児が持っているペンにそっと手をのせて、一緒に絵を描いているリーダ、「こうやって塗るんだよ」と言いながらお手本を見せるリーダ、「紙粘土で立体的に建物を作る方が園児に分かりやすいよ」と私に耳打ちしながら、様々な建物を紙粘土で創作したニローシュなど、それぞれ各人が自分たちで考えて行動を起こしていたその姿に、思わず涙がでてしまった。
想像していたよりも幼稚園児対象のプログラムは時間がかかることが分かった。やはり多くの助けが必要であるのと、園児らの好きな図柄を描くにしても、切り絵として少し困難な絵が多く、どこの部分を切ってよいのか迷ってしまい、結局、描き直すという作業が増えてしまったということにもある。又、参加人数であるが、予定では50名~60名の園児対象としていたが、とてもこの数を私たち数名のリーダらだけでは手伝いきれないということも分かった。今回は11名~15名の生徒数である、人数が多くなった場合の対処方法を考えなければいけないことが今後の課題となった。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート15


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(上)一人ひとり名前を聞くマーシャ(下)リーダーたちのかいた地図
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お寺の幼稚園で6月8日に行われた「防災マップ作り」プログラムの様子を数回に分けてご紹介します。この幼稚園の園長はタララ寺のチーフモンクで、男の子8名(2~4才6名、5~6才1名)、女の子7名(2~4才3名、5~6才4名)です。
「防災マップ作り」プログラム1 
このプログラムを実施するにあたり、事前にリーダらの手によって地図を模造紙に描いていた。この地図を描くのに、長い間話し合いの時間がもたれた。何処から何処まで地図の中におさめるのかが問題となった。2歳~5歳の園児たちである。その園児らにも分かる地図を作成しなければいけない。広範囲に描いてしまうと、恐らく園児らは理解しないであろうということになった。それぞれのリーダらが各人、意見を述べ、最終、お寺の道標がある十字路からお寺までの道までを描く事になった。距離にして400m程である。お寺の道標は、誰もが知っているし、園児らもこの道を通って幼稚園へと通うからである。お寺は災害時には避難所となる場所である。その場所を比較的大きく描き、お寺までの道も太く分かりやすく描いた。とてもシンプルな地図だが、後から幼稚園の先生からも絶賛されるほど、園児らは見事にこの地図を理解してくれた。
 朝9時から始まったプログラムには11名の園児らが出迎えてくれた。チャトランギーによる挨拶から始まり、早速、防災マップの説明に入る。リーダらが模造紙に落とし込めた地図を園児らに見せる。目をクルクルさせながら見入っている園児もいれば、よそ見をしている子もいたが、殆どの園児らは地図を見ながらチャトランギーの説明に耳を傾けていた。この間、リーダの中で唯一の女の子であるマーシャは、一人ひとりの園児に名前を聞いて、出席簿に明記していた。後から聞いたところによると、名前を聞いてもお母さんの名前を言う子どもや、分からないと言う子どもなど、その度に先生に聞いては明記していったらしい。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート14

レポート2でご紹介した防災共育プログラムがいよいよスタートしました。今回のプロジェクトは、幼稚園、孤児院、老人ホームの各施設をそれぞれ3ヶ所で実施し、1ヶ所毎に1ヶ月のプログラムが組まれています。6月8日から始まった最初のサイトはタララ村のお寺の幼稚園(15名ほどの小さな幼稚園)で、この選定は子どもリーダーらの強い希望によるものだということです。彼らが幼い頃通った幼稚園で、彼らが学んだことを後輩たちに伝授し、そしてこの後輩たちが次の後輩たちに伝授していく。タララ村が防災共育の拠点となり、ここから世界に広がっていくことを願い、誇りに思っています。
プログラムの具体的な内容は、順次ご報告していきます。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート13

相変わらず停電と断水との戦い?です。次のようなレポートが来ました。そのまま紹介します。
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 電気がだいぶマシになったと思えば、今日から断水です。パイプが破損したらしく復旧にいつまでかかるか未定。本日は緊急用のタンクの水を使いましたが明日から井戸水をどこかの家からくみに行かなければいけません。タンクのないロッシャンや他のボランティアのお母さん方が我が家のタンクの水をもらいにやってきました。相互扶助が当たり前となっているタララ村では、水のある者は助けるが当然なのです。
(中略)
 この相互扶助に関してですが、タララ村の子どもたちの間で「タンビリ」という言葉がよく使われます。彼等独自の言葉のようで、チャトランギーに聞いても彼女も知らないと言っていました。リーダらに聞いてみると、「貸し借り」という意味らしいのです。自分たちの衣類を友達に貸すが借りもする。そうすることにより、一人ひとりが多くの衣類を持たなくても色々な服が着れるということになります。グルグルと衣類がタララ村で回されれ、また本人に戻るのです。これが、数日で戻るのか1ヶ月先になるのかは貸した本人も分からないという、ちょっと私には信じられない話しですが、リーダらによれば、ある日、服が家に戻っているということです。微笑ましい話しですよねぇ。
 相互扶助とは、生活の知恵から生まれてくるものであるのかもしれません。「互いに助け合うこと」が災害時に一番大切であることはKOBEの震災で学びました。あの時、誰もが最後の一人まで助かってほしいと願い、またお互い助け合いました。タララ村では私たちが学んだ「相互扶助」の大切さが生活の一部となっています。「防災共育」が生活の一部となることが私たちプラトナの望みです。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート12

2004年のインド洋津波地震災害以後、特にインドネシアのアチェ、スリランカ南部などには”津波のごとく”海外からの援助が押し寄せて来ました。すでに、このことによる課題はマスコミなどでも取り上げられてきましたが、被災者間でトラブルが多発し、援助がプラスになるのではなく、マイナスになっているケースが少なくありません。クキさんが入っている南部地域でも、インターナショナルNGOが数多く入っており、中には地域の子どもと一緒に活動するのに、現金を配るというケースまで出てきています。私たちが被災地で防災共育のワークショップをするときに、スナック菓子とかプレゼントとして鉛筆を1本配るというようなことはしますが、活動に参加してくれたからといってお金を配ることはありません。
また、すでにNGOの援助が入っているところに、後から非常に有名なインターナショナルNGOが入ってきて、多額の援助を申し出て、結果的に先に入っているNGOを困らせるというトラブルもあるようです。被災当事者がしっかりしていれば、影響を受けることはないかも知れませんが、いわゆる”援助合戦”に巻き込まれると、将来的には負の財産を負うことになりかねません。
すでにマスコミなどで「援助者の論理による援助!」と指摘されたことがありますが、まさにそういう光景が被災地のあちらこちらで見受けます。大変残念なことです。「悔しかったら、CODEも援助合戦に参加すれば!」と言われるかも知れませんが、ほんとにCODEは貧乏NGOで良かった!と思います。タララの子どもたちが創った歌のタイトルを思い出します。
-知恵があれば、人生は光る!-って。ほんとに中学生がつけたタイトルなの!?

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート11

プラトナ・チャイルド・クラブのN君が、家庭の事情で活動に参加できなくなったようです。もう一人R君という内気な男の子がいますが、彼はこの止めることになったN君の支えによって、何事にも自身を持てるようになってきたところなので、N君も心配ですが、R君のことも心配になります。しかし、R君はなんと止めていくN君に対して「心配するな、僕がNの分まで頑張るから見守っていてくれ」といい、クキさんに「僕は防災共育って本当な何だろうって今まで考えて来たし、今でも確かなこれだ!というものはいえないけれども、ひとつだけ分かったことことがある。以前、お父さんから、強い家を作るには基礎になる支柱の部分が大切だと聞いたことがある。柱同士が支えあう、支えあう行為が大切なんだよね。支えあう行為が”備え”になるんだよね。僕は笑われるのが怖いと思っていた。その思いを支えてくれたのがN。この支えで、僕は怖いというものから逃れられた。怖さも僕にとっては災害なんだ。災害から逃れるように支えてくれた。だから”備え”なんだ。これを教えてくれたのがNだった。」と言ったそうです。
この話を聞いて、昨年「障害者防災提言集」を出したゆめ・風基金さんの編集員会ででた話を思い出しました。代表のMさんが「そらそうと、何で僕らは今まで防災のこと考えてこなかったんやろ?と仲間と話していたら、僕らにとっては毎日が災害や!からといわれ、なるほど!」と思ったと言ったのです。場合によっては子どもにとっても毎日が災害かも知れません。例えば、アルコール依存症の親父がいて、毎晩酒を飲むと大きな声で叫き、また物などを投げたりという家庭にいたりすると、確かに子どもにとっては居場所がなく、災害(というか災難か?)かも知れません。そう考えると、毎日の対策の中でも心強いのは、間違いなく友達の支えですね!以前、「暮らしの中の防災」のことを書きましたが、確かに「支えあい」という日頃の備えは、基本中の基本やなぁ?
 余談ですが、今CODEがインドネシア・ジャワで現地のキーパーソンと協働で挑戦しようとする地域経済再建プロジェクトの根幹はやはり、「ゴトンロヨン」という支えあいのしくみです。

スリランカより愛をこめて-クキさんの防災共育レポート・番外編

クキさんより、UNCRD(国連地域センター)防災計画兵庫事務所がタララ村で行うWSの準備の様子が送られてきました。CODEのプロジェクトではありませんが、プラトナチャイルドクラブの子どもたちの奮闘ぶりが描かれていますので、「クキさんの防災共育レポート・番外編」としてお届けします。少し長いですが読んでいただけたら幸いです。
なお、このUNCRDのWSは元CODEスタッフだった斉藤容子さんが担当していますので、その縁でタララ村で実施することになったものです。
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UNCRDのWSを目の前に控え、停電との戦いの中、慌しい日々を送っています。今回のワークショップのプログラムの中に、プラトナチャイルドクラブの子どもメンバーらのドラマがあります。このドラマの内容は、プラトナボランティアリーダの一人であるナデュンが脚本を手がけました。ドラマの内容を紹介したいと思います。
 ある外国人の女性が避難所のTSUNAMI被災者と話し合いの場を持ち、TSUNAMIに関する質問をする。質問内容は、TSUNAMIが襲ってきた時に、どのような行動を起こしたのかなど、様々な質問を投げかける。被災者の中の一人が、彼女に向かって叫ぶ、「もう2年以上もTSUNAMI、TSUNAMIとウンザリしている!もっと他の現在直面している問題などを話しあうべきだ!」と。外国人の女性も彼の鎮痛な叫びを理解し気分を変えるために、皆で歌を歌う。歌を歌っている間にある被災者が呼吸困難に陥いる。すぐに、FISTAIDの処置を知っているある被災者を呼びに行く。彼が皆に処置の仕方を教えながら患者を処置する。
 更に話し合いが続く、災害(緊急事態)に備えて日ごろから何を準備しておいたらよいのか、避難の仕方など。そんな話し合いの、ある被災者が、「津波が起きたあの時期に人々の態度が極端に二つに分かれていた。ある者は、この災害を利用して、日ごろから恨みのある者を見殺しにしていたり、(溺れて助けを求めていても、見て見ぬふりをしていた)ある者は、息を引き取りそうになっている人の身に付けている貴金属を盗んだりしていた。しかしある者は、懸命に人命救助に努めていたり、隣人のために可能な限りの手助けをしていたりした。」と言い、話し合いは更に続く。
 コミュニティの結束力があらゆる災害(暮らしの中の問題などに対しても)に対しての防災となる。コミュニティの結束力を強めるには、日ごろからの暮らしのあり方を再検討し、直すべきところは再建しなおし、継続するところはよりよいものへ変えていく努力が大切であることを、話し合いの結論としてドラマは終盤を迎える。
 そして、観客に向かって歌に代えて約束をする。手と手を取りあおう♪ 助け合おう♪ 一緒に歩んでいこう♪ 希望を持とうTSUNAMIなんて怖くない♪ TSUNAMIは僕たちの心をつぶすことなんてできないんだ♪ TSUNAMIは僕たちのコミュニティをつぶすことなんてできないんだ♪さぁ、みんな起きて♪立ち上がろう♪ 私たちの知恵(経験)を広げようよ♪そして私たちの人生を光らそう!!
 今回のWSでは、このドラマを通して、タララ住民が自分たちが今後この村をあらゆる災害から守るには何が大切なのかを確認してもらい、更に何が自分たちに出来るのか(行動計画)を作成してもらうことになっている。その行動計画を元に、台本を作り、新たなドラマを作成する予定である。
 このドラマに関してのエピソードを紹介したいと思う。子どもボランティアリーダの一人である、ロッシャンという男の子がいる。彼は最後の最後までかなくなにドラマ出演を拒んでいた。他のリーダらも、「プルワン、プルワン、トライしてみろ!」と何度も応援していたが、それでも「やったことないから出来ない」と断り続けていたのです。このドラマの他にもプラトナ・チャリルドクラブの活動を紹介するプレゼンテーションがある。そのプレゼンテーションを各ボランティアリーダらが担当活動を決めて説明するというのだが、これもロッシャンは出来ないと言って断り続けていた。「僕は頭悪いから、こんなのできない」と言うのである。どうしようかと頭を悩ませていたところ、大親友のナデューンがある日、ロッシャンを自宅に呼びロッシャンに言ったらしいのです。ロッシャンはいつも自分が頭が悪いということを利用して何もトライしようとしない。ロッシャンは頭が悪いのじゃなくて、ただ怖いだけだ。間違って笑われたらどうしようって、、心配するな、僕が側についているから、誰も笑ったりしない。心配するな。笑ったやつがいるなら、そいつが馬鹿なんだよ。ロッシャンではない」と。
 その後、勇気を奮ってロッシャンはドラマの練習に参加した。すると、どうであろう、水をえた魚のように、生き生きと、本当に楽しげに演技していた彼の姿は、皆を本当に驚かせた。ロッシャン自身、驚いていた。その後、彼は自ら進んでドラマの練習に励んでいる。又、ドラマの練習が少なすぎると言いながら、自ら皆を呼び練習に精を出している。
 「彼らが欲するものが本当に彼らの必要とするものではない」
彼らの能力を引っ張りだす「エンパワーメント」とは、個人個人が他者を思いやる気持ちから生まれてくるものなのかもしれない。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート10

なかなか停電が安定して修復されないようです。さて先回、タララの子どもたちが阪神・淡路大震災の被災者のために、今年の「1・17」に絵を送ってくれた話とそれにまつわる顛末を紹介させて頂きました。実は、スリランカが津波被害を受けた2年目の昨年12月26日には、神戸からKOBEの復興のシンボルグッズ「まけないぞう」を送りました。クキさんが子どもたちにこの「まけないぞう」の説明をしたときに、一人の子どもが「僕は、プラトナ(希望)と勇気を他の被災者に伝えたい。だって僕達は同じ痛みがあるから」と言ったそうです。今日本では能登半島地震のことが話題になっていますが、やはり今回被害を受けた人たちも、「はじめて人の有り難みがわかる。次ぎどこかで災害があれば私たちが先頭になってやらねば・・・」ということをおっしゃっています。
クキさんは、12年前のあの時、東灘区のマンションに住んでいて被害を受けました。あの時の光景はクキさんの脳裏から離れることはないかも知れません。昨年のあるとき、こうしてスリランカの被災者や間接的に能登の被災者と「痛みの共有」「共鳴」「共感」を共にすることで、だから忘れてはいけない!とより記憶を確かなものにし、共に泣き、喜ぶことで強くなって行く自分を発見すると言ってました。防災共育って、こうして「忘れてはならない記憶を伝えること」でもあるのでしょう。では、同じ痛みを経験していなければどうなるのでしょうか?そこで作家の柳田邦男さんは、「いのちの危機管理」を訴えられており、「2.5人称」で考え、行動することの大切さを訴えています。詳細は、「月刊現代2007・2月号」に書かれています。もし必要な方は連絡して頂ければコピーしてお送りさせて頂きます。

スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート9

 昨日、停電がよくあることを伝えましたが、ここで停電にまつわる話を紹介します。これこそ「暮らしの中の防災」という話です。
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 一昨日からこちらは大きな祭りで、案の序、昨晩から停電でした。去年もこの祭りのときは10日間ぐらい長い、長い停電があった記憶があります。もう本当に、、何もできないですね、停電になると、、情けない。子どもたちは、電気がなかろうが、水がなかろうが、無い無いづくしでも、平気で、いつもと変わらない生活をしています。彼等の生きる力といのか、柔軟性には尊敬してします。
いくら私が「電気がないと仕事できないのよ!洗濯機もつかえないし、真っ暗闇だし!」と嘆いても、「コンピューターが使えないんなら手で書けば?メール送れないなら、郵便局から送ったら?暗かったら、ロウソクたてたら?洗濯機ダメなら手で洗ったら?全て問題ないじゃない!」って、、言うのです。
 うんんん、、それは私も分かっているって!って、言うと、「分かってないから、嘆くんじゃないの?」と言います。ほんと、時々、どっちが大人なのか、わかんなくなる時があります。それに、究極な一言は、「防災、防災ってクキ、口では言っている割に、心の準備がなさすぎだよ!心の準備は「備え」なんだよ!全く、、クキ、分かってないんだから、、」と言われてしまいました。そのとおり!心の準備があるのと無いのとでは、ショック度が違うのです。頭で分かっているんだけれども、、、なかなか、、長い長い停電になると、どうしても怒りにちかいものがこみ上げてしまうのです。とほほほ、、情けない。
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