相変わらず停電と断水との戦い?です。次のようなレポートが来ました。そのまま紹介します。
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電気がだいぶマシになったと思えば、今日から断水です。パイプが破損したらしく復旧にいつまでかかるか未定。本日は緊急用のタンクの水を使いましたが明日から井戸水をどこかの家からくみに行かなければいけません。タンクのないロッシャンや他のボランティアのお母さん方が我が家のタンクの水をもらいにやってきました。相互扶助が当たり前となっているタララ村では、水のある者は助けるが当然なのです。
(中略)
この相互扶助に関してですが、タララ村の子どもたちの間で「タンビリ」という言葉がよく使われます。彼等独自の言葉のようで、チャトランギーに聞いても彼女も知らないと言っていました。リーダらに聞いてみると、「貸し借り」という意味らしいのです。自分たちの衣類を友達に貸すが借りもする。そうすることにより、一人ひとりが多くの衣類を持たなくても色々な服が着れるということになります。グルグルと衣類がタララ村で回されれ、また本人に戻るのです。これが、数日で戻るのか1ヶ月先になるのかは貸した本人も分からないという、ちょっと私には信じられない話しですが、リーダらによれば、ある日、服が家に戻っているということです。微笑ましい話しですよねぇ。
相互扶助とは、生活の知恵から生まれてくるものであるのかもしれません。「互いに助け合うこと」が災害時に一番大切であることはKOBEの震災で学びました。あの時、誰もが最後の一人まで助かってほしいと願い、またお互い助け合いました。タララ村では私たちが学んだ「相互扶助」の大切さが生活の一部となっています。「防災共育」が生活の一部となることが私たちプラトナの望みです。
月別アーカイブ: 2007年5月
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート12
2004年のインド洋津波地震災害以後、特にインドネシアのアチェ、スリランカ南部などには”津波のごとく”海外からの援助が押し寄せて来ました。すでに、このことによる課題はマスコミなどでも取り上げられてきましたが、被災者間でトラブルが多発し、援助がプラスになるのではなく、マイナスになっているケースが少なくありません。クキさんが入っている南部地域でも、インターナショナルNGOが数多く入っており、中には地域の子どもと一緒に活動するのに、現金を配るというケースまで出てきています。私たちが被災地で防災共育のワークショップをするときに、スナック菓子とかプレゼントとして鉛筆を1本配るというようなことはしますが、活動に参加してくれたからといってお金を配ることはありません。
また、すでにNGOの援助が入っているところに、後から非常に有名なインターナショナルNGOが入ってきて、多額の援助を申し出て、結果的に先に入っているNGOを困らせるというトラブルもあるようです。被災当事者がしっかりしていれば、影響を受けることはないかも知れませんが、いわゆる”援助合戦”に巻き込まれると、将来的には負の財産を負うことになりかねません。
すでにマスコミなどで「援助者の論理による援助!」と指摘されたことがありますが、まさにそういう光景が被災地のあちらこちらで見受けます。大変残念なことです。「悔しかったら、CODEも援助合戦に参加すれば!」と言われるかも知れませんが、ほんとにCODEは貧乏NGOで良かった!と思います。タララの子どもたちが創った歌のタイトルを思い出します。
-知恵があれば、人生は光る!-って。ほんとに中学生がつけたタイトルなの!?
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート11
プラトナ・チャイルド・クラブのN君が、家庭の事情で活動に参加できなくなったようです。もう一人R君という内気な男の子がいますが、彼はこの止めることになったN君の支えによって、何事にも自身を持てるようになってきたところなので、N君も心配ですが、R君のことも心配になります。しかし、R君はなんと止めていくN君に対して「心配するな、僕がNの分まで頑張るから見守っていてくれ」といい、クキさんに「僕は防災共育って本当な何だろうって今まで考えて来たし、今でも確かなこれだ!というものはいえないけれども、ひとつだけ分かったことことがある。以前、お父さんから、強い家を作るには基礎になる支柱の部分が大切だと聞いたことがある。柱同士が支えあう、支えあう行為が大切なんだよね。支えあう行為が”備え”になるんだよね。僕は笑われるのが怖いと思っていた。その思いを支えてくれたのがN。この支えで、僕は怖いというものから逃れられた。怖さも僕にとっては災害なんだ。災害から逃れるように支えてくれた。だから”備え”なんだ。これを教えてくれたのがNだった。」と言ったそうです。
この話を聞いて、昨年「障害者防災提言集」を出したゆめ・風基金さんの編集員会ででた話を思い出しました。代表のMさんが「そらそうと、何で僕らは今まで防災のこと考えてこなかったんやろ?と仲間と話していたら、僕らにとっては毎日が災害や!からといわれ、なるほど!」と思ったと言ったのです。場合によっては子どもにとっても毎日が災害かも知れません。例えば、アルコール依存症の親父がいて、毎晩酒を飲むと大きな声で叫き、また物などを投げたりという家庭にいたりすると、確かに子どもにとっては居場所がなく、災害(というか災難か?)かも知れません。そう考えると、毎日の対策の中でも心強いのは、間違いなく友達の支えですね!以前、「暮らしの中の防災」のことを書きましたが、確かに「支えあい」という日頃の備えは、基本中の基本やなぁ?
余談ですが、今CODEがインドネシア・ジャワで現地のキーパーソンと協働で挑戦しようとする地域経済再建プロジェクトの根幹はやはり、「ゴトンロヨン」という支えあいのしくみです。
スリランカより愛をこめて-クキさんの防災共育レポート・番外編
クキさんより、UNCRD(国連地域センター)防災計画兵庫事務所がタララ村で行うWSの準備の様子が送られてきました。CODEのプロジェクトではありませんが、プラトナチャイルドクラブの子どもたちの奮闘ぶりが描かれていますので、「クキさんの防災共育レポート・番外編」としてお届けします。少し長いですが読んでいただけたら幸いです。
なお、このUNCRDのWSは元CODEスタッフだった斉藤容子さんが担当していますので、その縁でタララ村で実施することになったものです。
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UNCRDのWSを目の前に控え、停電との戦いの中、慌しい日々を送っています。今回のワークショップのプログラムの中に、プラトナチャイルドクラブの子どもメンバーらのドラマがあります。このドラマの内容は、プラトナボランティアリーダの一人であるナデュンが脚本を手がけました。ドラマの内容を紹介したいと思います。
ある外国人の女性が避難所のTSUNAMI被災者と話し合いの場を持ち、TSUNAMIに関する質問をする。質問内容は、TSUNAMIが襲ってきた時に、どのような行動を起こしたのかなど、様々な質問を投げかける。被災者の中の一人が、彼女に向かって叫ぶ、「もう2年以上もTSUNAMI、TSUNAMIとウンザリしている!もっと他の現在直面している問題などを話しあうべきだ!」と。外国人の女性も彼の鎮痛な叫びを理解し気分を変えるために、皆で歌を歌う。歌を歌っている間にある被災者が呼吸困難に陥いる。すぐに、FISTAIDの処置を知っているある被災者を呼びに行く。彼が皆に処置の仕方を教えながら患者を処置する。
更に話し合いが続く、災害(緊急事態)に備えて日ごろから何を準備しておいたらよいのか、避難の仕方など。そんな話し合いの、ある被災者が、「津波が起きたあの時期に人々の態度が極端に二つに分かれていた。ある者は、この災害を利用して、日ごろから恨みのある者を見殺しにしていたり、(溺れて助けを求めていても、見て見ぬふりをしていた)ある者は、息を引き取りそうになっている人の身に付けている貴金属を盗んだりしていた。しかしある者は、懸命に人命救助に努めていたり、隣人のために可能な限りの手助けをしていたりした。」と言い、話し合いは更に続く。
コミュニティの結束力があらゆる災害(暮らしの中の問題などに対しても)に対しての防災となる。コミュニティの結束力を強めるには、日ごろからの暮らしのあり方を再検討し、直すべきところは再建しなおし、継続するところはよりよいものへ変えていく努力が大切であることを、話し合いの結論としてドラマは終盤を迎える。
そして、観客に向かって歌に代えて約束をする。手と手を取りあおう♪ 助け合おう♪ 一緒に歩んでいこう♪ 希望を持とうTSUNAMIなんて怖くない♪ TSUNAMIは僕たちの心をつぶすことなんてできないんだ♪ TSUNAMIは僕たちのコミュニティをつぶすことなんてできないんだ♪さぁ、みんな起きて♪立ち上がろう♪ 私たちの知恵(経験)を広げようよ♪そして私たちの人生を光らそう!!
今回のWSでは、このドラマを通して、タララ住民が自分たちが今後この村をあらゆる災害から守るには何が大切なのかを確認してもらい、更に何が自分たちに出来るのか(行動計画)を作成してもらうことになっている。その行動計画を元に、台本を作り、新たなドラマを作成する予定である。
このドラマに関してのエピソードを紹介したいと思う。子どもボランティアリーダの一人である、ロッシャンという男の子がいる。彼は最後の最後までかなくなにドラマ出演を拒んでいた。他のリーダらも、「プルワン、プルワン、トライしてみろ!」と何度も応援していたが、それでも「やったことないから出来ない」と断り続けていたのです。このドラマの他にもプラトナ・チャリルドクラブの活動を紹介するプレゼンテーションがある。そのプレゼンテーションを各ボランティアリーダらが担当活動を決めて説明するというのだが、これもロッシャンは出来ないと言って断り続けていた。「僕は頭悪いから、こんなのできない」と言うのである。どうしようかと頭を悩ませていたところ、大親友のナデューンがある日、ロッシャンを自宅に呼びロッシャンに言ったらしいのです。ロッシャンはいつも自分が頭が悪いということを利用して何もトライしようとしない。ロッシャンは頭が悪いのじゃなくて、ただ怖いだけだ。間違って笑われたらどうしようって、、心配するな、僕が側についているから、誰も笑ったりしない。心配するな。笑ったやつがいるなら、そいつが馬鹿なんだよ。ロッシャンではない」と。
その後、勇気を奮ってロッシャンはドラマの練習に参加した。すると、どうであろう、水をえた魚のように、生き生きと、本当に楽しげに演技していた彼の姿は、皆を本当に驚かせた。ロッシャン自身、驚いていた。その後、彼は自ら進んでドラマの練習に励んでいる。又、ドラマの練習が少なすぎると言いながら、自ら皆を呼び練習に精を出している。
「彼らが欲するものが本当に彼らの必要とするものではない」
彼らの能力を引っ張りだす「エンパワーメント」とは、個人個人が他者を思いやる気持ちから生まれてくるものなのかもしれない。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート10
なかなか停電が安定して修復されないようです。さて先回、タララの子どもたちが阪神・淡路大震災の被災者のために、今年の「1・17」に絵を送ってくれた話とそれにまつわる顛末を紹介させて頂きました。実は、スリランカが津波被害を受けた2年目の昨年12月26日には、神戸からKOBEの復興のシンボルグッズ「まけないぞう」を送りました。クキさんが子どもたちにこの「まけないぞう」の説明をしたときに、一人の子どもが「僕は、プラトナ(希望)と勇気を他の被災者に伝えたい。だって僕達は同じ痛みがあるから」と言ったそうです。今日本では能登半島地震のことが話題になっていますが、やはり今回被害を受けた人たちも、「はじめて人の有り難みがわかる。次ぎどこかで災害があれば私たちが先頭になってやらねば・・・」ということをおっしゃっています。
クキさんは、12年前のあの時、東灘区のマンションに住んでいて被害を受けました。あの時の光景はクキさんの脳裏から離れることはないかも知れません。昨年のあるとき、こうしてスリランカの被災者や間接的に能登の被災者と「痛みの共有」「共鳴」「共感」を共にすることで、だから忘れてはいけない!とより記憶を確かなものにし、共に泣き、喜ぶことで強くなって行く自分を発見すると言ってました。防災共育って、こうして「忘れてはならない記憶を伝えること」でもあるのでしょう。では、同じ痛みを経験していなければどうなるのでしょうか?そこで作家の柳田邦男さんは、「いのちの危機管理」を訴えられており、「2.5人称」で考え、行動することの大切さを訴えています。詳細は、「月刊現代2007・2月号」に書かれています。もし必要な方は連絡して頂ければコピーしてお送りさせて頂きます。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート9
昨日、停電がよくあることを伝えましたが、ここで停電にまつわる話を紹介します。これこそ「暮らしの中の防災」という話です。
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一昨日からこちらは大きな祭りで、案の序、昨晩から停電でした。去年もこの祭りのときは10日間ぐらい長い、長い停電があった記憶があります。もう本当に、、何もできないですね、停電になると、、情けない。子どもたちは、電気がなかろうが、水がなかろうが、無い無いづくしでも、平気で、いつもと変わらない生活をしています。彼等の生きる力といのか、柔軟性には尊敬してします。
いくら私が「電気がないと仕事できないのよ!洗濯機もつかえないし、真っ暗闇だし!」と嘆いても、「コンピューターが使えないんなら手で書けば?メール送れないなら、郵便局から送ったら?暗かったら、ロウソクたてたら?洗濯機ダメなら手で洗ったら?全て問題ないじゃない!」って、、言うのです。
うんんん、、それは私も分かっているって!って、言うと、「分かってないから、嘆くんじゃないの?」と言います。ほんと、時々、どっちが大人なのか、わかんなくなる時があります。それに、究極な一言は、「防災、防災ってクキ、口では言っている割に、心の準備がなさすぎだよ!心の準備は「備え」なんだよ!全く、、クキ、分かってないんだから、、」と言われてしまいました。そのとおり!心の準備があるのと無いのとでは、ショック度が違うのです。頭で分かっているんだけれども、、、なかなか、、長い長い停電になると、どうしても怒りにちかいものがこみ上げてしまうのです。とほほほ、、情けない。
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スリランカより愛をこめて-クキさんの防災共育レポート8
クキさんのレポートがスタートしてから、いきなり直接レポートが止まっています。実は、停電なのです。よくマータラ県では停電になります。どうしても、というときは町まで行って、インターネットカフェから発信して貰っていますが、特に急ぐわけではありませんのでしばらくお待ち下さい。
その替わりということではないのですが、ちょっとこんなエピソードを紹介します。日々の暮らしの中での防災について2回ほど書きましたが、タララの子どもたちが阪神・淡路大震災のあった今年の「1.17」に絵を描いて送ってくれました。その絵画展は、すでにCODEの会議室で開いたのですが、その絵を描くにあたっての子どもたちのやりとりです。少し長いのでご迷惑かも知れませんが、付き合ってやろうと思われる方は読み続けて下されば幸いです。あらためてこれを読んでいて「ハッ!」としました。こうして、自分たちの村を襲った津波のこと、そしてクキさんが体験した阪神・淡路大震災。彼等彼女らなりに、災害のこと、命のことなどを考えることによって「痛みの共有」がなされるんだなぁ!ということでしょう。
そしてクキさんもこうした子どもたちのやりとりから学んでいます。
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1.17の活動としてタララ村から「プラトナ(希望)の獅子」の絵画をKOBEへ送ることになった。子どもボランティアリーダらの手作りである。以前、資金集めの活動の一旦としてタララ寺のホールで「絵画コンペティション」を実施したことがある。チーフモンクも優劣つけがたいと悩みに悩んで、順位を決めたほど、参加者の絵画の出来は素晴らしいものだった。そのコンペティションで見事、優勝したチャトランギーの弟が、お手本を描くのを手伝ってくれた。チャトランギーが1.17の絵画を送る活動を弟に説明したら、その翌日の朝、弟がチャトランギーに、そっとお手本を手渡してくれたと聞かされた。
早速、そのお手本を元に、タララ村のプラトナ・チャイルド・クラブ、子どもボランティアリーダらが、希望の灯りを持つ獅子の絵を厚紙に描いた。最年少のラニールは、「僕は絵画が得意じゃないから、描けないよ~」と兄貴分であるアミラに言うと、アミラが、「プルワン、プルワン、トライしろ!」と横で囁きながらも、そっとラニールが描くのを手伝っていた。獅子が持つ「灯り」が小さすぎると言いながら、大きな灯りに描き直し、獅子の足が短すぎると言いながら、足長に描き直しながら、アミラは兄貴分としての役目を十分に発揮していた。その姿に涙がでそうになった。
ふざけながら描いていたロッシャンに対して、彼の一番の親友であるナデューンが、「お前は、この絵の意味が分かっているのか!分かっていたら、そんなふざけて描けないはずだ!」と怒鳴った。ロッシャンは、小さな声で「分かっている」と言うと、「それなら言ってみろ!」と問うナデュン。しどろもどろになりながら、何やら意味不明なことを言うと、「パーガル(馬鹿)!」と言われた。そして、ナデュンの長い、長い説明が始まった。説明が終わらないうちに、優等生のニローシュが「十分、分かった!」と言うと、大爆笑となった。
各人が、それぞれの想いと共に描かれた「プラトナの獅子」の絵にフレームをつけることになった。「フレームを何処で購入できるのか?」と聞くと、「購入する必要なんてない、自分たちで創れる」と申し出た子どもたち。そして、ロッシャンが「椰子スティック(椰子の葉の中心にある)」を、アミラが竹を山から切り取っ
て持ってきた。竹は私が想像していたものよりもかなり太かった。アミラの見事な手さばきでその竹は我が家でフレーム用の細い竹と変化させた。アミラは、バイクの修理から何から何まで、上手くこなせる、「何でも屋さん」である。弟分であるラニールも、二代目「何でも屋」になるため、アミラ兄貴とペアーで行動している。
現在、フレームの部分は完成、あとは、厚紙ボードをラミネートされた絵画に貼り付ける作業のみが残っている状態である。各絵画に、作成者名(写真付)と年齢、そしてKOBEへのメッセージを添えて、CODEに送る予定である。CODEから、この「プラトナの獅子」が、新たな「希望」と「勇気」を添えて何処へ巣立っていくのか分からないが、この絵画を通して、タララ村とKOBEが同じ痛みを持つものとして、「希望」という糸で織り込まれた「KIZUNA」で結ばれて、優しさの共有が深められたらと願う。
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スリランカより愛をこめて-クキさんの防災共育レポート7
レポート6に書きましたが、暮らしそのものが「防災共育」になっていなければ効果も半減するだろうと思われます。「子どもに、小さい頃から自分の衣服がどこにあるかを覚えさせ、いつも自分で着脱ができるように教えることが、まず防災共育の第一歩です。」と、日本の防災の専門家が言われたことを思い出します。
さてタララ村の子どもたちは、ガソリンスタンドで車の「洗車」をしたり、地域のお寺で開かれるバザーに野菜などを出品したりしながら、活動費を捻出して頑張っています。そういう子どもの活動を見て、ツクツク(スリランカのオート三輪タクシーの愛称)のドライバー達が協力してくれたりして、タララ村で生まれた「プラトナ・チャイルド・クラブ」が地域に支えられ活動をしています。「暮らしの中で」というのは、おそらくこうした生活の延長で”防災共育”を口にすることに意味があるのだろうと、クキさんは気づいてきたようです。
ご存知のように、スリランカを津波が襲ったのが2004年12月26日です。2年目の昨年12月26日、クキさんが「26日には何かやろうか?何もしないの!」と子どもたちに投げかけたところ、タララに住む一人の子どもが「ボランティアしようよ!海岸掃除をしょう!」と提案したのです。2年目の節目ではあるが、何か華々しいことをやるわけでもなく、そっと「ボランティアしようよ!」というのは最高の提案だと学ばせて貰いました。日本では、阪神・淡路大震災後、震災のあった「1月17日」がボランティアの日になり、その1週間は「ボランティア週間」と意義づけられたほどです。子どもといえど
も、ほんとに感性がすばらしいと思いました。
余談ですが、タララ村でもクキさんは人気者ですから、タララ村の中で借りている家は毎日地域の人のおしゃべりの場でもあり、コミュニティ・カフェKUKI」になっているようです。また、日頃のなんでもないおしゃべりも紹介できたらと思います。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート6
今年度のスリランカでの防災共育プログラムに、日本で有名な「稲村の火」などの話を読み聞かせながら、スリランカオリジナルの絵本づくりに挑戦します。そんな立派な作品にならないかも知れませんが楽しみにしておいて下さい。おそらく今年度最後のギリギリになるでしょう。
さて、この種の絵本ですが、ご存知の方もおられると思いますが、すでにたくさん出版されています。その中でも奈良に本部を置く「スリランカの教育を支援する会」がすばらしい活動をされていますので、是非HPをご覧になって下さい(http://www16.plala.or.jp/j-slfpb/)。
CODEも、津波直後に現地入りしたときはこういった絵本づくりを目指していたのですが、足踏み状態です。でも、きっとタララ村からオリジナルの絵本が生まれることを願っています。防災共育の中でも、こういう普及ツールはやはり現地の文化や生活に馴染んだところでのストーリーができなければ効果は半減します。例えばインドネシアの場合は、”ワヤンクリッ”という影絵が暮らしに浸透
しているので、影絵を使って津波から命を守るための防災共育などをストーリーを演じれば間違いなく子どもたちにも浸透するでしょう。さてスリランカでの大衆文化は何でしょうね?ちなみに、今ではどうなのかわかりませんが、いっとき日本の「おしん」が大人気だったそうです。おしん版津波絵本ができれば、受けること間違いなしですが、ちょっと難しいかな?と思います。
ところで、スリランカの南部を中心に布教されている仏教は小乗仏教ですが、お寺のある地域では、住民が大変信仰心が厚いと言いましょうか、寺との関係がなくては暮らしがあり得ないというほどのものです。クキさんからのレポートによると、年に1回どこかの寺(例えばタララ村の場合は、村にある寺)に近隣のチーフモンク(僧侶のリーダー)を招待し、住民が僧侶達に食事のサービスをし
ます。僧侶達が食べ終わって、はじめて住民が食事につくのですが、(クキさんが尊敬している)タララ村のチーフモンクは、一人ずつみなさんのお皿に「たくさん食べて下さいね!」と笑顔でささやきながら配膳されるそうです。クキさんはこのお寺で食事をご馳走になるひとときも「防災共育」だといいます。何故なら、「このひとときは、人の心を穏やかなやさしい気持ちにさせてくれたからです。その優しい気持ちは、あらゆる人災に対して大きな”備え”となると思うのです」と。
あれ?これがそのまま絵本のストーリーになればいいのになぁ、チーフモンクを題材にはできないか??。余談ですが、それにしてもこの「備え」については、アフガニスタンの平和学ででも教えて頂いた話しと同じです。
スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート5
能登への寄せ書きの中のチャトランギー |
すでに今年度1年間の防災共育のプログラムを概要のみ紹介しましたが、そこに「おばあちゃんの知恵集め」というのがあったと思います。そもそもこの発想は、足湯ボランティア活動からのヒントであることは伝えましたが、クキさんがタララ村の子どもたちに阪神・淡路大震災~中越地震~能登地震へと足湯が生かされていることを伝えたときに、子どもたちが、「スリランカでもできるよ!老人ホームに行っておばあちゃん達に減災の知恵などを聞く活動をしようよ!」ということになったそうです。以下にこの「おばあちゃんの知恵集め」に関してのクキさんのコメントを紹介します。
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スリランカの老人ホームにいる高齢者の方々はチャトランギーによると、割りと裕福な方が多いらしいのですが、寂しい方がほとんどだと聞きました。これは日本でも同じですね。「一番の貧困は、誰からも必要とされていないということ」だとは、マザーテレサの言葉ですが、子どもたちが寄り添いながら、おじいちゃん、おばあちゃんから知恵を聞くことにより、彼等が、自分たちも必要とされているっていう想いを感じていただけたら、又、その事により元気になってもらえたら、寂しさが少しでも和らいでくれたらと願っています。この活動により、おじいちゃん、おばあちゃんの内なる力を引っ張り出すことができますように、そしてそれらの力(知恵)が、私たちの内なる力(知恵)となり、この先の人生を光らせて
くれるのです。そして、子どもたちが、次世代の子どもたちへ伝えていく、(繋がる)ことにより、更にKIZUNAが広がり、知恵が広がるのです。
つまり「共育」なんですね。
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(*文中のチャトランギーというのは、プラトナ・チャイルドクラブのリーダーで、この会を行政に認可して貰うために何度も役所に足を運んでやっと認証させた”がんばり屋”です)
以前レポートで少しだけ紹介した計画書をHPにアップしました。こちらからダウンロードできます。
http://www.code-jp.org/report/CODEs%20project%204weeks%20program.pdf