スリランカより愛を込めて-クキさんの防災共育レポート11

プラトナ・チャイルド・クラブのN君が、家庭の事情で活動に参加できなくなったようです。もう一人R君という内気な男の子がいますが、彼はこの止めることになったN君の支えによって、何事にも自身を持てるようになってきたところなので、N君も心配ですが、R君のことも心配になります。しかし、R君はなんと止めていくN君に対して「心配するな、僕がNの分まで頑張るから見守っていてくれ」といい、クキさんに「僕は防災共育って本当な何だろうって今まで考えて来たし、今でも確かなこれだ!というものはいえないけれども、ひとつだけ分かったことことがある。以前、お父さんから、強い家を作るには基礎になる支柱の部分が大切だと聞いたことがある。柱同士が支えあう、支えあう行為が大切なんだよね。支えあう行為が”備え”になるんだよね。僕は笑われるのが怖いと思っていた。その思いを支えてくれたのがN。この支えで、僕は怖いというものから逃れられた。怖さも僕にとっては災害なんだ。災害から逃れるように支えてくれた。だから”備え”なんだ。これを教えてくれたのがNだった。」と言ったそうです。
この話を聞いて、昨年「障害者防災提言集」を出したゆめ・風基金さんの編集員会ででた話を思い出しました。代表のMさんが「そらそうと、何で僕らは今まで防災のこと考えてこなかったんやろ?と仲間と話していたら、僕らにとっては毎日が災害や!からといわれ、なるほど!」と思ったと言ったのです。場合によっては子どもにとっても毎日が災害かも知れません。例えば、アルコール依存症の親父がいて、毎晩酒を飲むと大きな声で叫き、また物などを投げたりという家庭にいたりすると、確かに子どもにとっては居場所がなく、災害(というか災難か?)かも知れません。そう考えると、毎日の対策の中でも心強いのは、間違いなく友達の支えですね!以前、「暮らしの中の防災」のことを書きましたが、確かに「支えあい」という日頃の備えは、基本中の基本やなぁ?
 余談ですが、今CODEがインドネシア・ジャワで現地のキーパーソンと協働で挑戦しようとする地域経済再建プロジェクトの根幹はやはり、「ゴトンロヨン」という支えあいのしくみです。