中国四川省地震救援ニュース 89

Yさんレポートによる復興支援プロジェクトの内容です。
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 前回、CODEのプロジェクトが決定したとお伝えした。地震直後から活動している光明村を含む北川県香泉郷の7つの村に「総合活動センター」を再建する。この総合活動センターには様々な機能が集約される。村の決定機関である「村民委員会」、村の医療機関である「衛生室(診療所)」、芸能、教育などを司る「文化活動室」、村内の放送機関の「広播室」、会議室などである。その中でも最も重要であるのが、衛生室すなわち、診療所である。
 光明村では、約700人の村民の健康をたった一人の医師が支えている。香泉郷12の村には医師さえいない村が4つもある。そのような村では病人が出ると隣の村もしくは、比較的大きな郷の「衛生院」まで自力で行くしかない。また、急病や重症の場合は郷の衛生院から救急車を自費で呼ぶ。仕事のない農村の住民にとって医療費は決して安いものではない。ましてや震災で経済的にも大きな負担を強いられた被災者にとっては尚更である。
 中国の農村の医療制度はまだまだ不十分であり、昨年4月から中央政府は「新農村建設」政策の一貫として農村部を対象に「新型農村合作医療制度」という健康保険制度を導入し、約9億人と言われる全農民の約8割以上が既に加入したと言われる。昨年5月の地震後もこの制度が活用されていると言われるが、施行されたばかりで制度上の不備や普及上の問題なども少なくないようだ。
 郷政府のW書記の話によると、これまで村の診療所は個人のものであった。それ故に医療費は安くなかったという。この「総合活動センター」を再建する事で診療所は公共性を帯び、医療費が安価なものになるという。この「総合活動センター」の機能には様々な効果が期待されるが、被災農民が切望しているのはまさに安価な医療であろう。。

中国四川省地震救援ニュース 88

四川地震から1年が経とうとしていますが、CODEの復興支援プロジェクトが漸く決まりました。Yさんレポートで報告します。
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昨年5月12日に発生した四川大地震(中国では、5・12ブン川大地震と呼ばれる)から間もなく1年の月日が過ぎようとしている。
CODEは地震発生の3日後から救援活動を開始した。日本人を中心に中国、韓国、香港などの沢山のボランティアとガレキの片づけから始まり、仮設住宅建設、農作業、住宅再建などを被災者の方々と共に汗を流し、被災者の声にじっと耳を傾け、時には地震や耐震の事を一緒学びあい、考え、悩みながらこの1年活動してきた。その中で少しずつ被災した村人との信頼を築いてきた。
そして1年を目前にCODEのプロジェクトが理事会の承認を得て正式決定した。
地震直後から活動してきた光明村のある北川県香泉郷全体の診療所を含む「総合活動センター」を7つの村にひとつずつ再建する。(中国政府は06年より国家プロジェクト「新農村建設」の一環として医療改革を推進し、この震災復興の中にも反映させている)この地震で診療所が倒壊し、未だ不自由な仮設テントで診療する村医や高額な医療費故に診察を拒む被災者の人々にとっても意義のある事と思われる。また、この「総合活動センター」には、診療所はもちろん、村民委員会、村内放送室、文化活動室などの機能を併設し、ここで被災者自らが、自分たちの村、地域を考えていく場にもなり得る。このセンターが村の中心的なコミュニティースペースとなる事を切に願う。14年前に同じ痛みを味わったKOBE、そして日本の被災地の方々などの貴重な浄財を四川の被災した農村に還元したいと思う。もちろん、建物を建てて終わりではなく、その後もCODEらしく被災者と共に悩み、共に学び合っていく活動を継続していきたい。今後とも皆様のご協力、ご指導、ご理解をいただきたく思う。
 このプロジェクトの詳細(場所、機能、意義など)については、次号よりレポートする予定である。

中国四川省地震救援ニュース 87

Yさんレポートをお届けします。
「桃坪」という場所が被災地にある。四川省省都、成都から約60km、アバ州理県にあるチャン族の集落である。以前は桃の栽培が盛んだったことからこの名がついたそうだが、地震が起こる前までは四川でも有名な観光地のひとつであった。精密に石を敷き詰めて建てられたチャン族伝統家屋が見事に残り、それを縦横無尽にとりまく通路が迷路のようになっている。これは古来より外敵から防御するために考え出されたものであるという。また、ひと際目に着くのは、ちょう楼という高さ20~30mの塔で、昔は見張り台として使われていたそうで、現在は作物の貯蔵などに使われている。古いものは約1200年の歴史があり、チャン族が最も古い少数民族のひとつであることを思わせる。集落の多くの家は民宿として観光客を迎え入れ、チャン族の暮らしをそのまま味わうことできる。石積みの家の間を歩いているとどこか違う世界にタイムスリップをしたような感覚になってくる。
だが、この桃坪も地震によって大きな被害を受けた。石や土の壁が大きく崩れ落ち、いたるところに緑色の防護ネットが張られている姿が無残である。地震後、アバ州へと続く主要道路が崩落し、外部からのアクセスが不能となった。08年10月頃から道路の修復を終えたが、未だに観光客はまったくいない。道端で日向ぼっこをしながら刺繍をしているチャン族の女性たちに話を聞いた。
もともと地震前より民間の投資による観光開発の計画が進められていたという。ここに住んでいるチャン族の人々を別の場所に移転させ、この集落をそのまま博物館のようにするというものだったそうだ。新たに100ムー(1ムー約667㎡)の土地を開発し、そこに住民を移転させ、宿泊施設などを建設する計画で、すでに約7割の住宅が完成していたのだが、そのうち80%の家屋が地震によって危険家屋となったそうだ。民間企業による一人あたり1.5万元の補助の他は、自らの出費で家を建設していた矢先に地震が起きた。桃坪内の元の住居も被害を受け、新しい住宅も被害を受け、現在、ほとんどの住民は集落内でテントや掘立小屋を建て、暮らしている。
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今後の復興の話を伺うと、文化遺産として評価の高い元の集落は、国家文物局によって修復がなされるそうであるが、現在建設中の新居は政府の補助も何もないとう。たとえ元の家が修復されたとしても博物館として保存されるのであれば、以前のようにそこに暮らすことはできなくなる。一方、新居を補修、再建する為の資金も補助も全くない。そして最初に投資した民間企業も去ってしまったという。彼らは今後どこに住めばいいのか、いわば「宙ぶらりん」の状態である。人よりも文化遺産が優先される復興。もちろん文化の保護も重要であるが、そこに人々が暮らしているからこそ文化遺産としての価値もあるのではないかと思い
ながら話を聞いていた。。。
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中国四川省地震救援ニュース 86

 北川県光明村では四川大地震で4,5組のほとんどの家が被害を受けた。9月より住宅再建が進んでいるが、5組では、三十数年振りに伝統構法の木造住宅が再建されている。
 先日、一軒目の木造住宅の棟上げ「上梁」が行われた。村の大工によって加工された柱や梁をある程度組み合わせた段階で皆で立ち上げる。男性は梁に上がり、木槌で柱と梁を叩いて組み、女性は下でロープで柱を立ち上げる。子供は爆竹や願いの赤紙の準備し、高齢者たちは周りでそれを見守る。この日だけは、隣でレンガ住宅を再建している人々も手伝う。村長、組長、子供、女性、お年寄りたち、5組の住民総出で「ああでもない、こうでもない」という感じで家を組み上げていく。普段あまり家の事を手伝おうとしない息子さんも一生懸命働く。様々な願いの書かれた赤い紙を柱に貼った後、家の四隅に線香が立てられ、この家の持ち主であるLさん、Xさん夫婦と息子の3人を前に村の長老のような方から何やら文言を唱えられる。そして家の中心である赤い布の巻かれた梁が厄除けの爆竹の爆音と共にロープで引き上げられた後、日本のモチまきのようにキャンディーやクルミ、豆などがまかれて「上梁」が終わる。その後、参加した村人を招いて宴会が行われる。
 30年振りに行われた「上梁」。光明村に通い始めて7カ月、初めて「文化」というものを垣間見た気がする。このようにして光明村の人たちはいざという時に助け合いながらずっと生きてきたのだろう。木の家を建てるという事は、ただ単に住宅再建をするという事だけではない効果を村の人々にもたらしたに違いない。
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中国四川省地震救援ニュース 85

不定期になりますが、Yさんレポートを続けます。
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CODEが、地震発生後の5月からこだわって活動いている北川県の光明村。1組から5組まで約730人が暮らす。と言っても通常は、若者、男性などの働き手は、他の省へと出稼ぎに出ていて村にいるのは女性、高齢者と小学生以下の児童が大半である。
その村で唯一の医者であるPさん(56歳)は、去年の1月に十数万元をかけて建てた4階建ての家屋は、この地震で全壊状態になり、今は1,2階のみが辛うじて残っている。またPさんの田んぼは地震によって水が抜けた。Pさんは、地震後、怪我や体調不良の村人のために必死で治療にあたっていた為に思うように田んぼに手を掛けることができずに今年のコメの収穫はほとんどなかった。今は、6月から3か月間政府によって支給された米を食いつぶしている。また、医者としての責務を全うするあまり鬱にもなりかけた。
そんなPさんは、ボランティアとガレキの片づけをやる中で少しずつ元気を取り戻していった。今では僕らボランティアとは、村で一番の仲良しである。つい先日、息子さんからこんな地震直後の会話を聞いた。
息子 「大丈夫か?」
Pさん「俺は大丈夫だけど家が。。。」
息子 「命が助かっただけよかったじゃないか!」
Pさん「俺の命に代えても家を守りたかった。。。」 
息子さんの横で当時を振り返りながらPさんは目に涙を浮かべていた。
村内で住宅再建の進む中、未だ住宅のローンが残っているPさんは、新たに借金をして住宅を再建しなくてはならない。「自分の命に代えても守りたかった」と言うほどにPさんにとって家は掛けがえのないものだったに違いない。

中国四川省地震救援ニュース 84

四川に戻ったYさんから震災7ヶ月目の現地レポートが届きましたので、掲載します。なお、Yさんは来年1月に行われるいくつかのイベントに参加するため1月8日ごろ帰国します。
・2009年関西学院大学災害復興制度研究所フォーラム
 (http://www.fukkou.net/news/20090111-82.html)
・現代GP「震災教育システムの開発と普及」シンポジウム
 -阪神大震災をふまえた防災教育の未来-
 (http://www.rcuss.kobe-u.ac.jp/sympo/gp0901103.pdf)
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5月12日の四川大地震からちょうど7カ月が経った。現在、被災地では急ピッチに恒久住宅再建が進んでいる。
 この四川大地震では、伝統木造住宅が倒壊を免れ、しっかりと残っていることが多くの場所で確認されている。被災者や政府関係者からも「木造は強かった」との声を何度も耳にした。最近の情報では、綿陽、彭州、青川など、いくつかの場所で木造の再建も行われているとう。
 CODEの活動している北川県の村でも従来の伝統構法を使った木造の再建が行われている。村内でレンガ住宅の再建が多くなされる中、木造住宅の再建を選択したお母さんXさん(37)。築40年以上の伝統木造住宅であるXさんの家は、ほとんど無傷のまま残っているのだが、政府の方針(退耕還林)で少し離れた村内に新たに再建することになった。
 Xさんは、木造選択の理由をこう答えた。一つは、耐震のため。すぐ隣のレンガの家が倒壊したのにもかかわらず、自らの家が倒壊しなかった事を誰よりも実感しているのかもしれない。そして、もう一つの理由は、子供のため。子供が成長した後、木造は修理、改修がしやすいという。伝統木造住宅の特徴をよく知っているのである。
 ご主人のLさんも木造の選択に賛成はしていたが、木材調達などの課題を理由に決断しかねていた。だが、最終的に奥さんのXさんの気持ちに押され、同意した。やはり、女性の力なくして復興はありえないのだろう。

中国四川省地震救援ニュース 83

11月5日の読売国際協力賞授賞式のために帰国していたYさんが、震災半年後の現地の様子を綴ってくれました。急速に進むように見える住宅再建も、一進一退。復興への道のりは始まったばかりです。
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四川の被災地から
 あの未曾有の災害から半年が過ぎた。被災地の各地には無数の仮設住宅群が広がる。と同時に、恒久住宅の再建も急ピッチに進む。CODEの支援する北川県香泉郷光明村でも住宅再建に被災者は忙しい。政府の方針で年末、もしくは春節(旧正月)まで入居しなければ補助が出ないという制約で多くの被災者はあせっている。また、早く住宅を再建して、出稼ぎに行きたいという思いもある。だが、最近の情報では、1年以内に再建すればいいという話を耳にした。青川県では2~3年以内だという。政府の方針が二転三転することで被災者は、困惑する。また、急ぐあまりに被災地の多くの場所で、道路沿いに延々とレンガを積んだ山が並び、耐震性の不十分なレンガ住宅が建設されている。
 一方、学校、病院などの公共施設の再建も各地で進み、CODEの活動している香泉郷の中心小学校の建設も始まった。偶然にも、その小学校をデザイン、建設の支援をするのは、日本の東京大学の中国人留学生、胡先生(東京大学藤井研究室)たちであった。つい先日、デザインが完成し、いよいよ着工されるそうである。
広大な被災地の中の小さな場所で偶然にもつながった日本と中国の「絆」を活かした支援を考えていきたい。

中国四川省地震救援ニュース 82

しばらくニュースが滞っていましたが、9月8日にYさんと一緒に成都に戻ったTさんが近況を寄せてくれましたので、紹介します。彼は、ニュース53で紹介した地震直後に現地に飛んだ学生ですが、6月中旬に日本に戻ってきて以来、CODE事務局に出入りし、この度Yさんのサポート役として四川に同行しています。
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3ヶ月ぶりに訪れた村。
田んぼの広がる緑の風景に仮設住宅の青と白が浮かんできました。建設中だった仮設住宅ではすでに入居が始まっていて、村のあちこちに、新しく建てるための赤いレンガが山積みされていました。
村の様子は変わっていましたが、変わらずあったのは村の人たちの温かい笑顔でした。
「あんた前に来たことあるでしょ?」
ほとんど話したことがなかったおばちゃんからそう言われました。子供たちは姓名までばっちり覚えてくれていました。
しかし、何人かの子供は村の外の学校に通うことになり、いませんでした。 小学校は歩いて40~50分ぐらいのところにありますが、中学校からは近くにないからです。その小学校も地震で壊れ、今再建が進められており、授業は仮設で行われています。
また、村の働き盛りの男性は、今は家を建てるために帰ってきている人も多いようですが、普段はあまり見かけません。これは、四川省は出稼ぎ大省と言われるぐらい出稼ぎが多く、この村も例にもれず、多くの若い男性は都市部に働きに出ているからです。
だから、この村には小学生以下の子供と中高年~高齢者が多くいます。仲良くなったおばちゃんが13年間一人暮らしなのもそのためです。そうした背景がある上に、地震で家を失ってしまったので、ますます出稼ぎの必要性に迫られています。
瓦礫の片付けも終わり始めた今、とりわけ彼らの頭を悩ませているのは「家の再建」だと思われます。
聞くところによると、比較的安い家を建てるのに7~8万元(約120万円)かかるそうです。政府からは復興計画が出されていて、それに従うと約2万元の補助がもらえます。そして、出稼ぎで稼げるお金は一日に約50元だそうです。家を建てるお金を貯めるためには何年働かないといけないでしょうか?
また、元の家のローンを払い終えていなければ、二重ローンとなってしまいます。
そして、この復興計画ですが、政府は再建を急いでおり、ある人の話では12月初旬までに新しい家を建て終えないと、約2万元の補助が出ないらしいのです。
村の人たちは急いでお金を工面し、家を建て始めているところもあります。しかし、その家が前と同じ構造で造られてしまうと、また同じ悲劇を繰り返すことになるのです。
今後、復興計画と折り合いをつけながら、どう支援できるかを探っていかなければなりません。
いろいろ話をしてくれたおじちゃんが、何度も「関心を持ってくれてありがとう」と言っていたのが心に残っています。

中国四川省地震救援ニュース 81

四川でまたM6.1の地震が起きたとニュースを見たYさんは、さっそく四川に電話しました。成都は多少揺れたそうですが、いつも行っている村はほとんど何も感じなかったそうです。震源は雲南との境の攀枝花で21名が亡くなったそうです。昆明はあまり被害はなさそうです。
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四川省でM6.1地震 21人死亡
【成都(中国四川省)】中国・新華社系のネットニュース「新華網」などによると、中国南部の四川省攀枝花市と同省涼山イ族自治州の境界付近で、30日午後4時半(日本時間同5時半)ごろ、マグニチュード(M)6.1の地震があり、同日夜までに21人が死亡、100人以上がけがをした。
 震源は、雲南省の省都・昆明から北西に約150キロ離れた山間部。震源の深さは約10キロ。雲南省では、20日と21日にもM5.0を超える地震が相次いでいた。
( 2008年8月30日23時9分 アサヒコム)

中国四川省地震救援ニュース-番外-

8月25日にチベットで地震が起こったようです。被害は大きくありませんが、翻訳ボランティアさんが記事を見つけましたので、お知らせします。
≪ドンパ県城被害なし 死傷者報告いまだなし≫
 中国国家地震台の測定によると、8月25日21時22分、チベットのシガツェ地区ドンパ県(北緯31.0度、東経83.6度)でマグニチュード6.8級の地震が発生した。震源の深さは10キロ。震源地は海抜5500メートルで人家は少ない。
 チベット自治区地震局の責任者によると、ドンパ県とアリ地区の改則(ガイツェ?)県、措勤(ツォジン?)県の3県で揺れを感じた。しかしこの3県の県城では被害は出ていない。3県の政府は各郷鎮からの被害報告を求めているところだ。
 ドンパ県の政府職員によると、現在、県リーダーによる緊急会議が行われている。全県13の郷鎮のうち12の郷鎮から死傷者なしとの報告が上がっている。いくつかの郷鎮では強烈な揺れを感じ、一部の家屋に大きな亀裂が生じている。
 他の職員に電話で聞いたところ、地震発生時、室内で大きな揺れを感じたが、県城では倒壊家屋や死傷者はでていない。各郷鎮と県城の距離が遠いため、具体的な状況把握をしているところだ。
 ドンパ県はシガツェ地区の西部に位置し、海抜4700メートル余り、全県の人口は1.8万人。
(8月26日 新華社西蔵頻道)
≪チベット・ドンパ地震で228軒の家屋が損害≫
 チベット自治区ドンパ県の書記である朱江氏に26日電話で聞いたところ、12時までに、いまだ報告が上がってこない辺鄙な地区を除き、地震により228戸の家屋が損害をうけた。死傷者、被害をうけた家畜の報告はない。
 朱江氏は、ドンパ県で228戸が被害を受け、そのうち5戸は倒壊の危険があり、223戸に明らかな亀裂がでている。
 (以下、省略)
(8月27日 新華社西蔵頻道)