四川大地震救援ニュースNo.155/四川大地震10周年レポートNo.18

「10年ぶりの被災地②」 2008年の四川大地震の際に、被災地に多くのボランティアが駆けつけました。 CODEの支援する光明村に関わった多国籍ボランティアは約100名。その多くは 日本人でした。10年ぶりに光明村を訪れたボランティアの感想文をお届けします。 彼は、北京を旅している時に四川地震のことを知り、四川に一番最初に駆けつけた ボランティアです。その後、アメリカでの農業修行を終え、今は沖縄で農で暮らしを 立てています。(吉椿雅道)

2018被災地を訪ねて   林昌平  

四川地震から10年、地震当時ボランティアで復興のお手伝いを させてもらった村に、再び行かないかと話をもらった。 あの当時、旅行者だった自分はビザが切れるということで村を後にし、 自分の旅に戻っていく、東南アジアをダラダラと周り帰国するのだが、 僕はずっと大切な何かを置いてきたような気がしていた。 それは帰国し慌ただしい日々の暮らしに戻っていった時もずっと喉に 刺さった骨のようにチクチクと痛む、被災した村は復興なんて言葉とは 程遠く、彼ら、彼女らはまだ瓦礫の中にいた。あの時やれる事はまだ まだあったはずだが僕は自分の方へ舵をきったのだ。 2018年8月、四川省の中心地成都は大都会だった、ブルーシートの 掘っ建て小屋も、大荷物を抱え農村から出てきたような人も、どこか 暗い雰囲気だった物はもうない。新しい商業ビルが立ち並び、地下鉄が 張り巡らされ、若者は皆携帯とにらめっこしてる。 ギュウギュウ詰めで乗り込んでいた軽バンは、リクライニングもできる 冷房完備のバスへ。北に向かう舗装路は綺麗な植生がどこまでもどこ までも続いているように見える。 ◯◯省支援と名の記された真新しいゴーストタウンは、綺麗な遊歩道が 工事されている。壊れたレンガの家やゴミの山はもう見えず、穴だらけ の砂利道で飛び跳ねることもない。  到着した光明村も新しく道沿いに建てられた区画で全くどこか解らない、 記憶を辿り少し村の中に入っていくと見たことのある景色が広がっている。 壊れた壁からコツコツと集めていたレンガは多分修復に使ったのか無く なっていたが、ボランティア達が入った家々は堅実にそこにあり大切に 今も暮らしている、変わらぬ間口からあの頃と同じような笑顔で迎えて くれる。「飯はくったか?」僕たちの10年が交わった気がする。 形ある物は変わっていってしまうのだけれど、人と人ってきっと変わら ないんだろうな。  僕はずっと思い違いをしていた。 日本に戻り忙しさの中で遠のいていった四川省での体験は、刺さった骨 のような罪悪感や大切な忘れ物のような大げさなものではなかった。 10年ぶりにお呼ばれした食事はとても温かく、言葉はわからなくなって いたが彼らの優しい目や声から伝わってくるのは、あの時、一緒に過ごした 時間を今でも大切に思ってくれているという事、そして僕たちはいつの間 にか被災者でもボランティアでもなくなって只の大切な朋友やったってだけ。 お互い一生懸命生きてきてまたこうして笑顔で会えた事が嬉しい。 戻ってこれてよかった。  光明村の老年活動センターにはCODEと記されていた。この10年ずっと 私たちの心を繋いでくれていた日本の災害救援NGOに感謝をしたい。

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