中国四川省地震救援ニュース 100

現地スタッフYさんより、震災から2年が過ぎた四川の様子をお伝えします。
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中国では四川大地震を「5.12ブン川大地震」と呼ばれているが、「北川大地震」と呼ぶべきだという被災者も多い。最も多くの被害を出した北川県城は、人口3万人のうち、約2万人が帰らぬ人となり、未だ約5000人がガレキの下に眠ったままである。08年6月の塞き止めダム崩壊による水害、08年9月の土石流も発生し、ずっと封鎖されたままで、一部関係者のみ立ち入り禁止である。今年も5月12日には一般に開放されたが、昨年の30万人ほどの人出はなく、約8万人ほどだったという。
通常、中に入れない被災者の人々はいつの間にか高台から見下ろせる場所「望郷台」から故郷を想うようになった。「望郷台」では、今も被災者の人々によって地震の写真、DVD、チャン族の工芸品などのお土産が売られている。そして、ここは被災者によって「沈痛悼念5.12遇難同胞」と書かれた追悼碑が建てられ、いつの間にか「祈りの場」となっている。追悼碑のそばには線香とロウソク、紙銭が置かれており、志しを払ってお参りする。僕も何度となくここに立ってささやかな祈りを捧げさせてもらった。
だが、2周年を前にここにあったすべての追悼碑やお土産の屋台は地元政府によって取り壊された事を知る者は少ない。顔見知りのお母さんは、「こんな事をするなんて。。。」と目を真っ赤にしていた。たまたま参拝に来ていた大学生にこれを見て、どう思うか訊ねてみると「心が痛む。。」と言って、じっと壊された碑を見つめていた。
2周年を過ぎた今、人々は再び、お土産屋台を再開し、碑のなくなった場所には祈りの線香が絶える事はない。復興のスピードがますます加速する中、被災者の人々はこんな現実を生きている。