震災後2年を経た光明村から、引き続きYさんのレポートをお伝えします。
—————–
あの大地震から2年を経た今、被災者の思いもそれぞれだ。
直後から支援している光明村のDさん(60代女性)は2周年のこの日、村でひとり静かに食事をしていた。僕らが訪ねて行くと、嬉しそうに食事を出したり、果物でもてなしてくれた。僕が、「あれから2年だね。何人かの村人は、北川県城に行ったみたいだね。」と言うとDさんは、「色々と思いだすから私は行かないわ。。。」といい、当時の様子を少し語ってくれた。
5月12日、光明村の芸能部である「老年活動センター」の一員であるDさん達5名は、自らの芝居や踊りを披露する為に北川県城へと向かった。衣装にも着替え、さあ、これから自分達の出番という所で大地が激しく揺れた。何が何だか分からずに、命からがら建物から飛び出したDさんは、背中から右腕にかけて怪我を負った。混沌とする中、乗せてくれる車もなく、5時間かけて山を越えて光明村へと帰った。村にたどり着くと見渡す限りの家がガレキと化し、失意のどん底にあったそうだ。
直後に光明村でボランティアが、ガレキの片づけを行っていると「あそこのお母さんは一人暮らしだから手伝ってあげて!」という声がかかり、Dさん宅の倒壊した厨房や豚小屋の片づけが始まった。連日、暑い中黙々と汗を流し、自ら持参したカップラーメンを食べるボランティアの姿を見たDさんは、「そんなもの食べていたら体壊すよ!私がご飯作るから食べなさい!」と言う。申し訳なく思ったボランティアは毎日、断り続けるのだが、とうとう根気負けしてDさんの作ってくれた美味しいお粥を食べる事になった。それから毎日、ボランティアの若者達が来るのを楽しみに食事を作るDさんの姿は沢山の事を教えてくれた。
09年3月光明村で行った「中日友好コンサート」を行った際に、Dさんは「小品」と言う芝居を見事に演じた。「あのDさんがこんなに役者だったなんて!」と感動した事を今も覚えている。老年活動センターの5人と共に舞台に上がったDさんは、上述のような当時の様子を話し始めた。その姿はまさしく「語り部」の姿であった。Dさんは当時の思いを胸に抱えながらひとり静かに暮らしている。