中国四川省地震救援ニュース 47

とりあえず四川の被災地に行き、「何かできないだろうか?」とYさんを訪ね、一緒に活
動する中で、何かを学んで帰る。13年前の阪神・淡路大震災の時にもこんな光景が被
災地の各地で見られた。ボランティア元年といわれ、他方フランスのル・モンド紙が当時
の若者を絶賛した。以下に紹介する今回四川大地震でのボランティアに参加している
一人の若者の感想文を紹介します。これを読んでいて一つ発見した。一人ひとりの中
に、ボランティア性というものがあるのだということ、それがこういう場との出会いによっ
て認識する、発見するということ。一人ひとりの中にもボランティア元年があるんだなあ
と気づいた次第です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 まず初めに今回のボランティア活動の機会を与えてくれたCODEのYさんに感謝した
い。この活動を通して学んだり得たものは言葉では言い表せないと思うし、あまり深く考
えたくもない。正直な話、僕は「ボランティア」という言葉が好きじゃない。何だかみんな
がよく使うから、独りでに大きな意味を持つようになったような気がする。例えば、ボラン
ティアをする人は偉いとか、ボランティアをしないからその人は良くないとか。ボランティ
アとは一体何なのか?僕はその答えが今でもわからない。
 僕は今回の地震が起こった時、大学の教室で授業を受けていた。日本にいた時はこ
れほどの大きな地震に遭ったことがなく、初めての経験だった。心配でゲストハウスに
急いで戻るとみんな無事で安心した。2,3日後には中国人の知り合いがゲストハウス
に訪れ、自慢そうにこれからボランティアに行くと言っていた。2,3人泊まっていた日本
人も彼に同行して被災地に行くということだった。その内の一人が僕に「Mさんも一緒に
行きませんか?」と訊ねた時、その中国人の彼は僕にこう言った、「Mさんに何ができる
のかな?」と。あの時の悔しさと自分の無力さは今でも忘れられない。
 今回の地震ですごく感じた事は自分の無力さだ。何かしたい、でも何をしていいかわ
からない。知識も技術も経験もない者が被災地へ飛んで行って何ができるのだろう?
悶々と自問する日々を送った。しかし、他方では自分はただ逃げているだけじゃないの
かという気もした。現地へ行き自分の目で現実を見てから何ができるのか、わかるん
じゃないのかと。ただ、僕は学校で中国語を勉強している身であり、ゲストハウスでも仕
事をしなければならなかった。このような状況でボランティアに行くのは難しいと思った。
それから、日本や他の国からいろいろなボランティアの人たちがここに集まりだした。
皆、車をチャーターして被災地の各地へ調査に行っていた。僕も通訳として記者に同行
して被災地へ行く機会があったけど、四川語が分からないという理由で断った。今考え
ると行った方が良かったのかもしれない。ただ臆病で、ちょっとした勇気がなかっただけ
かもしれない。僕の性格はすごく人見知りするというか、初めて会う人にはなかなか自
分から喋ることができない。
 Yさんたちが来た時も自分から話しすることができず、この結果、他の人たちよりス
タートがかなり遅れた。最初から彼らが何をしているのか聞いていれば、もっと早く行動
に移れたはずだ。Yさんの第一印象が、ちょっと怖そうな気がしたせいかもしれない。日
が経つにつれ、旅行者がボランティアに変わり、ボランティアに参加する人が増えていっ
た。夜になるとみんな疲れているけど充実した表情で宿に帰り、楽しそうに話す姿を見
ると自分も参加したくてうずうずしてきた。特に一人、ゲストハウスのスタッフの若い女の
子がボランティアに参加して頑張っているのを見るとますます触発された。
 最初に参加したのは中国の子供の日で中国のNGOの人たちとあるテント学校を訪
れ、そこに避難した子供たちと一緒に時間を過ごした。以外に子供たちが元気そうで、
笑顔があふれていたのでびっくりしたし、心温まる気がした。子供の逞しさというか、適
応能力の強さみたいなものを感じた。それからは3回ほど、村に入って瓦礫の撤去やレ
ンガやブロックを運んだり、いわゆる土木作業のような労働をした。ある人は、もしくは多
くの人が人のためにボランティアに参加しているかもしれないが、僕は自分のためにや
る。もちろん、結果的には人のためになるかもしれないが、僕はやっぱり自分のために
やる。まず、自然に囲まれた環境で汗をかいて労働するのは大変だけど、気持ちいい。
特に夕方涼しい風に当たると何とも言えない充実感や気持ちよさを感じる。すがすがし
いと言った方がいいかもしれない。あと、みんなで力を合わせて何か一つの事をやるの
はとても楽しい。もちろん、その過程に意見の対立や口論があるかもしれないが、皆で
一つの事をやり遂げるのは楽しい。チームの団結力というか、絆みたいなものが生まれ
る。これに関連するのだが、今回の活動で多くのすばらしい人たちと出会う事ができ
た。
 村人はもちろんのこと、このチームのメンバーみんないろんな人生の道を歩いてきた
人で個性があり、とても面白い。特にYさんの人を寄せ付ける求心力やみんなを統率す
るリーダーシップはすごいと思う。それと、村人の生活を観察して学ぶこともある。いろ
んな道具の使い方とか、どのように御飯を作るとか、勉強になる事が多い。僕は中国語
を勉強しているので、現地の子供たちと中国語で会話したり、意思疎通をするのはとて
も楽しいし、一生懸命に勉強してきた甲斐があったなと、何か報われたような気がした。
やっぱり、勉強していても実際に多く中国人の方たちと話さなければ上手くならない。子
供たちと会話の練習ができるのはとてもありがたい。加えて、Yさんの人生の経験や知
識はとても豊富で、彼の話を聞くだけでも勉強になる。地震に強い家の建て方とか、い
ろんな事を勉強してきた人なんだなと思う。Yさんの話は興味深いし、好奇心をそそられ
る。おそらく、僕は人間的にまだ未熟かもしれないが、やっぱり現在の僕は自分のため
にボランティアに参加する。「人のために」と格好いいことなんてできない。自分の事で
精いっぱいだと思う。それで、一体ボランティアとは何なのかと自問する。まだわからな
い。ただ、今回の活動で感じたのは、「とりあえず自分ができる事をしっかりやる」という
事だ。
 最後にYさんをはじめ、ボランティアに参加した仲間たち、温かく迎えてくれた村人た
ち、ゲストハウスの同僚、スタッフたちなど、何らかの形で支持してくれた人たちに感謝
したい。                              謝謝、大家!
 しかし、まだまだこれからだと思う。まだまだ先があり、被災地の人々が元の普通の
生活に戻るには長い長い時間がかかるだろう。これからもどうやって関わってサポートし
ていけばいいのか、まだ自問が続くのだろう。
                              M.M
                              2008年6月13日