CODEの翻訳ボランティア・Nさんの翻訳による中国現地マスコミの情報の
一部です。
--交通情報
四川省内9つの空港は回復。宝成鉄道は供電開始(西安方面から入る鉄
道)。アバ州都マルカン(馬?康)からぶん川に抜ける317号が全線開
通。成都から雅安、マルカンを経由して大型車がぶん川県城に入れるよう
になった。アバ州(ぶん川を含む)、綿陽市北川県以外の電力供給も回復
した。(ただしダム湖が決壊すれば水力発電所が使用できなくなる可能性
がある)(16日0時11分 中国新聞網)
--映秀鎮の被害状況
新快報の記者が14日深夜ぶん川県映秀鎮に入った。今回の地震によ
りぶん川県内で最大の被害を出しているのが映秀鎮だ。
映秀小学校では400名の生徒に47名の教員がいるが、生存者は、
たった100名。泣き崩れた家族に叱責され校長は黙りこんだ。3日3晩連
続で自ら掘り起こし全力で子供たちを救助してきた校長の家族は妻子・母
親ともにがれきの下敷きになり生死不明だ。
映秀幼稚園では、81名の子どものうち生存者は30~40名だ。
映秀中学校の校舎には一本の国旗掲揚ポールが残っただけだ。校舎前
では掘削機や重機を使って作業しており、兵隊と地元民はくわやすき、木
や素手でがれきの下の教員と生徒を掘り起こそうとしている。機器の音や
家族の泣き声は耳をおおいたくなるほどだ。運動場にはシートや布団をか
けた遺体がならんでいる。(16日1時30分 西部網)
--都江堰~ぶん川 命の90キロ
都江堰からせん(さんずいに旋)口、映秀を経由しぶん川に至る道。それ
は地震の中と外をつなぐ90キロであり、山崩れと土石流に阻まれた90キ
ロであり、命をつなぐ90キロである。
35歳の王徳兵さんはすでに無精ひげものび顔も黒くなっている。地す
べりした細い泥道で、何度も転んでは起き上った。
江西省で働くぶん川出身の王徳兵さんは地震後すぐに安否確認をした
が、一度も電話がつながらず、道路は不通であったが、すぐに徒歩での帰
郷を決意した。
彼のかばんには2着の着替えのほかには水と食料がはいっている。地
震後水と食料が断たれたと聞いたときに自分の持ち帰るものが誰かの命
を救うかもしれないと思った。王さんは、10数人の仲間とともに歩き出し
た。
途中で出会った被災者によると映秀からぶん川に行く道は破壊がひど
く、地滑りもいまだ頻繁に起こっている。誰もぶん川の状況を知らないが
口々に「ぶん川は家屋の倒壊がひどいそうだ」と言った。これらのことはデ
マである可能性もある。進むにつれて道路沿いの民家の破壊がひどくなっ
てきている。悪い情報ばかりだが彼らの決心は変わらなかった。彼らは何
も考えることができず、傷つくこともできず、ただ道を進むだけだった。
山の上を歩いて一時間、ゆるやかに下っていくとまた道路が見えてき
た。王徳兵さんは道路状況が許せば、夜も歩こう。もしも今夜映秀に着け
ば明日の午後にはぶん川に着くかもしれないと思った。早く着けばそれだ
け希望もある。(15日11時58分 南方週末)
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