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青海省地震レポート33 地震から2年
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あれから2年が経った。
2010年4月14日に発生したM7.1の青海省地震(中国では、玉樹地震と呼ばれる)では、死者2698人(一部では、1万人以上という話もある)、行方不明270人、被災者約24万人、倒壊家屋15000棟という被害をもたらした。
標高約3700mの被災地、玉樹は4月に入っても周りは依然雪山に囲まれている。
中国の報道によると、復興事業の843のプロジェクト(復興計画の66%にあたる)がすでに着工されたという。2010年7月より始まった再建工事は、厳冬期には工事を中断せざるを得ない事から実質の工期は12カ月にも満たないという。また、すべての建築資材を約800km離れた省都、西寧から輸送するのだが、途中5000mの峠を越える為に冬期には輸送困難となる。
総被災人口の40%を占める結古鎮では春を迎え、本格的な再建工事が再開され始めた。極度の乾燥と砂ぼこりの結古鎮では、足場の組まれたビル群で金属音と重機のエンジン音が鳴り響く。これまでの再建工事中に過労と高山病によって12名の作業員の尊い命が失われたそうだ。1年のうち7~8カ月が冬に閉ざされ、厳冬期はマイナス30℃まで冷え込むチベット高原での再建工事がいかに過酷なものかを物語る。
政府の発表では、2012年末までに結古鎮中心部の住宅再建を終える予定であるという。
現在、結古鎮近郊には、真新しいデザインの住宅が整然と並んでいる。これまで広い高原で悠々と羊やヤクを放牧させて暮らしていたチベット人にとってはどこか不自然な感じは否めない。
2年を過ぎた今、一部の被災者はすでに完成した住宅に入居しているが、未だ多くの被災者の方は震災直後とほとんど変わらない状態でテントで暮らしている。「家は完成したが、地震が恐くて、今でもテントで寝ている。」という高齢者もいる。
天空の被災地、玉樹では、2年を経てようやく再建工事が本格的に動き出したが、一方で震災直後とほとんど変わらない状態で暮らす被災者の人々とのコントラストが目立つ。
政府の発表では、2012年末までに玉樹州結古鎮の中心部の住宅再建を終える予定であるという。この春から夏が住宅再建のラストスパートとなる。2008年の四川大地震後、復興を急ぎ過ぎた事による弊害や矛盾が起きないよう配慮すべきである。
昨年、発生した東日本大震災では、これまでの支援国であるアフガニスタン、ハイチ、バングラデシュ、中国の方々から沢山のメッセージを頂いた。青海省からも被災地のチベット人の子ども達の描いた絵が約100部、東日本大震災の被災地、岩手県綾里中学校の子ども達に届けられた。この冊子はCODEが、玉樹で出会ったマレーシアの精英大学の心理の専門家と学生ボランティアによって作成された。冊子にはチベット高原の山、川、草原、馬、ヤク、チベット寺院、学校など、故郷の風景が沢山描かれていた。故郷を思う気持ちはどの被災地も同じである。この冊子を通してKOBE、青海省(チベット)、東北、マレーシアがつながった。
CODEの「ヤク銀行プロジェクト」が6月には青海省の被災地で動き出す予定である。
(吉椿雅道)
被災地、玉樹のチベット人の子ども達
子ども達の描いた冊子
岩手県綾里中学の学生さん達
現在の玉樹
北京の対口支援によって建設された住宅