10月末、青海省の被災地、玉樹に戻って来た。
4か月ぶりの被災地の暮らしは、直後からほとんど変わっていない。変わったと言えば、街中で倒壊したそばでテントを張っていた人々が、避難キャンプに移動している事だった。
6月に会った被災者の人々の住む旧市街地、普棤達巷に向かった。そこはすでにガレキが撤去され、空き地になっているところが多かった。前回、会ったおじさんの家は、全壊には至っていなかったが、すでに跡形もなく更地になっていた。近所の方に聞くと、「そこの人は西寧に家を持ってるからそっちに行ったよ。」と教えてくれた。また、すぐ隣の方は、倒壊を免れた自宅をそのままにしてラサに行ったという。
その後、テントで暮らしている家族にお話を聞く事が出来た。
Aさん(40代男性)は、5000元(約6万7000円)で買った大きめのテントを自宅の敷地内に張り、家族6人身を寄せ合うように暮らしている。地震直後は、政府の指示で寨馬場のキャンプに避難し、その後、空港の避難キャンプに移るなど計4回の引っ越しを経て元の自宅に戻り、テントで暮らしているという。そして再建の準備が始まるので、いずれここを出なくてはいけない。今後の事を尋ねるとAさんは、「先のことはまったく分からないよ。」とつぶやいた。
持てる人はいち早く行き場を見つけ、持たざる人は未だ行き場もなく先の見えない不安を抱え、今を生きている。
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青海省地震レポート30
四川省地震の救援プロジェクトで成都に滞在しているYさんが、10月半ばに青海省地震の被災地を訪問れました。6月に続いて二度目となります。そのレポートを数回にわたってお届けします。
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2010年4月14日 青海省玉樹チベット族自治州でM7.1の地震が発生してから半年の月日が流れた。本格的な冬を前に10月下旬、被災地、玉樹を再び訪れた。
身が締まるような寒さとカラカラに乾燥した空気が、標高3700mという高地を感じさせる。最大の避難キャンプである寨馬場(夏の競馬祭の会場)の草原には、6月に訪れた時の倍以上のテントがところ狭しと無造作に並んでいた。聞くと、6月に山に「冬虫夏草」を採取に行っていた無数の被災者が戻ってきた事だけではなく、結古鎮の街中で被災した人々が移動してきているという。「再建工事が始まるから引っ越ししないと」、「今月中に引越ししないと補助金がもらえないから」などの言葉のように、これまで倒壊した自宅の敷地内にテントを張って暮らしていた人々も鎮全体の再建工事でガレキは撤去され、徐々に他の場所へと移動せざるを得ない状況になってきている。
一方で、プレハブの仮設の建物も街中に増えている。至る所に「仮設建てます!」などの広告が張られている。寨馬場の避難キャンプでも、テントの横にプレハブの仮設住宅を建てている被災者の人や、中心部で商店やレストランを経営している人々も仮設を建て、営業している。経済的に余裕がある人は自力で仮設を建て、商売をし、徐々に自分の生活を取り戻そうとしている。
また、ラサや西寧に親戚を頼って、被災地を後にした人々も少なくはない。だが、ほとんどの被災者はテントのみで暮らし、一日何もやる事もなく暮らさざるを得ない。引っ越しで二転三転して、ようやく落ち着いても大してする事もなく、先の見えない不安ばかりが頭をよぎる。震災から半年、格差がはっきりしてきた。