つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」  Scene.18

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【写真】耐震住宅のワークショップの様子

3月 ムザファラバード
 3月31日。政府の決めた、テント村閉鎖の最終日だ。
その日がだんだん近づいて来るにつれて、元いた村に帰る人々も出てきた。
ジャパン・プラットフォームの運営する「Camp Japan」でも、もうすでに帰還が始まっている。これから地域に戻って、再建、復興を行っていく人々に向けて、ワークショップが開かれた。
地震のメカニズム、耐震性住宅の必要性、イラン地震での事例などが各分野の専門家から話された。僕も中越の経験を話させていただいた。写真に映る
中越の山の風景は、パキスタンの被災地にも似ている。
「棚田は俺たちの村にもあるぞ!!」とか、雪の写真に
「このあたりよりもすごい雪だ」という声も聞こえてきた。
「一年半たった今でも中越の人々は、仮設で暮らしながら頑張っています。
そこには『くらしの智恵』がいっぱいつまっています。皆さんも地震を機
に、改めて自分たちの防災につながる、くらしの智恵を掘り越してみて下さ
い」と伝えさせてもらった。
そこに被災地どうしの共感が生まれれば幸いである。
「パキスタン北東部地震」救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「パキスタン地震」と明記してください。
募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
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CODE海外災害援助市民センター

パキスタン出張報告

 CODE事務局長の村井です。3月22日から26日までの駆け足で、パキスタン地震以後初めてのパキスタン入りをし無事26日帰国してきましたので簡単にご報告しておきます。今回の調査は、パキスタン・ローコスト耐震工法普及についてのJICAミッション(パキスタン・ローコスト耐震補強プロジェクト形成調査)でもあったため、これまでCODEが調査してきた被災地バラコットやバタグラムまでは詳細に訪問できなかったのが残念です。それでも駆け足で、先に入っていた吉椿さんの案内でいくつかのテント村も訪問させて頂き、地震発生後半年を前にした被災者の状況を見ることができました。まず第1報として、ローコスト耐震補強工法のデモンストレーションについてのみレポートします。
————–
 CODEとしてパキスタン入りは二度目になるが、今回は昨年10月8日に発生した「パキスタン地震」に関連して、「パキスタン・ローコスト耐震補強プロジェクト形成調査」というJICA案件での訪問である。具体的には、東京大学生産技術研究所・都市基盤安全工学国際研究センター目黒公郎教授提案による「PPバンド仕様のローコスト耐震補強」の普及啓発のためのデモンストレーションへの調査団としての同行だ。CODEは、このローコスト耐震補強工法を被災住民に普及させるための現在の被災者の生活状況を調査するという役割である。
 さてこの工法は、ホームページの「Meguro Lab.」で詳細が紹介されているので省くが(今HPを改装中でリンクが切れているようです)、海外でのお披露目は初めてではない。この「PPバンド仕様のローコスト耐震補強」を簡単に説明する。対象としている住宅のタイプは、例えばレンガやブリックを積み上げて、屋根を乗せただけのタイプであり、こうした構造を「組積造」といい、世界中の住宅の中でも、アドベ住宅(土壁)、石組み住宅、レンガ住宅などの組積造構造住宅は6割を閉めるそうだ。木の文化を住まいにも取り入れてきた日本の住宅文化からすると以外な数字かも知れない。今回のパキスタン地震で倒壊した住宅の多くもこれだ。この工法は、組積造構造の壁を一体化し、強い地震で揺れても倒れないということを目的として考案されたもので、網目模様に接着したPPバンド(荷造り用のポリプロピレンバンド)で、壁を包み込むようにし、屋根の横軸柱ともPPバンドでつなぎ、一つひとつバラバラのレンガ壁を一体化するというもの。
 こうした単純にレンガやブリックを積み上げただけの住宅は多く、今回のパキスタン地震だけではなく、01年のインド・グジャラート地震、02年アフガニスタン北西部地震、03年イラン・バム地震などが代表的な事例で、なんとこれらの地震だけでも、10万人以上が亡くなっている。倒壊家屋数は相当なものである。「何故、これくらいの住宅に耐震が施せないのか?」と、阪神・淡路大震災以来、地震が起こるたびに悔しい思いをしていた。地震によるこんな被害をいつまで繰り返すのだろうと危惧していたが、2年ほど前にこの工法を知った。研修会などで目黒教授とご一緒したときに、直接教授からパソコン上で実験結果なども見せて頂いていた。やっと画期的な耐震補強工法が生まれた。ケースによって様々だが、建築費の5%以下で押さえられるところが低所得所得者層には魅力だ。これまでも教授は「1ドル以下で出来る耐震補強!」と言っていたが、今回のパキスタンでのモデル住宅(約60平方メートル-2部屋)は、材料費は3000円ほどで工賃を含めても3万円程ということだ。地震後の諸物価の高騰もあり、工賃は倍に跳ね上がっているため通常より高くなる。
 そもそも災害直後の応急対応期には、避難所から仮設住宅ありきではないという「災害後の仮住まいのあり方」を考えると、瓦礫の片づけやある程度の住宅再建に関する労働には、公的支援が拠出されてもいいのではと思う。何故なら、被災者もできればいち早く自分の力で稼ぎ、しかるべき税金も払える納税者となり、コツコツと暮らし再建の道を歩みたいものだ。そういうシステムになると、例えばこの「ローコスト耐震補強」にかかる費用もわずかな材料費だけですむことになる。実物大のモデルハウスでも実験済みだが、数千円で尊い命が守られるなら安いものだ。
 今回被災地のムザファラバードで実験したのは、6分の1モデルでの実験だが、生憎終日激しい雨という中で約300人が集まり、実験が終わるまでの3時間ほどは誰も席を立つものがなかったほど真剣に目黒教授のプレゼンテーションに耳を傾け、また振動台で揺らす実験に見入っていた。参加者にはエンジニアや石工たちも数多くいたように見受けた。是非、技術者が理解し各々の被災地において、住民の住宅建設に指導を入れて欲しいと願う。最低一人の習熟した技術者がおれば、あとは地域の住民がボランティアで参加し、工法を覚えればできることでもある。この目黒提案がこうして世界中に発信されたということは、阪神・淡路大震災以来耐震をいい続けてきた被災地KOBEの私たちにとっては、この上ない朗報であり、こういう形ではあるがみなさまとも共有したい。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」  Scene.17

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【写真】倒壊したモスクで祈りを捧げる男性

3月 ムザファラバード
 イスラム国家であるパキスタンでは、「インシャラー」という言葉がある。「神の意のままに」という意味であるが、日常生活の中でよく耳にする。約束などをする時に「たぶんね!」とか「気が向いたらね!」というような意味でも使う。
 今回の被災地のひとつでもあるマルセラに一年ほど住んでいる日本人女性にお会いした。彼女も地震当日は家の中が危ないので、布団を持ち出して、外の道路に敷いて、一夜を明かしたと言う。
その後、テレビで地震当時の映像が流れたのを見たそうだ。
揺れる地面の中で、人々がとった行動は祈る事だった。
神の怒りが静まるのを待つという。非常に信仰の厚い人々である。
が、外にとび出していれば、助かる命もあったのでは…と思うと複雑である。
防災教育などの必要性を感じると同時に、難しさも感じる。
生きるも死ぬも、「神の意のままに」という風に思う人々であるから、彼らの信仰も尊重しながら「減災」という事も一緒に考えていきたい。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.16

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【写真】NSETのビジャイさん(前列左から二人目)

3月 ムザファラバード
 N-SETというNGOがネパールにある。彼らは建築家の専門だ。
過去にCODEもイランやインドの被災地でお世話になっている。
今回もパキスタンで、耐震住宅の普及で活動している。
そのメンバーのひとり、ビジャイさんはこう言う。
「耐震の家を数多く建てるよりも、現地のMASON(石工)たちを育てた方がよ
い。そうすれば彼らが自分たちで耐震住宅を普及させていく。そうすれば、彼
らが自分たちで耐震住宅を普及させていく。それこそ循環だ」と。
この地震多発地帯でさえ、時が経てば人々は忘れてしまう。
人々の意識を変えてゆく事は、ゆっくりとした行程だとも言っていた。
パキスタンと言語や文化も近いネパール人建築家の技術と経験に裏打ちされた
自信のようなものを感じた。あせらずに、じっくりと時間をかけて、パキスタ
ンの人々の思いや暮らしを見つめていくしかないのかもしれない。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.15

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【写真】倒壊したアリ君の家

3月 ムザファラバード
 昨年11月に初めてムザファラバードの大学のテント村を訪ねた際に、
通訳をやってくれたアリ君(30歳)に再会した
昨年同様、フランスなどのNGOで働いているらしい。
大学のテント村で再会した。アリ君と仲の良いユーセフミールさん(35歳)の
テントでチャイを頂きながら、お話しした。
実は、アリ君自身も被災者である。
テント村には住んでいないが、歩いてすぐのマーケットの中に家がある。
アリ君に案内してもらった。にぎやかに再会しているマーケットの路地を少し
入ったところにアリ君の家はあった。
1947年に建てられたという二階建ての大きな家は、
原形をとどめない程に倒壊していた。
「ここで母が、ここで姪が、ここで甥が、亡くなったんだ」
と当時の状況を語ってくれた。アリ君は外出していて、ちょうど戻ったところ
で、玄関の前で、わが家が崩れ落ちるのを見たと言う。
亡くなった家族のそれぞれの写真を財布の中に大事にしまっていた。
彼は今も、その悲しみを紛らわすかの様に、NGOで働いている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.14


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【写真】(上)むき出しになった山肌
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【写真】(上)ムザファイルさんの村は地滑りで崩れてしまった

3月 ムザファラバード
 ムザファラバードは東西を山に囲まれ、街の中心を南北にニラム川が流れる。街の東側斜面の山肌が、今は真っ白になっている。すべて地震による地滑りで山肌が削られ、石灰岩質がむき出しになっている。その斜面には多くの村が点在している。
マクリー村もその一つだ。
大学テント村に暮らすムザファイルさん(48歳)もそのマクリー村の出身だ
(ちなみに、ムザファラバードは「ムザファイルの町」という意味)。
家族、親せき17人で3つのテントで寝泊まりしている。
ムザファイルさんは8人の子どもたちのお父さんだ。
そのムザファイルさんの案内でマクリー村に行ってみた。
車で約20分、道路から急斜面を歩いて上がる。
約1時間くらいの登山だ。
村は急斜面にへばりつくように点々と家が続く。
この村は街から近いこともあり、ほとんどの人が街に働きに出ていたそうだ。
山の一番高いところには小学校があり、子どもたちが通っていた。
村には女性のための裁縫の学校もあったそうだ。かつてはここに約5000人が暮らしていた。
ムザファイルさんの家は急斜面に建っていたため、地滑りで家は全壊していた。「政府は今月末でテント村を閉鎖して、村に帰れという。でも、この崩れた場所のどこに住めというのか?」
「政府はこの村の状況は、何も分かっていない」
と、ムザファイルさんは言う。
山頂付近では、地割れを起こしていて、そのすぐ向こうには最大の地滑り地帯が見渡せる。
この土地に愛着はないのと聞くと
「別に田畑を持っているわけではないから・・・。それよりもここは危険だ」と言っていた。
ムザファイルさんは、最愛の弟さんを亡くしている。
倒壊した家屋の下敷きになった遺体を運び出す時、右足が瓦礫に挟まれていて、やむを得ず足を切断したそうだ。
イスラム教では、土葬でわかるように体に傷を付けることを禁じられている・・・。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.13

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【写真】ムザファラバード

3月 ムザファラバード
 毎日、大学グランドのテント村に通っていると、子どもたちは顔を覚えてくれる。「Hello!!」「How are you?」と声をかけて握手を求めてくる。
そして、手をつないでずっとくっついてくる。
「変な外国人が毎日来ている」と思っているのか、写真を撮ってほしいのか、大勢の子どもたちに囲まれる。
今日は通訳であるマリック君がイスラマバードに行って不在だったので、子どもたちと身振り、手振り、片言のウルドゥー語で会話してみた。一人の子は山の手の村から、もう一人の子はタルカバードという近郊の小さな街など、あちこちから来て、このテント村で知り合って仲良くなったようだ。
と、突然、背中に強い衝撃が・・・。
髪の毛がボサボサで裸足の女の子が「頭突き」で体当たりしてきた。
痛かった・・・。
よく見ると、その他の大人や子どもたちにもゾウリでたたいたり、体当たりしたりしている。近くにいた大人が「あの子は、地震後にあんな風に精神的におかしくなっちゃったんだ」と教えてくれた。
震災が奪ったものがここにもあった。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.12


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【写真】キャンプ・ジャパンの様子

3月 ムザファラバード
 ムザファラバード市内からインド国境方面へ西へ約20分、日本のNGOがマネジメントする「Camp Japan」がある。久しぶりに訪ねた。
この数日の悪天候で、元々田畑であったテントサイトはドロドロだった。少しテントサイトを回ってみようと思ったら、一人のおじいさんがウルドゥー語で何かを訴えかけて来た。何を言っているのか全く分からなかったが、彼の身振り、表情や単語から察すると、「何でこのテントを出なくてはいけないんだ」「お金がないんだよ」と言っているように感じた。今月末で一応このテント村も閉鎖ということになっている。
PWJ(ピース ウィンズ・ジャパン)の方に聞くと、明日から帰還が始まるという。一部の家族は村に帰りたいと言い出したらしい。現実的に帰ることができない人もいる。その人々が「追い出される」という感覚を抱いてないといいが・・・。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.11


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【写真】(上)マディナ・マーケット
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【写真】(上)数分前に倒壊したビル
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【写真】(上)焼失したテント

3月 ムザファラバード
 ムザファラバードは、その州の名の如く「カシミール・ショール」などで有名な街だ。
その中心バザールである「マディナ・マーケット」は、今、活気を取り戻しつつある。
色とりどりのショールやドレスなどを売る洋服店、
綿やシルクなどの布地屋、仕立屋、どこも女性の客でにぎわっている。
このマーケットでは、日頃、あまり見かけない女性達を多く見かける。
美に対する意欲は、世界中どこでも同じだ。
そんなマーケットの中でも、活気を取り戻したエリアと、
今やゴーストタウンのようになってしまったエリアもある。
財、地位などの力のある者は、自力で再建していく。
そして、その陰に多くの「取り残され感」を抱いている人々もいる事を忘れてはならない。
 テント村に毎日通う。途中、メインバザールを通っていくのが楽しみのひとつでもある。
かつて、ここがどれだけにぎわっていたかが想像できるくらいに活気がよみがえりつつある。
が、今日、いつもの道を歩いていると様子がおかしい。
妙にほこりっぽい。
石段を上がってみると、バザールの一角のビルがほんの数分前に倒壊した。
人々が騒いでいる。どうやら三人ほどがケガをしたらしい。
日本のように家屋調査士が危険度を判定しているわけではない建物で、
人々は営業を再開したり、暮らしたりしている。そうするしか出来ない現実もある。
その後、テント村へ行ってみると、子どもたちがこっちこっちと手を引く。
行ってみるとそこに真っ黒焦げになったテント、家財道具が横たわっていた。
前夜、電気のショートでテントに火がつき、隣のテントを含め二つのテントが焼失した。
幸いケガ人は出なかった。地震によって二次的被害は今もなお続いている。
今朝、早朝、地震があった。震度どのくらいだろうか。
週に何度か降る雨、そして余震……、人々はそれでもたくましく「今」を生きている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.10


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【写真】大学跡のテント村

3月 ムザファラバード
 アザード・ジャンムー・カシミール州(AJK)の州都であるムザファラバードでも、あの地震によって多くの被害が出た。死者4万3000人以上、負傷者3万人以上。そして数十万、数百万の被災者の人々は、五ヶ月が過ぎた今でも、テントで暮らしている。厳冬の時期を乗り越えて来た人々にとって、今、新たな転換期に来ている。AJK州政府によると、3月末には、全テント村を閉鎖すると言う。政府は行き場のない人々に、代替地を用意していると言う話もあるが、多くは元暮らして
いた村、街へと戻る事となる。
その村でどんな”暮らし”が待っているのだろうか。
 大学のグランドにあるテント村で暮らす、ユーセフミールさん(35歳)は、奥さん、三人の娘さん、ひとり息子さんの6人家族だ。街から見ると山の斜面に地すべりを起こしたエリアが目に入る。チュタキアン村だ。ユーセフミールさんはその村から避難してきた。地震の際に足をケガして、今なおベットに横になっている。歩く事はおろか、立つ事も難しい。NGOから提供された車イスを使っている。今月末(あと二週間ほど)には、ここを出て行かなくてはならないが、彼らの住んでいたチュタキアン村は、危険エリアなので帰る事が出来ない。「今後どうしようか未だ決まっていない」と顔を曇らせる。
「政府はまったく何もしてくれないよ」とベットの上でつぶやいていた。
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