サイクロンの被害を受け、家を失いながらも、ユニセフによる支援を受けながら、
被災地域の子どもたちのために奔走する現地の医療関係者の姿をレポートした
記事を紹介します。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:UNICEF 2008.5.23 レポートより抜粋・要約
(医療従事者であるMyint Myint Yiはサイクロンで家を失ったが、幸運にも家族
は皆生き残っていた。)
UNICEFの支給したワクチン用保冷箱を携えて、地元の助産婦はいまや歩き回る
種痘医となっていた。彼女はLaputta の避難所から避難所を移動しながら、9ヶ
月から5才までの子供達にはしかの予防注射をしている。
持っていたものは全て失ったが、彼女はすぐに仕事に戻った。彼女の町の病院
の外来部門はすでに500人以上の人でいっぱいになっていた。「今、私は家の
無い状態だけど、彼らを無視することはできない。このような状況では、はしかが
流行する可能性があるので、子供達ははしかの予防注射を受ける必要があ
る。」と彼女は言った。
サイクロン以来、彼女ら医療従事者達はUNICEFとミャンマー保健省の援助を得
て1,000人以上の子供達にはしかの予防注射をした。それに加えて4,000以上
の破傷風の予防注射をLaputtaの妊婦やその他の人々にした。
Laputtaだけで40,000人以上の人々が49の避難所に住んでいる。
「はしかはとても伝染しやすく、重大な影響を及ぼす。多くの子供達が免疫を
持っていないこのような避難所でもし病気が発生したら、子供達の大量死を引き
起こすことになるだろう。はしかは予防できる病気なので、我々はできるだけ早く
できるだけ多くの子供達に予防注射をしなければならない。」とユニセフミャン
マー事務所保健・栄養事業チーフの國井修博士は言った。
UNICEFからの医療物資を使って、Laputtaの医療従事者たちは、避難所で生活
している人々に対して、発熱や水を原因とする下痢などの病気への処置というよ
うな生命維持に必要な援助をしていくことができた。UNICEFは被災地域の村や
避難所や病院へ絶対必要な薬品キットや救急キットのような保健必需品を送り
続けている。
「子供達とその家族の健康と幸福が最優先です。」とMyint Myint Yiは言った。
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.16
ミャンマー軍事政権による被災地での報道制限はより厳しくなっていること
を、自由な報道を守り広げていくという理念を持つ世界のジャーナリスト団体
のネットワークであるIFEXが伝えています。
外国からのジャーナリストだけでなく、国内のジャーナリストをも抑圧の対象と
なることで、地域や人々の孤立を生み出し、現在の緊急対応これからの復興
に悪影響を与えることが懸念されます。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:International Freedom of Expression Exchange(IFEX) ;Mizzima
News(India) 2008.5.21 レポートより抜粋・要約
・ミャンマー政権の検閲局はサイクロンの被害や飢えの報道を阻んでいる。
・Mizzimaの情報筋は軍事政権の報復を恐れて匿名で語った。秘密主義の
政権は、外国メディアに話をした人々の仕事を解雇したり、投獄したりしてし
ばしば罰していた。
・政権の指導者達は、巧みに報道の行間を読み、軍事政権の批判をしている
記事をすぐに認識していた。彼らは、あたかも以前からそうしていたように、外
国の援助を使ってどんなに「親切に」被災者を助けているかという振りをして
いた。
・タイに拠点を置き、ビルマの報道の自由を監視しているThe Burma Media
Association(BMA)
は、報道の自由を侵害するだけでなく、人々が情報を受け取る権利をも侵
害し抑圧する、このような軍事政権の報道制限を非難した。
・最もひどく被災した地域から戻ったあるジャーナリストは、軍事政権は何の
復興作業もしていないと語った。「『復興段階』という見出しのもとで我々は何
を報道したらいいのか?彼ら(兵士達)は、町をきれいにすることすら終えてい
ないし、まして『復興段階』に着手しているなんてとてもいえない。」
・地元のジャーナリストなら自由に移動できるという以前の寛大さは今の軍事
政権では廃れてしまったようだ。ラングーンに拠点を置く4つの週刊誌の
ジャーナリスト達9人は、イラワジ区域のMaw Gyun街区にあるHlaing Bwe村
の荒廃状況を取材するため行っていたのだが、
一晩で離れるよう言われたと伝えられている。週刊誌の編集長は、「彼らは
2008年5月18日に到着したが、今後いかなるニュースの取材にもこの地に
戻ってくることはないという誓約書に無理やり署名させられた後、次の朝には
立ち去るように命じられた。」
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.15
サイクロンの被害に遭い、住む家をなくした被災者が避難場所にたどり着いてからも
困難な生活を送っていることが報告されています。その中で地域の教会が避難所と
なり、教会同士の助け合いが行われていることは希望を感じさせてくれます。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:World Relief 2008.5.21 レポートより抜粋
遠く離れた被災コミュニティへの支援
Kawtmu
全ての家が崩壊して、30家族が教会に避難していた。食料の蓄えはすぐになくな
り、人々は毎日の食事に米さえも十分に食べられない。一日おきに、わずかな米粒
を水の中でつぶした粥を食べていた。5人の子供がすでに慢性的な下痢に苦しんで
いた。我々のチームにいる医師は子供達を診察し、チームは今後数日間を何とか切
り抜けられるように、米5袋と高エネルギーのビスケットを置いてきた。
Dedayeへの道
Dedayeへ向かう道は食料配給所へ向かって歩いていく人々でいっぱいだった。救援
の車列は道の片側に寄って、歩いてきた人々にビスケットや麺を配り始めた。援助
を待つために、より高い場所へ移動してきた家族が住んでいる一時しのぎの避難所
が道に列をなしていた。誰も清潔な水を持っていない。彼らは近くの小川から茶色い
水を汲んでいた。
Pyapon
99の家が大人の胸の高さにまで達するほどの洪水で壊れてしまった。多くの人が
亡くなった。他の人達は教会に避難して生き延びた。ここではすでに復興が始まっ
ていた。人々の切なる願いは、自分達のコミュニティにとどまることであって、避難
キャンプに行く事ではなかった。
Jaklit
またしても、ここで教会は生存者達の避難所になっていた。しかしこの教会はサイク
ロンによって屋根を失っていた。つまりここには風雨から身を守るものがほとんどな
く、雨が入り続けるという事だ。人々はいまだに怖がっている。しかし、Jaklitの被害
は他の地域の荒廃に比べれば最小限のものだった。救援チームはコミュニティの
リーダーに食料を渡してきた。
Maubin
ある高校は1,300人の家となっていた。ここでは、喪失の痛みが明確だった。家を失
くしたことに加えて、Maubinの多くの人達は愛する人を失ったという体験を持ってい
た。ある1人のおばあさんは、2人の子供と12人の孫をサイクロンで亡くした、と涙な
がらに悲痛な話を語った。
サイクロンは夜人々が眠っている間に襲ってきた。多くの人々が服や靴さえ無い状
態でいた。ヤンゴンの教会のグループはこのコミュニティの窮状を聞き、服や靴、
油、蚊帳、食料そしてその他の基本的な生活必需品を集め、その日のうちに配っ
た。それらはなんとしても援助が必要なコミュニティにとって目に見える希望であっ
た。
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.14
下記に国際NGO、Action Against Hungerの現地調査レポートを掲載します。人間の命に何よりも大切だといえる清潔な水を得ることが難しい被災地の厳しい状況が伝えられています。
同NGOは飢餓状態にある地域への支援で30年以上の経験を積んでおり、これから緊急を要する人を優先的に支援が行われるということです。このようなNGOが様々な場所でそれぞれの持ち味を発揮していくことができること、そのための条件が整えられていくことは大切なことでしょう。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:Action Against Hunger (ACF) 2008.5.18 レポートより抜粋
・Bogaleで行ったACFの調査に参加したサイクロン生存者の全てが一番優先して考えているのは食べ物のことである。一日中人々は食料を探し、見つけた食料の料理方法を考えている。15日以上たっても、彼らは野生の果物や野菜、乾かそうとしてはいるがカビ臭い米などを自ら調達して食べているのがほとんどである。
・米の値段はサイクロンが来てから4倍になった。(現在1袋60,000カヤット/60ドル)72%の生存者はサイクロンの前には一日3食食べていたのに対し今は2食しか食べていない。86%の生存者は傷んだ米を食べ、一食あたりの量は以前の半分だけである。サイクロン後の1週間で人々はすでに飢えていたと言っている。
・75%の生存者が、とくに郊外では、塩や瓦礫、動物の死体や人間の遺体で汚染された池から水を集めている。95%のトイレが壊れ、糞便による水源の汚染が引き起こされる。公衆衛生や基本的な処置に対する取り組みがすぐにも回復しなければ、マラリヤや肺炎の危険性がある。生存者の23%が病気だと言っている。水を原因とする病気はすぐに栄養失調を引き起こす。
・雨期の始まりにあたって、雨水を集めることは重要である。仮設の屋根に使えて、折りたためば雨水を貯める容器として使えるプラスチックシートを配っている。飢えた人々は水には注意を払わない。彼らが優先するのは食べること。人間とくに病人は、バランスのとれた食事を食べ、安全な水を飲むことが必要である。
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.13
ミャンマーに大型サイクロンが襲ってから3週間余りが経ち、現地に入ったNGO
からも現在の被災者のたいへん困難な生活の様子が伝えられています。下記
のレポートにあるように、国際的な援助、支援、国内の援助団体、隣人同士の
助け合いによって、少しでも新たな生活への糸口を掴んでいってほしいもので
す。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:World Vision
日 付:2008.5.17
ミャンマー・デルタ地帯における生存者の切迫したニーズに応える援助
Ma Than(仮名)は、エヤワディデルタの町の僧院の前で援助を受けるために
行列を作っていた何百人もの家を失くした人々の中の1人である。付近ではサ
イクロン・ナルギスが50戸のうち40戸の家を破壊した。その中には彼女の家も
含まれている。
Ma Thanはすんでのところで外へ出た。夜の8時頃、サイクロンが襲ってきて潮
はすぐに上がってきた。「私の家はゆっくりと水につかっていった。風もだんだん
強く吹いてきて、しまいに私の家は揺れだした。」
嵐からの避難10時頃だった。Ma Thanは一番幼い息子を連れてすぐに家の外
に走り出した。彼女の夫は他の2人の子供を連れ出した。彼らが家を離れるや
いなや、二本の木が彼女の家に倒れてきて、家を壊してしまった。
あたりは全て暗く、彼らが向かおうとしていた方は見えなかった。風を伴った雨
は彼女の背中を鞭で打つように当たった。しかし彼女は止まらずに、子供達を
しっかりと抱え、避難できるだろうと思われる方へ進んでいった。
ついにMa Thanと家族は小学校に着いた。しかしドアは閉まっていた。彼らは
力いっぱい開けようとしたが、5フィートもの深さのある水の中を歩くという強行
軍の後でとても疲れてしまっていた。彼らは学校の窓を壊し、机をくっつけて子
供達をその上に乗せた。嵐が屋根を壊してしまった時には、黒板を天井に吊り
上げた。雨が完全に上がるまで、雨にぬれて凍えながら、そこで9時間避難し
ていた。
「一番小さい息子は真っ青になっていた。私は彼が死んでしまうと思った。」
家と衣類と全ての持ち物を高潮に持って行かれた彼女は「服も今着ている物
の他は何もない。」と疲れ切った様子で言った。
今、彼女と家族は二本の竹の棒で支えられた藁葺き屋根の下で暮らしてい
る。そこには壁はない。夫と一番年長の息子は肉体労働者として働いていた
が、今は仕事がない。彼女は10年生の息子と6年生の娘のことを心配してい
る。学校がいつ再開されるか誰も知らない。制服も本もだめになってしまい、そ
れを再び買うことは彼らにはできない。
援助の到着援助(物資)がやっと届いたのでMa Thanは初めに受け取ったそれ
らのものを何とか維持している。それらは、米14kg、仮設の屋根に使う防水
シート、バケツ1個、毛布2枚、ルンギー(ミャンマーの衣装)2枚、Tシャツ2枚、
蚊帳1張、ボトル入りの飲料水6?、である。
World Visionはサイクロン・ナルギスの後、この僧院で米と水を配給した最初の
国際組織である。今のところ、Ma Thanと彼女のところと同じような家族は、蓄
えのあった隣人や、米や水や軽食を配給してくれた地元の団体などの寛大な
こころざしに頼っていた。
「ここで私は毛布をもらったので、もう寒さの中で眠らなくてもよくなった。」と彼
女は喜びに震える声で言った。「このあたりでは藁を買うことができないので、
何か屋根に使えるものを探していた。今はWorld Visionがこの防水シートをくれ
たので、少なくとも私の子供達は雨にぬれずに過ごすことができる。」
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.12
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。昨日の続きのレポートです。>
何千もの子供達が亡くなり、危険な状態にある(5.16 レポートより抜粋訳)Save the Children(セイブ・ザ・チルドレン 以下SC)によると、最大で2,000人にも及ぶとても幼い子供のサイクロン生存者は、両親を失うか見つけられないという状態で、ミャンマーのSCのチームは国連や他の人々と一緒に、休むことなく、子供達がはぐれてしまった家族を探し出そうとしている。
SCのミャンマー副ディレクターのGuy Caveは語った。「とても幼い子供達は、我々に自分の村の名前や両親の名前すらいえない可能性があって、もっとも助けにくい事にしばしばなる。我々の一番緊急とする務めは、彼らが安全でちゃんと面倒を見てもらえるようになる状態を確保することである。それから両親を探すというもっと複雑な仕事にとりかかる。電話もアドレスもテレビもラジオも、コミュニケーション手段が何もない状況で誰かを見つけるということを想像してみてほしい。それは難しいことだが、我々は津波の後、何千もの家族を再会させたので、ここでも同じようにやるつもりだ。」
Myaung Myaでは、多くの家が被害を受けた所から北へ約70マイルのところに500人の生存者が仮住まいをしている、とWorld Vision(ワールド・ヴィジョン 以下WV)は報告した。ナルギスの12フィートの高潮と時速120マイルの風は多くの子供達から両親や兄弟姉妹を奪って彼らを置き去りにしてしまった。「とくに避難所の中で孤児達を見つけることは難しいことではない。彼らはどこにも行くところがない。すべての子供達が同じような悲劇を体験していた。20マイル以上内陸の町に高潮がものすごい勢いで押し寄せてきた時、家族の多くがなくなったと彼らは言っていた。ある8才の女の子は家族4人全部を失った。」とWVの報道官は語った。
子供達は両親や保護者と離れて心を痛めているだけでなく、大変大きな危険にもさらされている。窮屈な仮設キャンプで、よく知らない大人たちのすぐそばで暮らしている子供達は、虐待や放置や病気などの被害に遭いやすい。とくに幼い子供達は自分の身の回りのことをする術を身につけていない。人身売買業者による危険にも遭っている。
このような子供達を救うために、WVはヤンゴンとその周辺に37の『子供なかよし広場』をつくり、多くの子供達が、孤児になったり、傷ついたり、病気になったりする危険のある荒廃した状況を切り抜けられるように支援している。500,000人とみられる被災した子供達の多くは、ゲームをしたり、私的な教育を受けたり、気にかけてもらい支えとなってくれる環境の中で、訓練を受けたWVのボランティアに促されて経験を分かち合うといったことができるだろう。
「何千もの子供達は情緒的に傷つきやすくなっているし、愛する人を失ったり、家から逃げなくてはならないというような想像を絶するような恐怖に立ち会った後の心的外傷の危険にあるだろう。」「『子供なかよしひろば』は、無理やり家を出て行かなくてはならないという現実に親達が対処しようとしている間、子供達に打ち解けた気分を取り戻させ、日課をつくる手伝いをするところになるだろう」とWVの児童保護の専門家Samson Jeyakumarは語った。
SCは国中の仮設キャンプに安全な遊び場を作っている。これらの「プレイスクール」は大きな緊急事態後の悪影響に対してとても重要なものとなる。そこは子供達がサイクロンの心的外傷から回復するプロセスを始めるのに安全な場所で、親達には生活再建という長く困難な仕事を始めるための多くの時間を提供するところになる。
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.11
救援ニュースNO.9でお伝えした、ミャンマーを訪問中の国連事務総長が軍
政トップとの会談で、23日「すべての救援組織を被災地に受け入れる」との
合意を得たという報道がありました。
その後援助団体の入国が進んでおらず、特に被害の大きかったイラワジデ
ルタへの外国人の訪問を軍事政権が極端に制限しているとの報道もありま
した。
下記の国際NGO、CAREのレポートからは災害弱者である女性、子ど
も、高齢者の死亡率が高く、それだけに少数者でもある生存者への配慮が
特に大切であることがわかります。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:CARE 2008.5.16 レポートより抜粋・要約
・イラワジデルタの貧しい農民が、まもなくやってくる雨季にむかって米作りの
ための植え付けをする能力は、サイクロンの影響を受けて大変落ちている。
ひどい災害のせいで、必要とされる種、肥料、荷車用の動物、そして労働力
などが不十分になっていて、それらがこれからの農作業にひどく重大な影響
を与えることになる。
・最近の見積もりでは、イラワジ区域の130,000戸とヤンゴン区域の117,000
戸の農家がサイクロンの影響を受け、収穫高の全被害は、585,000トンの備
蓄分を含む約718,000トンと見られている。
・CAREのスタッフは食糧や水、その他の緊急物資を80,000人以上の人々に
配ったが、強い雨で被災地に近づくのは困難だった。ヤンゴンではオートバイ
で被災地へ近づいたが、雨で道路状況が悪化しているところでは小さな船を
雇って近づいた。
・以前は200人が住んでいた村に、今では5人か10人しかいないというところ
もあって、コミュニティの壊滅は衝撃的といえる。
・最もひどく被災した地域では、死亡者の90パーセントが女性や子供そして
高齢者である。
キャンプには多くの大人がいたが、子供や高齢者の数はとても少ない。多く
の子供が溺れて、命を失ったとみられる。ある村では500人の生存者すべて
が大人だった。
多くの女性と子供は男性のように速く走ったり泳いだりできないので、洪水
に押し流されてしまった。早く動くことのできない高齢者は家の中で逃げ場を
失って亡くなった。
・CAREのスタッフは、避難所に着いて災害弱者である生存女性達に出会
い、話を聞くことで、特に女性のための衛生用品のように今一番必要とされ
ているものは何かを汲み取り、どのような援助が必要かを決めるよう努力して
いる。
・ヤンゴンとイラワジデルタの最悪の被災地に配っている家族用緊急救援
キットは、ミャンマーの平均的な家族の大きさである5人家族用に作られてい
る。しかし生存者達がCAREのスタッフに言うには、無傷で残っている家族は
とても少ない、ということだ。
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.10
サイクロンによる被害は直接被害を受けた地域だけではなく、米作地帯
であるイラワジデルタでの水田の被害によって、ミャンマー1国をも超えて
影響を被る米不足となることが危惧されています。
まさに地域、国境を越えてこの災害に立ち向かうことの必要性を表す出
来事ではないでしょうか。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:Reuters Foundation 2008.5.15 記事より抜粋・要約
・FAO(国連食糧農業機関)は、イラワジデルタの米作地帯を含む、被災
地域として指定されている5つの米作地の20パーセントがサイクロンの被
害を受けたと発表した。貯蓄してある収穫物もひどい被害を受け、田植え
の時期はすでに始まっているが、次の新しい収穫が難しい状況にある。
・ほとんどがデルタ地帯と旧首都のヤンゴンの周辺にある全部で
3,200,000ヘクタールの水田のうち、650,000ヘクタールが被害を受けた、
とミャンマー農業省はみている。
・デルタの主要な米作地帯がサイクロンの12フィート(3.5メートル)の高潮
によって水没したことで、そこに多くの塩が残っている。モンスーンの雨
がそれを洗い流してくれることをFAOは期待している。
・米不足による飢饉の危険性は予断を許さない状況にある。この時期に
田植えの機会を失すると、米の輸出国であったミャンマーが米を輸入しな
ければならなくなる、とFAOの地域長官は述べた。
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.9
今朝の新聞各紙に国連事務総長が22日からミャンマーの最大都市ヤンゴン
に入り、軍事政権首相と会談し、国際社会からの人道援助を求めたが、
同首相は「被災者支援の局面は終わった」として援助人員の受け入れを拒
んだとの報道がされています。食料、物資などの援助とその公平な分配は
災害救援において欠かすことのできない要素であり、一刻も早い受け入れ
が期待されますが、多くのものを失って今懸命に生きている被災者の心の
ケアもまた重要であるということを下記のレポートは伝えています。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:UNICEF 2008.5.15 記事より抜粋・要約
「災害から生き残ったことが、大きな不幸だ」
(Ma Su Su(仮名)と3才の娘はPyapon 郡のLeikkukoneパゴダ(仏塔)に他
3,000人の生存者とともに避難している。彼女は夫と1才の娘を失ってこれか
ら先のことを考えられない。)
「私達の家はすぐにばらばらになって流されてしまった。私達は高い所に走っ
ていこうとしたけれど、壊れた家や木にぶつかってしまい、二人の娘を抱えた
まま水に落ちてしまった。そして娘が1人腕から落ちて水に流されてしまった。
夫は娘を追って泳いでいこうとしたが、その後、私は二度と彼を見ることはな
かった。」
このパゴダは嵐の当日の夜から避難所になっている数少ない場所のうちのひ
とつである。ここの状況についてA.Shin Nandamarlarは語った。「ここではすべ
ての人々に十分な物がないので、あるものを皆で分け合っている。最初、ここ
には約3,500人がいた。その後、何人かは離れた家族を探しに自分の村に
戻っていったので、今この僧院には3,000人だけがいる。何人かは夜だけここ
へ戻ってくる。」
郡の幹部は食料を配給しているが、まだ足りず、ミャンマー赤十字やUNICEF
は非常物資を被災地に急いで配給している。水質浄化の錠剤、下痢や脱水
症のための経口補水塩、救急箱、必要な薬、避難場所のための防水シート、
他基本的な生活必需品などである。
サイクロンの惨事の後の一週間、Pyapon郡には45の仮設集落に17,000人が
いた。幹部は他の郡の避難所に僧院から移るよう勧めていた。しかし、他の
女性の生存者達とささやかな友情関係ができたMaは立ち去ることを渋ってい
る。「ここの生存者達は食料や飲料水を求めて必死にもがいている。私達は
愛する人とあらゆる持ち物を失くした。今私が持っているすべてはこの娘だけ
だ。人は、あなたは災害から生き残ったと言うけれど、今はそれが大きな不幸
だ。」と彼女は言った。
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ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.8
今朝の毎日新聞朝刊に「小さな援助も大きな力」という見出しで、被災地の状況
が伝えられています。報告しておられるのは、岡山県倉敷市の医師、吉岡秀人さ
んで、「ヤンゴン南西部では農家の大半が倒壊。被災者は寺院や学校に避難した
が、各地で道路が寸断され救援物資が届きにくい。約1週間食べていない住民や、
下痢や発熱を訴える子どもも多い」という内容のようでした。”天災は自然災害、そ
の後は人災”を如実に表している光景です。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:UNICEF 2008.5.15 記事より抜粋・要約
・ ヤンゴン管区のKoe Taung村では439戸の住宅のうち10戸だけが被害なく残っ
ている状況だった。小屋や家畜は水没した土地に散らばったままである。いたると
ころで海水につかった種籾を防水シートの上で乾かしていたが、次の収穫はわず
かなものになるだろうと村人は語った。
・ Koe Taung村では小学校が破壊されてしまい、338人の生徒達は教室を失っ
た。先生や生徒達はできるだけ早い学校の再建を望んでいるが、再建には外国の
援助を必要としている。
・村人達は、湿った土地にトイレ用の穴を掘ることで水が汚染されてしまうことを知っ
ているので、より高い場所にトイレを再建している。以前は飲料水に使っていた村
の10のため池の水は、今全て安全ではなくなっている。村人達は飲料水を雨水に
頼り、池の水は洗濯だけに使っている。UNICEFは水の浄化用粉末を配給し、池の
水を飲用に適したものにするにはどうしたらよいかを教えている。そこでは下痢や水
を原因とする病気の危険性がいまだ大きい。
・安全な飲料水のためには雨が必要だが、食糧の蓄えを乾かすためには太陽も必
要である。次にやってくる嵐や高潮をかろうじてしのぐだけの一時しのぎの家を直し
ながら村人達は村にとどまっている。
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