ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.13

ミャンマーに大型サイクロンが襲ってから3週間余りが経ち、現地に入ったNGO
からも現在の被災者のたいへん困難な生活の様子が伝えられています。下記
のレポートにあるように、国際的な援助、支援、国内の援助団体、隣人同士の
助け合いによって、少しでも新たな生活への糸口を掴んでいってほしいもので
す。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:World Vision 
日 付:2008.5.17
ミャンマー・デルタ地帯における生存者の切迫したニーズに応える援助
Ma Than(仮名)は、エヤワディデルタの町の僧院の前で援助を受けるために
行列を作っていた何百人もの家を失くした人々の中の1人である。付近ではサ
イクロン・ナルギスが50戸のうち40戸の家を破壊した。その中には彼女の家も
含まれている。
Ma Thanはすんでのところで外へ出た。夜の8時頃、サイクロンが襲ってきて潮
はすぐに上がってきた。「私の家はゆっくりと水につかっていった。風もだんだん
強く吹いてきて、しまいに私の家は揺れだした。」
嵐からの避難10時頃だった。Ma Thanは一番幼い息子を連れてすぐに家の外
に走り出した。彼女の夫は他の2人の子供を連れ出した。彼らが家を離れるや
いなや、二本の木が彼女の家に倒れてきて、家を壊してしまった。
あたりは全て暗く、彼らが向かおうとしていた方は見えなかった。風を伴った雨
は彼女の背中を鞭で打つように当たった。しかし彼女は止まらずに、子供達を
しっかりと抱え、避難できるだろうと思われる方へ進んでいった。
ついにMa Thanと家族は小学校に着いた。しかしドアは閉まっていた。彼らは
力いっぱい開けようとしたが、5フィートもの深さのある水の中を歩くという強行
軍の後でとても疲れてしまっていた。彼らは学校の窓を壊し、机をくっつけて子
供達をその上に乗せた。嵐が屋根を壊してしまった時には、黒板を天井に吊り
上げた。雨が完全に上がるまで、雨にぬれて凍えながら、そこで9時間避難し
ていた。
「一番小さい息子は真っ青になっていた。私は彼が死んでしまうと思った。」
家と衣類と全ての持ち物を高潮に持って行かれた彼女は「服も今着ている物
の他は何もない。」と疲れ切った様子で言った。
今、彼女と家族は二本の竹の棒で支えられた藁葺き屋根の下で暮らしてい
る。そこには壁はない。夫と一番年長の息子は肉体労働者として働いていた
が、今は仕事がない。彼女は10年生の息子と6年生の娘のことを心配してい
る。学校がいつ再開されるか誰も知らない。制服も本もだめになってしまい、そ
れを再び買うことは彼らにはできない。
援助の到着援助(物資)がやっと届いたのでMa Thanは初めに受け取ったそれ
らのものを何とか維持している。それらは、米14kg、仮設の屋根に使う防水
シート、バケツ1個、毛布2枚、ルンギー(ミャンマーの衣装)2枚、Tシャツ2枚、
蚊帳1張、ボトル入りの飲料水6?、である。
World Visionはサイクロン・ナルギスの後、この僧院で米と水を配給した最初の
国際組織である。今のところ、Ma Thanと彼女のところと同じような家族は、蓄
えのあった隣人や、米や水や軽食を配給してくれた地元の団体などの寛大な
こころざしに頼っていた。
「ここで私は毛布をもらったので、もう寒さの中で眠らなくてもよくなった。」と彼
女は喜びに震える声で言った。「このあたりでは藁を買うことができないので、
何か屋根に使えるものを探していた。今はWorld Visionがこの防水シートをくれ
たので、少なくとも私の子供達は雨にぬれずに過ごすことができる。」
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