月別アーカイブ: 2006年7月

ジャワ島中部地震ニュース第46報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.28
 ジャワ島のジョクジャカルタ市には4つの国立大学と63の私立や専門大学があるそうだ。まさに大学の町である。そのひとつである国立ガジャマダ大学(UGAM)は、今回のジャワ中部地震の復旧・復興の中心的存在である。日本の神戸大学や九州大学とも学術交流を以前から行っていたそうで、今回のこの地震でも様々な協力、支援を行っている。大学の工学部の教授にお話を聞いた。ちょうど前日に神戸大学の教授も来ていたそうだ。まだはっきりした事は決まっていないようだが、政府からUGAMが先頭になってやるように言われているそうだ。現在は、被害家屋の調査を中心に今後の仮設住宅や学校の再建などを考えているそうで、モデルになる学校の設計図も見せてくれた。また、耐震の技術指導やKKN(課外授業)の学生を通じて耐震や建築基準の遵守などの意識喚起なども考えているという。
教授は、「地震の経験のある日本からは再建の過程の中で我々の足りないを部分を教えてほしいと。。」と語っていた。11年前の阪神淡路大震災からの復興の智恵や経験を是非「KOBE」から発信してもらいたい。そして今、復興へ向けて歩み始めてた中越からもメッセージを送ってもらいたいものだ。日一日と過去のものになりつつあるジャワへ向けて。。。
*吉椿雅道のつぶやきレポートは今回で終わります。
7月24日から30日まで、CODE事務局長の村井雅清がジョグジャカルタ入りしますので、また新しいレポートをお届けします。

ジャワ島中部地震ニュース第45報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.27
 ガジャマダ大学には、約5万人の学生がいる。5月27日の地震直後、たった6人で始めたボランティアも今は4000人の規模になっているという。一割近くの学生達が何らかのボランティア活動に携っている事になる。その最初の6人のひとりであるハシくん(20)は、いつの間にかリーダーになってしまったという。おとなしい性格ではあるが、大学内のセンター(POSKO)で動く60人の代表として動いている。センターでは物資班、情報収集班、輸送班、無線班などと役割分担して活動している。工学部の学生は担当教授と被災地で家屋の被害調査(被害の程度によって三色の紙を張っている)を行ったり、教育学部の学生は子供たちの歌や踊り、お絵かきなどでトラウマケアにあたり、今後はトラウマセンターを作るそうだ。 

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そしてインドネシアの大学には、KKN(カーカーエヌ)という課外授業のシステムがあり、夏の2,3ヶ月間農村部などに学生が入り、住民と共に地域の問題を考えていくそうだ。ガジャマダ大学はじめジョクジャカルタの各大学では早速このKKNで被災地に学生を派遣している。またKKNのOBなどもすでにある地域住民との関係性を生かして動いてるともいう。地元の銀行などの企業も学生たちの為にTシャツなどを作って応援している。企業が学生を支え、学生が被災地を支える。インドネシアのように災害前から学生が地域に入るようなシステムが日本にもあるといい。被災地から学ぶ事は多い。。。

ジャワ島中部地震ニュース第44報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.26
04052006 422-s.jpg 世界一人口密度の高い島、ジャワには子供が多い。この地震の被災者の4割は子供たちだと言われているが、それも頷けるほど子供の姿をよく見かける。被災地バントゥル県には、小・中・高、合わせて約1000の学校があるといわれる。公立、私立、イスラム系など様々だ。その多くは校舎が全、半壊して、今は校内の空いたスペースに仮設のテントを立て、子供たちはそこで授業を受けている。
 バントゥル県のSEYEGAN小学校は80年代に建てられた校舎は全壊した。生徒数172人、教師14人、6クラスのこの学校はちょうど中庭に仮設のテントを建てたばかりだった。この学校は、昔、地域でお金を出し合ってゴトンロヨン(相互扶助)で建てたそうで、250万RP(約300万円)かかったそうだ。当然、非耐震性のものである。
 政府が学校再建をやるというが、当然、公立校が優先されるだろうと先生たちは言う。イスラム系の学校は、イスラム系財団がやるだろう。残りの私立の学校の再建を国際機関やNGOがやる事になるであろう。JICAも数百校の再建を考えているようである。
 立ち話で話しを聞かせてくれた先生たちは口をそろえて「俺たち教師も被災者なんだ。。」、「今は自分の事しか考えられない。」と。。それでも先生たちは、「こうやって集まってようやく冗談が言えるようなったよ。」、「やっと笑えるようになったよ。。」とつぶやいたのが、印象的だった。。。。

ジャワ島中部地震ニュース第43報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.25

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バティック(ろうけつ染)は女性の仕事である。という事は、当然職人さんも女性という事になる。イモギリのパジマタン村に住むナルジョさん(70)もそのひとりだ。8歳からバティックを始めたというその道62年の超ベテランだ。そのナルジョさんは、現在路上で暮らしている。家が全壊したからだ。。。近所の人たちと道路に雨よけの簡単なシート屋根のテントにゴザの上にマットレスや布団を敷き、寝泊りしている。9人家族で、旦那さんは、この近くにある歴代の王族の墓守をしていて、ナルジョさんは、全壊した自宅でささやかな商店を営みつつ、奥の工房で地震の前日までバティックを作り続けてきた。地震のあったその日、ナルジョさんは寝ていて、逃げ出す際に額や左手を怪我したそうで、今でも傷跡が痛々しく残る。潰れずに残った奥の工房兼台所には、バティックの道具であるチャンティンなどが散乱していた。。

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ナルジョさんは自分で作った見事なバティックのサロン(腰巻スカート)を身に付けていた。見事な模様が描かれていて、手の込んだものは2ヶ月かかるそうだ。自分が身に付けるために自分で作るという当たり前の暮らしがそこにはあったんだなと思った。「場所があればまたバティックをつくりたいね。。。」と語るナルジョさん。。。
別れ際、また素敵なバティックを作れるようになるといいですねと声をかけると、
「あなた、何言ってるんだい!あたしが作るバティックは素敵に決まってるじゃないか!!」と強気な発言で笑ってくれた。。自分の腕に誇りを持っているんだな。。歴史の詰まったナルジョばあちゃんのあの皺くちゃな笑顔は忘れられない。。。本当に心から笑える日はいつ来るのだろうか。。。

ジャワ島中部地震ニュース第41報


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【写真】絵付けをするワヤン職人さん
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【写真】伝統工法で建てられたスプリさんの工房

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.23
 ワヤンの街、バングンジウォでワヤン人形工房を経営するスプリ(46)さんは、兄のサギオ(53)さんなどの職人さんを5人抱えている。竹や木材を多く使った伝統工法で1971年に建てられた工房はほとんど無傷だった。
地震後、スプリさんは被害にあった職人さん達の自宅を訪ね、救援活動を手伝ったそうだ。このワヤンが全盛の頃、この工房には40人の職人さんがいたそうだが、今は5人になってしまった。このバングンジウォ集落でも当時100人いた職人は今は50人ほどに減ってしまった。被災したスプリさんの工房の職人さんは、未だ仕事に来る事が出来ない。また素材の水牛の皮の業者も被災しているという。
 スプリさん、サギオさんは、この道30年以上のベテランだが、近年のワヤンの衰退のを憂う。」「ワヤンの演じ手を育てる学校はあるが、作り手を育てる所がないんだよ。」、「25年後にはただの記念物になるだろう。。。」と。 
  
 そんなワヤンの影絵芝居の物語の中には時の社会を風刺したものや災害の教訓のようなものもあるという。そんなワヤンクリッ(影絵)を使って子供達に防災教育を伝えていきたい。いかにいのちを守るかを。。そして将来子供達の中から職人が出でくる事を切に願う。。。

ジャワ島中部地震ニュース第40報


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【写真】ワヤンを操るスタンティーさん。
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【写真】ワヤンクリッ(影絵人形芝居)

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.22
 インドネシア、ジャワ島には、ワヤン・クリッと呼ばれる影絵人形芝居がある。現在でも村の婚礼や割礼、祭りなどの行事の際に夜通しで行われ、屋台や夜市が出て子どもから大人まで賑わうという。元々は、影絵ではなかった為か、水牛の皮で作られた人形には、非常に細かい細工が施されている。皮に下地を書き、切ったり、穴を開けたりして型を作り、その後に絵付けをするという手間のかかる仕事だ。小さい人形で三日かかるという。その人形の職人たちも多く被災した。
バントゥル県の南西部十数㎞のバングンジウォという集落は、ワヤン職人の街だ。そのひとりスタティーさん(37)は、この道15年の職人だ。工房兼自宅はそれほど被害はなかったそうで、僕達が訪ねた時は仕事をされていた。「ワヤン作りだけじゃ、メシ食えないからこれ作ってるのさ。。」と本皮細工を作っていた。そしてこれまで作ってきた人形を数々を見せながら説明をしてくれた。
 現在、ジャワではワヤンのような伝統芸能に若者が興味を示さなくなり、衰退の危機にあるという。スタティーさんは「ワヤン作りも俺の代で最後だろうな。。。」と寂しそうに語った。それでも「伝統を守るために作り続けるよ。」とも言っていた。
 地震によってこのバングンジウォの職人たちは自宅が被害を受けて、未だ仕事に出て来る事が出来ない。この地震でワヤンの衰退に拍車がかかると言われている。被害は様々なところに影を落としている。。。 

ジャワ島中部地震ニュース第39報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.21
ジャワに息づく伝統文化のひとつに「陶芸」がある。ジョクジャカルタ特産の赤土を使って作る陶器や土器は、国内外からも高く評価され、日本やヨーロッパから買い付けに来る客もいたという。

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【写真】陶芸の町、カソガンの惨状
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【写真】地場産業である「陶器」

陶芸の町で知られるバントゥル県、カソガン。ジョクジャカルタ市の南西に位置するこの町では、人口2900世帯のうち約1割の約300世帯が陶芸にたずさわるという。本来、素朴な作風のジャワ陶器にヒンドゥー教の神話をモチーフにした芸術的要素を加えて高く評価され、70年代以降発展してきた。それにともなって多くの人が近郊から働きに来るようになり、陶芸の町として有名になったという。
このカソガンは被害の大きい活断層エリアからは離れているにもかかわらず、多くの被害を受けた。町を通る道路沿いでは、倒壊した家屋の中に割れた陶器の破片が散らばる風景が広がる。そして工房、ショップのオーナや職人と思われる被災者の人々が、ガレキの中からまだ「売り物」として使える物を分別していた。
倒壊したショップ兼工房(70年代に建てた)のオーナーであるティティさん(30)も売り物としてまだ使える壺や花瓶などの陶器などを倒壊した店から取り出していた。8人の家族の中では軽傷者のみで、このRT(隣組)では死者は出なかったが、隣のRTでは4人ほど亡くなっているそうだ。今は、POSKOから食料をもらいながら敷地内に張ったテントで暮らしている。「陶器はね、ここで作って、ここで売っていたのよ。マレーシア、オランダあたりからも買い付けに来てたわよ。」
今後の見通しの立っていないティティさんは、同業者の協同組合のようなものはないので自分達で何とかするしかないと言う。「親戚同士で家を建て直して暮らすわ。。。」
ティティさんと話していると実は、このカソガンの町の陶器の多くは農村部のパンジャングルジョーという被害のひどいエリアから来ていることが分かった。観光地ジョクジャカルタの地場産業のひとつでもある「陶器」。それを支えるのはカソガンのような近郊の町である。そしてそれを支えているのは農村部のパンジャングルジョーである。
被災地はこうやってつながっている。。。

ジャワ島中部地震ニュース第38報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.20
ジャワ島中部地震の被災地では震源地の海岸から北東に活断層が通っている。その断層上が大きな被害を受けた。ジョクジャカルタ特別州(DIY)のバントゥル県、そしてもうひとつ中部ジャワ州のクラテン県で甚大な被害があった。

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【写真】バトゥラン第1小学校の子供たち
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【写真】バトゥラン第1小学校の惨状
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【写真】再開した授業風景

クラテン県では、地震直後、救援物資の遅れが目立った。DIYのジョクジャカルタに集まってくる物資はたった十数㎞の州の違うクラテン県に届くのには時間がかかった。
DIYと接する断層沿の県の南部は、道路沿いの集落を除けば広大な田園地帯だ。クラテンのお米は、ジャワの中でも美味しい事で有名だという。そんな田園風景の中にあるガンティワルノ郡のバトゥラン第1小学校(生徒数119名)ではその日、子供達の歌声が響き渡っていた。
全壊してほとんど跡形もないガレキの山の中に散乱した教科書が、ここがかつて学校だった事を気づかせる。ほんの3日前にテントで授業が再開したばかりで子供たちはとても元気に音楽の授業を受けていた。校長先生であるカルティアニさんが言うには、政府やNGOなどからテントと教科書が配られ、ようやく再開出来たと。幸いこの学校の生徒の中に死者は出なかった。だが、未だ学校に来られない子供もいる。津波のパニックで8km先まで逃げたという子供もいたそうだ。
突然の外国人の訪問に皆、元気に唄って歓迎してくれた。が、校長先生が、「皆、元気そうに見えるけど低学年の子たちは外からは分かりにくいのよね。。。」、「ほら、あの子見て。ずっとああやってボーッとしているのよ。トラウマね。」と教えてくれた。教育局から配られた制服は、わずか40%のみで中には制服を着ていない子もいた。靴をなくした子はサンダルで来ているとも。。
学校再建を政府がやるという話しはあるが、まず国立の学校が優先される事になる。イスラム系の学校はイスラムの財団が再建するだろう。問題は、私立の学校である。世界一人口密度の高い島であるジャワ島では、子供が多い。被災者の4割は子供だといわれる。被害を受けた1000校ちかくの学校をどこまで再建できるか。。政府がやらない、やれない事をNGOがやるべきだろう。集落の中にある学校の子供たちが元気になれば親が変わり。地域が変わる。そんな相乗効果を期待したい。。。
【関連の動き】
(ジャワ島地震支援チャリティコンサート)
日時:平成18年7月30日(日) 14時30分~16時30分
場所:レストラン「ファサン」大阪市中央区谷町4丁目 電話06-6966-7621
料金:3,000円 (1ドリンク付、収益は全額義援金として寄付)
主催:NPO-KMWs
問合わせ・申込み:電話/FAX 072-427-7190 (NPO-KMWs 代表 沖野真)
イベント:
 第一部 ジャワ島をもっと知ろう
 ・インドネシア民族楽器 アンクロン演奏
 ・二胡アンサンブル演奏 茉莉花
 第二部 インドネシア舞踊(ジャワ舞踊・バリ舞踊)
司会:FM COCOLOのDJシャオチェンさん(毎週月曜日午前6時半~7時放送担当)

ジャワ島中部地震ニュース第37報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.19
インドネシア、ジャワ島を襲った地震から5週間。約150万人といわれる被災者の人々は、今もなおガレキの中のテント、掘っ立て小屋に暮らす。
今回の地震は、人々の集落だけではなく、世界遺産のプランバナンにも甚大な被害をもたらした事は、マスコミなどの報道で知る人も多い。が、その北側にひっそりと農村の中に建つプラオサン寺院も被害を受けた事を知る人は少ない。プランバナンと同じ9世紀に建てられたヒンドゥー遺跡で南北二つの寺院からなり、壁に描かれたレリーフは目を見張るものがあるが、訪れる人は少ない。

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【写真】プラオサン寺院の前の避難テント
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【写真】物資を手にするスミナさん

プラオサン寺院の入り口にもPOSKOがテントで作られ、その横に数家族が避難生活をしている。
そこで寝泊まりするスミナさん(40)は、7人家族でプラオサン寺院のすぐ前で時折訪れる観光客を相手にささやかな商店を営んでいた。自宅も商店もやはり全壊である。このブキサン村では(120世帯、332人)3人の命が奪われた。旦那さんは頭にケガをしたが、息子さんは屋内で朝のお祈りをしていたが無事だったという。
「地面がゆれた。。」というスミナさんは、ちょうど料理を終えていたので、火事には至らなかったと語ってくれた。「バイクも家具も全部駄目になった。商店も商品も駄目になってしまったよ。。」と。。。
最後にPOSKOに詰めてい村の若者達にギターで唄ってもらい、お返しに11年前に阪神の避難所で唄った「花~すべての人の心に花を~」を唄った。11年前の阪神とジャワがダブって見えた。。。
プランバナンという光の裏にプラオサンという影があり、そこにも被災者の人々がいるという事を忘れてはならない。。
*ジャワ地震関連情報として、World Voice(http://www.code-jp.org/wv/)に「ここが私たちの家」をアップしました。併せてご覧下さい。

ジャワ島中部地震ニュース 第36報

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【写真】被害のあったジャワ舞踊研究所
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【写真】ここで子どもたちが舞踊を学んでいた

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.18
 ジョクジャカルタには伝統文化が息づいている。そのひとつにジャワ舞踊がある。ジョクジャカルタ市内にあるジャワ舞踊研究所は、今や市内にたった二つしかない民間の舞踊の学校である。それは、大通りから細い路地を入った集落の中にひっそりとあった。この地震によって生徒達が舞踊を学ぶ舞台の屋根の一部は落ち、別棟の事務所や舞台道具置き場も大きな被害を受けた。
 非常に穏やかな校長先生は、「TVで日本の地震の事を見たことあるけど、まさか自分が地震に遭うなんて。。」と肩を落として語り始めた。自宅の寝室の壁が崩れ、今でも怖くて、外のテントで寝ているそうだ。「この舞台は1900年に建てられて今年で106歳なんだよ。」、「この学校の卒業生の中には日本人やアメリカ人もいて、帰国して大学などで教えている人もいるんだよ。」とこの学校への思いをとつとつと語ってくれた。
 本来は先生10人、生徒は子供から大人まで100人近くの人たちが学び、舞踊の披露の際は、近所の子供達なども見に来ていたという。そう言われてみると周囲には、幼稚園があったり、子供が路上で遊んでいたりとどこか日本の下町を思わせる雰囲気だ。だが、今は、学校を再開できる状態ではない。
 この学校の修復には約70億RP(約8000万円)という莫大な費用がかかるそうだ。今、日本やアメリカ、インドネシアの卒業達が、基金を作って、この母校を修復しようとしている。地域に根ざした伝統文化を復興させる事で人々のこころも復興へと向かっていくのかもしれない。。。
 この日も生徒らしき若い人たちが校長先生の家の片づけの手伝いに駆けつけていた。。。
【関連の動き】
 ヴィッセル神戸ミリオンスマイル親子スポーツDay:親子バドミントン教室が7月17日にアシックス本社アトリウムで開催されますが、今回の参加費用の一部は、バドミントンが国技であるインドネシアのジャワ島中部にて今年5月に起きた大地震への被災支援募金となります。参加者募集中(7/13まで)。
詳しくはhttp://www.vissel-kobe.co.jp/whatsnew/wn_1632.html
または、株式会社クリムゾンフットボールクラブ ヴィッセル神戸スポーツビジネスカレッジ(担当:大山)TEL:078-685-5512(9:00~17:30 土日祝休) FAX:078-685-5502にお問い合わせ下さい。