ジャワ島中部地震ニュース第43報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.25

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バティック(ろうけつ染)は女性の仕事である。という事は、当然職人さんも女性という事になる。イモギリのパジマタン村に住むナルジョさん(70)もそのひとりだ。8歳からバティックを始めたというその道62年の超ベテランだ。そのナルジョさんは、現在路上で暮らしている。家が全壊したからだ。。。近所の人たちと道路に雨よけの簡単なシート屋根のテントにゴザの上にマットレスや布団を敷き、寝泊りしている。9人家族で、旦那さんは、この近くにある歴代の王族の墓守をしていて、ナルジョさんは、全壊した自宅でささやかな商店を営みつつ、奥の工房で地震の前日までバティックを作り続けてきた。地震のあったその日、ナルジョさんは寝ていて、逃げ出す際に額や左手を怪我したそうで、今でも傷跡が痛々しく残る。潰れずに残った奥の工房兼台所には、バティックの道具であるチャンティンなどが散乱していた。。

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ナルジョさんは自分で作った見事なバティックのサロン(腰巻スカート)を身に付けていた。見事な模様が描かれていて、手の込んだものは2ヶ月かかるそうだ。自分が身に付けるために自分で作るという当たり前の暮らしがそこにはあったんだなと思った。「場所があればまたバティックをつくりたいね。。。」と語るナルジョさん。。。
別れ際、また素敵なバティックを作れるようになるといいですねと声をかけると、
「あなた、何言ってるんだい!あたしが作るバティックは素敵に決まってるじゃないか!!」と強気な発言で笑ってくれた。。自分の腕に誇りを持っているんだな。。歴史の詰まったナルジョばあちゃんのあの皺くちゃな笑顔は忘れられない。。。本当に心から笑える日はいつ来るのだろうか。。。