僕の当たり前が僕の当たり前でしかなかった話。
- 2018.01.31
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1月31日
最近少し更新が滞ってしまいました。たぶん寒さのせいです。うそです。ただ少し怠けてました、今日からまた頑張ります。
今日は最近少し考えていたことを、少し書きたいと思います。
僕はイベントの広報など情報発信をすることがとても多いのですが、その中でよく使うのがFacebookです。もうダントツです。イベントのページもこれで作れるし、やり取りも簡単にできます。ザッカーバーグさんありがとうです。他にメールやツイッター、個人的にやり取りをしたりもします。
こういった方法を当たり前に僕は情報発信の際にとっています。
そう、僕にとってはこれは当たり前のことです。
先日、支援者の方からあるFacebookの投稿を紹介していただきました。
神戸で様々な活動をしておられる山崎清治さんという方の投稿です。
下記のような内容でした。
便利になる。豊かになる。ということは、
少数派の人たちには逆の動きになるかもしれない。スマホはものすごく便利で、
色んなことが知らべられて、何でもすぐに申し込みが出来るようになったけれど、
スマホが使えない人には、どんどん不便な世の中になっていく。ネット通販で何でも買えるけど、
インターネットが分からない人には、
リアルな近所のお店がどんどんなくなって、
サポートなしでは何も買えないようになってしまう。多数決で物事を決め、
大量生産大量消費が中心の世の中では、
少数派はどんどん生きにくくなる。『ソーシャルな活動』とは、
そんな世の中、自分の立場で、
様々な少数派の事を考える活動の事ではないのかと。
僕は、イベントの呼びかけ一つ、チラシの作り方ひとつそういった行動の一つ一つに僕は他の人の、自分でない人のことを十分に考えられているだろうか。
ソーシャルな活動を広めたいと言っている割に、知らず知らずのうちに誰かを排除してしまってはいないだろうか。
自分中心で回ってしまう地球の中で、自分でない誰かの事をしっかり配慮できる人間になりたい。
それでは今日はこの辺で。