四川研修を終えて

四川研修を終えて

【四川研修を終えて 愛媛大学3年高橋大希】

この研修に行く前、僕は悩んでいた。

10月から3月までのインターンのほとんどを終えて、僕の中で『将来、NGOという舞台で活躍したい』という思いが沸き上がっているように感じていた。

しかし、その想いが本当に僕の心の底からの想いなのか、この半年の活動を無駄にしたくないという考えからなのか、自分でも自分のことが良く分からなくなっていた。

 

僕は今大学3年生でこれから『就職』をして『社会人』になる。

吉椿さんに以前言われた「自分がこの社会の中でどんな立ち位置で、どんな役割なのか、常に考え続けなければいけない。」という言葉が僕の心の中には深く残っている。きっと『就職』をして『社会人』になる、ということは自分の立ち位置や役割を決める1つなのだと思う。

 

しかし、社会には本当に多くの役割があり、災害復興という分野1つをとってみても多くの関わり方がある。その中でCODEのような小さな団体が広い被災地の中で果たしている『役割』はどんなものなのか。それは僕が本当にやりたい事なのか。もっともっと大きい団体で、多くの人の力になった方が良いのではないのか。

そんな答えがこの研修で分かるのではないのかという期待を胸に、僕は今回の研修に臨んだ。

伝統的な建物が残っている桃坪

研修では沢山の震災に関連する場所を訪れた。

CODEが支援している光明村をはじめ、伝統的な街並みが残る桃坪、観光復興が行われている水麿鎮、3万人の人口のうち2万人が亡くなり町1つがそのまま残されている旧北川県。

その中で最も印象に残っているのは光明村での出来事だ。

僕は光明村で今回の研修で最も知りたかったことである、

「吉椿さんをはじめとする外国人ボランティアは皆さんにとってどんな存在ですか?」

ということを震災発生当時から関わっている住民の方に訊いた。
そうすると住民の方は嬉しそうに、

「彼らは僕たちの永久の友達、鉄の友達だよ。」

と語り、1人の方は
「今年で震災から10年でプロジェクトが終わってしまうのが悲しい。」

と言って、ずっと新しいプロジェクトについて提案していた。

 

その後も嬉しそうに僕らに当時のボランティアの人たちとの写真をみせてくれたり、思い出を聞かせてくれたりした。村を歩いていると久々だと声をかけられ、お茶に誘われ、野菜を持って帰れと言われる。

そんなもう一つの故郷のような関係性を、この10年でCODEの人たちは作ってきたのだと感じることができた。CODEのプロジェクトとして建てられた老年活動センターの入り口に飾られている『CODE』の文字を見た時にも感動をしたが、その吉椿さんと村人との関係性が僕の心の中には深く残っていた。

光明村の菜の花畑

その想いがうまく自分の心の中で整理できないまま光明村を離れたその夜、当時のボランティアのIさんのお話を聞く機会があった。

そこで吉椿さんが言った、「小さなことに寄り添えるのは俺たちしかいない」という言葉を聞いたときに光明村で感じたことがすっと理解できたようだった。

 

一人一人の小さなことに真摯に向き合い続けてきたからこそ、CODEのプロジェクトがうまくいかなかった時、責めるでもなく、落胆するでもなく、失敗して落ち込んでいるであろう吉椿さんを1番に心配する村の方との関係性が、中国と日本との関係がどうなろうと私たちは鉄の友達だと言い切ってくれるような関係性が、できてきたのだと思う。

 

2008年に起こった四川地震はとても大きな地震で本当に色々な人が、色々な役割を持って関わったのだろう。緊急の支援をする人たち、物資を援助する人たち、被害を世界に伝える人たち、大きなことをする人たち、そして小さなことをする人たち。

どんな役割で、何をするのがいい方法なのか結局僕には分からない。

 

でも、災害という大きな出来事を機に、まるで家族のような関係性が、故郷のような場所ができていることは、純粋に『いいな』と思う。

 

僕がこの大きな社会の中で果たすべき役割は今回の研修で見つけられなかったし、もしかしたらそんなもの無いのかもしれない。

 

ただ、「小さなことに命を燃やす。」そんな生き方もいいかもなと、この研修を終えた今僕は思う。

 

最後になりましたが、今回のような素晴らしい経験ができたのはCODE未来基金をサポーターとして支えてくださっている方々のおかげです。本当にありがとうございます。

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