当NGO「CODE」から派遣したクワテモックは、首都から40㎞ほど離れたレオガンに入り、早速援助の届きにくい被災者を優先的に支援すべき具体的な実態把握をはじめました。ただ、通信事情はよくないので、現地レポートも途切れ途切れになるかも知れませんが、根気よく見守って下さることをお願い致します。
一部の報道では、現地での混乱の様子が伝えられ、さも被災地全土が混乱しているのかと錯覚を起こしかねますが、繰り返し当レポートでお伝えしているように、被災地では多くのボランティアが活動しており、また被災者自身は相互に支えあっているようです。まさに「自助」と「共助」の姿です。ほんとに、15年前の阪神・淡路大震災を思い出します。丁度、阪神・淡路大震災後に被災地でも何度も取材された時事通信ワシントン特派員のA.A.さんの取材体験記がインターネットで紹介されていますので、その一部を紹介させて頂きます。
*「略奪行為が各地で見られるようになり、治安悪化の懸念はくすぶるが、大多数の人は。驚くほどの平静を保ち、困難の時をじっと耐えている。ハイチの人の忍耐強さには感銘を受けた。混沌の中で、市民は懸命に日常を取り戻そうとしているかのように見える。 」(1月16日)
*「今回の取材ではジャーナリストということで、意外なほど援助関係者や地元住民から歓迎され、協力を受けた。緊急事態の中、誰もが厳しい状況下で自分の仕事を全うしている。」「みんなが同じ船に乗っている」と言ったのは誰だったか。ジャーナリスト同士もそうだが、どこに行っても強い連帯感を感じることができて励まされた。(1月19日)
「ハイチ地震救援ニュース」カテゴリーアーカイブ
ハイチ地震レポートNo.18
ハイチの被災地に入ったクワテモックさんから現地の情報が入りました。JICAの緊急援助隊や国境なき医師団の入っているレオガン(LEOGANE)にいるそうです。
下記のように余りにも甚大な被害を目の当たりにして支援の必要性からクワテモックさんは滞在の延長を訴えてきました。
(現地時間1月28日9:40、日本時間1月29日2:40のメール)
皆さんは想像できないと思いますが、ここレオガンでは物資も同様ですが、インターネットにアクセスするのが非常に大変です。交通は悪夢のようで、インターネットもホテルもレストランも何もありません。私は倒壊した病院に寝泊まりしています。それはレオガンのCardinal Leger 病院です。震央に近いところです。90~95%が破壊されています。ポルトープランスにはほとんどの国際援助団体が入っているので、私はここレオガンを活動の地として選びました。私は、ドミニカのNGOや地元の人々にサポートされています。
私はたった一滴の水さえ届いていないような小さなコミュニティに行こうと調整しています。
私は、スラムの高齢者や子供のケアをしている地元の社会組織と一緒に再建のアイデアを考えようと思っています。
2日以内にはポルトープランスに行き、ラジオで話してCODEのメッセージを多くのところに広めてくるつもりです。明日はここレオガンでもラジオで同様に動きます。
写真はインターネットにアクセスできる時に、追って送ります。
ハイチの人々から大変暖かい感謝と恵みと挨拶を受けています。
クワテモック
*昨日、Twitterに以下のような暖かいメッセージがありました。これをクレオール語にしてクワテモックさんを通じて現地の人々に届けます。
ハイチ地震の甚大な被害と犠牲者の報道に心が痛みます。この地上に生きる同じ一人の人間として、ハイチの皆さまの涙と悲しみを共有し、遠い日本の地からではありますが、応援の気持ちを送ります、明けない夜はありません、明日のために手をとりあいましょう。(京都・SAKI)
ハイチ地震レポートNo.17
レポートNO14でSAJ(戦略・行動・若さ)という赤いポロシャツを着たボランティア達が立ち上がった話しをしたが、新たなボランティア達も動き出した。
黄色いTシャツと帽子を身にまとい、救援物資の配布の手伝いや避難キャンプの清掃をする彼らは、ボランティア団体「市民アクション」の若者たちで、「皆が被災者なのだから助け合う事が必要だ。」と汗を流す。彼らは震災前から社会奉仕活動をしていたが、この大地震で彼らのほとんども被災者となり、現在も屋外での避難生活を送っている。
レポート16の岡さんの文章の中にも「ここはハイチ。自分達の国だ。ハイチは自分達で変えていかなければならない。」というハイチ人の話がある。まさにこの若者たちの動きはハイチ人らしさを表したものだろう。
15年前の阪神・淡路大震災の直後、1か月で約62万人のボランティアが被災地に駆けつけた。そのうちの7割は初心者ボランティアであった。その彼ら、彼女らが被災地の復興の大きな力になった。国連やNGOは、今、ハイチで動き始めたハイチ人自身のボランティアをもっともっと信頼して、彼らのエネルギーをうまく使うべきであろう。岡さんはハイチをこう言う。「国民のほとんどは子供・若者です。エネルギーいっぱいの国です。」
ボランティア「市民アクション」の黄色いTシャツには胸にクレオール語で「きずな」と書かれてある。
ハイチ地震レポートNo.16
NO13で関西在住のハイチ人「ChaCha(シャシャ)」の素晴らしいメッセージをご紹介しましたが、今度はChaChaさんの奥さんである岡智子さんからもハイチ人気質のよくわかるメッセージが来ましたのでご紹介します。
ハイチや主人のことを想っていただきまして、本当にありがとうございます。現地人による支援活動の記事を拝見しました。
「これぞハイチ人。ハイチの強さを取り戻した!!」というのが私の率直な感想であります。
あくまでも私見ですが、ハイチの人は、どちらかといえば単独ではなく他の人と一緒に動くのが習慣です。
これを現地ではCombit(コンビット:協働)と言います。
そして歴史にも残るように、ハイチは黒人が独立を勝ち取った初の国家であり、彼らには金や物は何もなくても、希望がありハイチ人という誇りがあります。
心身ともに強い人たちです。(しかし、今回の地震ではかなり弱っていると思われます。)
以前から、ハイチは不安定な国でした。
国民の多くは貧しさから抜け出せず、若者たちはみなぎるエネルギーをもてあまして、人を支援するグループをよく結成して活動していました。
でもやりたいことはたくさんあるのに、いつも資金や物がないということで、活動できなかったグループが多くありました。
ハイチの人と話をしていると、
「ここはハイチ。自分たちの国だ。ハイチは自分たちで変えていかなければならない。」
と言う人がいます。
私もできるだけ地元の人たちの内に秘めたる+のエネルギーを突き動かし、彼らによる助け合いの支援ができるように、援助できればと思います。
国民のほとんどは子供・若者です。エネルギーいっぱいの国です。
岡智子
*CODEの海外研究員のクワテモックさんがハイチに入りました。首都ポルトープランスの西約40kmのLEOGANE(レオガン)にいるようです。追ってレポートを紹介します。
ハイチ地震レポートNo.15
日本政府は、国連平和維持活動協力法にもとづき、人道復興支援目的で自衛隊を派遣する方針を決めたようです。鳩山首相は記者団に「がれきを撤去して、住宅などを建てる仕事がある。いわゆる工兵の人たちに行っていただこうと考えている」と言いました。
被災者に瓦礫の片づけをして貰って、工賃を払うというプロジェクトを日本のNGOが過去の被災地で展開しているのをご存じなのだろうか?また、貧困者の住宅を建てるというNGOもあり、この被災地KOBEの大学生などもこれまでに積極的に参加してきたことをご存じだろうか?
首都では、一部銀行が再会し、また商店などもオープンし、路上では活気よくバザールも展開されているようです。災害発生からまだ2週間しか経っていないのに、被災地ハイチの街は、蘇りつつあることが伝わってきます。
これからは本格的に住宅の再建を考え、地域の経済の活性化を考え、まず人々の暮らしの再建を優先的に考えていかなければならないステージに入ろうとしています。この段階だからこそ、国連は積極的にNGOと連携して多彩な支援メニューを展開して欲しいものです。過去の事例からすると、日本のNGOは欧米のNGOに比べて資金力が乏しいので、それだけに智恵を出して「痒いところに手が届く」ような活動が提案できます。鳩山首相は是非、そこのところに注目して欲しいものです。
すでにいち早く現地で緊急援助活動をしているピースウィンズ・ジャパンの現地レポートを見ると、「暴動は起きていない。給水車には順番待ちの列ができていて、それなりに秩序はある。炊き出しに群がる人も最初はごちゃごちゃしていたが、子ども→女性→男性という順番で受け取っていた。」とあり、また「夜になると停電で市内は真っ暗。外で生活している住民が静かに歌っている声が聞こえ、歌詞は宗教的な内容らしく、互いに励まし合っているようだ。」と報告されている。(http://www.peace-winds.org/jp/act/haiti.html)
こうした目線で被災者に寄り添える感覚は、結局阪神・淡路大震災からの15年という年月が築き上げて来たのではないかと思えます。
ハイチ地震レポートNo.14
11日ぶりに男性が救出された一方で、ハイチ政府は救出活動の打ち切りを発表した。また13万人が首都からすでに脱出をしたようだが、一方「ハイチの将来のためには、私たち若者たちが動かないといけないと思う」と、大学生や20代から30代の若者が集まり、ボランティア集団「戦略・行動・若さ」(SAJ)をつくり、救援活動をはじめている人たちも表れた。
昨日の関西在住のハイチ人「Chacha(シャシャ)」からの感動的なメッセージが届いたかのような、被災地ハイチの動きです。朝日新聞によると、SAJは海外から続々と集まる支援物資の担い手は国連や大規模NGOで、「ありがたいが、援助活動から疎外されている気がする」と、ハイチ人の組織は影が薄いと嘆いている。
一方で、首都ポルトープランスの中心部の広場で1000人のミサが行われ、牧師は「地震で亡くなった人もいる。私たちは涙も流した。けれども、生きていることを神に感謝しよう」と呼びかけた。(25日、毎日新聞)
いま、SAJに集まる、一人ひとりの小さな救援活動は、決して埋もれてはいけない。海外からの支援に入っている関係者はそのことに最大限の配慮をする必要がある。ミサに集まった1000人は、お祈りをあげているが、それはまず「一人ひとりの被災者が、自分で自分を助ける援助活動」だと思う。つまり”自助”だ。
15年前に私たちが共有できた「人間一人では生きていけない!」という原点を、ハイチの被災者とその周辺のボランティアは同じように、共有しようとしている。
でもハイチの人たちの行動は、世界中の人たちを共感させた。世界中のアーティストたちは、いま「ハイチを救え!」と立ち上がっている。被災地KOBEのあちらこちらで「ハイチを救え!」と募金活動が展開されている。
是非、まずメディアに訴えたい!! ハイチを伝え続けて欲しいと。
昨日、クワテモックから「やっとサントドミンゴに着いた」とメールがありました。陸路でハイチの首都ポルトープランスに向かうでしょう。現地からのメールを待ちましょう!。
ハイチ地震レポートNo.13
ハイチへの応援メッセージを呼びかけていますが、早速、日本在住のハイチの方がメッセージを寄せて下さいましたので、下記に現地語(クレオール語)と和訳で紹介します。
現地語のメッセージは、ハイチ入りしているクワテモックさんから、現地のメディアに届けて貰います。
<和訳>
ハイチの皆さん。いつでも行動する意欲のある黒人たちよ。
今、世界中の人々がハイチで起こっている惨事について知っています。
ハイチが傷つきそして苦しみ、悲しみにくれていることを人々は理解しています。
私たちはパニックになる必要はありません。神様だけがその訳をご存知です。落ち着いて、祈りましょう。私たちは生まれ変わり、そしてハイチがもっと美しい国になることを。ハイチの人は本当に美しい心を持っていると私は信じています。
外国の人たちに私たちを助けに来てもらうために、いくら多くの問題があったとしても今は争い事をしてはいけないということを、私たちはわかっています。
私たちはみんな兄弟姉妹であり、共に食べ、水を分かち合うなどして、チャンスを手に入れましょう。たとえお金持ちでなくても、輝かしい命をつなぐために。
豊かさとは、人が他を思う愛です。だから私たちは立ち直って、再建や教育、組織、尊敬、団結、真剣な行いに対して共に考え共に行動することで、新しい国ハイチを築く望みを持ちましょう。頑張りましょう。私は日本に住む1人のハイチ人です。ハイチの1人でも多くの人を救いたいと考えています。
<クレオール語Creole>
Pep aytien nou se youn nan pep nwa ki toujou pr?t ou travay
Kounya tout lemon konnen ki problem nou geyen nan ayti
Nou konen ki doul? ak soufrans ki trists?s ki genyen nan pey ya
Nou pa bezwen bay tet nou panik Bon Dye selman konen pou kisa.
Rete kalm e Prie pou nou kap vini Yon nouvo pep ak yon pi bel pey
Mwen kre nan aytien se yon nan p?p ki gen pi bon k? ki ka kronpran .nan moman sa pa batay menm si nou gen anpil problem pou Etranje ka antre vini ede nou
Nou tout se men fre ak s?, se pou nou mange ansanm bre dlo ansam konsa nou ap geyen
Chance pou nou gen yon bel vi menm si nou pa rich .Riches se lanmou youn pou lot
konsa nou ap rebati konsa nou espere ke nou kap gen yon Ayti nouvo, si nou mete
tet ansanm pou rebate, edukasyon , formasyon,respe,union,seriyozite . Bon kourag mwen se yon aytien ki ap viv o japon mwen ap fe yon fason pou ede anpil kote nan ayti
ハイチ地震レポートNo.12
ハイチ内務省は、22日大地震の死者11万1499人を確認したと発表しました。ご冥福をお祈りいたします。一方、10日目を迎えても一縷の望みを捨てず、一人また一人と奇跡の救出が報じられています。10日ぶりに84歳の女性も救出され、ほんとに計り知れない勇気を頂きます。
今朝の朝日新聞によると、ハイチ政府は、被災者40万人を首都近郊へ移住させる方針を決めたと報じています。やむを得ない対応かと思いますが、そうして大量移住して貰うなら、今後は同時に首都の都市再生に伴って、住民の声が反映されるようなまちづくり手法を用いて欲しいと切に願うものです。例えばすでに日本では、首都直下地震を想定して、事前復興という概念も取り入れながら、東京在住の建築家などが長年にわたって「時限的市街地構想」という都市再建手法の一つを議論してきています。パキスタン地震(2005)のあとの市街地再建の構想に提案するという実績もあります。先日、鳩山首相は「専門家の派遣を検討!」と言っていましたが、おそらくこういう構想はこのグループしか手がけていないので、是非すぐに現地に派遣すべきだと思います。
もともと一日2ドル以下の極貧生活を送っている人たちが国民の8割とも報じています。いわゆる被災地は猫の手も借りたいだろうし、可能な限りの支援を受けたいだろう。もちろん私たち日本に住むものは、ハイチ地震ほどの大規模災害を経験したことはないが、成熟した都市を襲った阪神・淡路大震災での経験は、大いに役立つでしょう。
想像を超える悲惨な状況の中で、希望を与えてくれたのは全国から駆けつけてきてくれたボランティアです。2ヶ月で100万人を超えました。こんな大規模な災害の時は、とにかく可能な限り多くの人がその現場に行って、一人ひとりの被災者に対して確実にケアーできる体制をいち早くつくることが結果的に有効であることは、15年前の阪神・淡路大震災が証明しています。「バラバラで救援活動をするな!」という声も出ているようですが、災害発生の2週間くらいは、むしろバラバラで可能な限りの救援活動を展開するのも方法です。そして2週間が経つと一度関係者が集まり、情報交換をしながら、過不足を調整すればより”見落とすかも知れない隙間”が見える筈です。これも15年前に阪神・淡路大震災で経験した智恵です。
現地での暴動については、どうしてもセンセーショナルに報道されますが、今のところ決して被災地全域に広がっている訳ではありません。むしろ多くの被災者は、自分を律し、自分を助け、そして力の余裕のある人は、人のために助けています。首都の近郊で孤児院を運営する一人の被災者は、「衣料品は底をつき、井戸水も燃料がないため汲み上げられない。残る食糧はわずかで、街中の食料は2倍近くに高騰。援助が届かない状況が続けば、施設封鎖もあり得る」(同新聞朝刊、2002.2.23)という。この方は自らも両親を失い「神様はなぜこのような仕打ちを」と嘆いています。
「ハイチ地震レポートNo.11」でお知らせしましたように、ハイチの被災地に応援メッセージを送りましょう。いま、必要なのはお金と多彩な寄り添いです。
ハイチ地震レポートNo.11
現在、CODEの海外研究員であるクワテモックさんがハイチへと向かっています。
下記のようにKOBE、そして日本からのメッセージをクワテモックさんに託し、ハイチの地元メディアを通じて被災者の方ひとりひとりに届くよう動いてもらっています。
世界中の人々のメッセージを聞けば、ハイチの一部で起きている暴動はきっと止まると思うのです。「世界の人々がこんなに応援しているだからこんな事をしている場合じゃない、自分達で頑張って助け合わないと」とハイチの被災者の人々に思ってもらう事を願っています。「奪い合いの連鎖」でなく、「支え合いの連鎖」を!!!
<被災地から見守っています!!>
私たち神戸市民は、15年前に大震災を経験しました。
ハイチの大地震による多くの方々の被災に、私たちは胸を痛めています。家族を失い、ケガをし、家をなくし、どれほどつらくたいへんなご状況か、想像しきれません。しかし、いま同じ被災地として、ハイチの皆さんの痛みを共有し、見守っています。
私たちも震災で計り知れない悲しみを経験しました。それを人と人との支え合いで乗り越えてきました。ハイチでは一部暴動などが報じられていますが、地震で壊れた町をさらに人が荒廃させるようなことが起こらないよう祈っています。
このようなときこそお互い支え合い、尊い命を大切にされ、今後の再建に力を注がれることを応援しています。日本全国の人々も、同じように応援しています。
ハイチを応援するKOBE市民 より
ラジオ関西で「神戸からハイチへ 応援メッセージを送ろうキャンペーン」が始まりました(http://jocr.jp/company/info.html#haiti)。下記の二通りで応援メッセージを送っていただければ、現地の言葉に翻訳し、新聞に掲載するなどして伝えます。(翻訳にCODEが協力させていただきます)
(方法1)メール
メールアドレス:hyogo15@jocr.jp
文字数は、140文字以内でお願いします。
(方法2)Twitter
twitterで「#haitijp」とハッシュタグをつけ、文頭に「◆」をいれて140文字以内でつぶやいてください。
番組twitterはこちら:http://twitter.com/hyogo15
ハイチ地震レポートNo.10
NO8のレポートでお伝えしたように様々な日本のNGOの他、海外のNGOや国際機関がハイチの被災地で活動しています。
中でも注目に値するのは、「CASH FOR WORK」という支援です。
被災地で復旧過程の仕事を提供する事で被災者が現金収入を得る事が出来るという支援のやり方です。2004年スマトラ島沖地震津波の際にもアンダマン諸島で現地NGOによってこの「CASH FOR WORK」で、自らが住む仮設住宅の建設を被災者が行っていました。
今回のハイチでもUNDP(国連開発計画)がこの「CASH FOR WORK」を用いています。すでに約400人の被災者にガレキの撤去や電気復旧工事、インフラの修復などを1日5$の賃金で行っているようです。今後も約700人を追加対象にするようです。今後、UNDPは、スペイン政府の支援金500万$を使って、1日5$で22万人の雇用を創出する見込みです、間接的には100万人に影響を及ぼす事が出来ます。
現在、被災地の一部で治安の悪化が言われていますが、仕事を得て、食事ができるようになり生活が少し落ち着いてくれば、あのような暴動は自然に収まっていくと思います。
被災後、一時的に現金を得ながら、自らの力で立ちあがっていく気持ちになるというこの「CASH FOR WORK」がようやく被災地で定着してきたようです。