3月25日の神戸新聞によると、ハイチ大地震後1年間の緊急人道支援として、国連が国際社会に要請した14億ドル(約1265億円)のうち現在までに半分しか集まっておらず、3~4ヶ月後に食糧支援に影響が出る可能性があるとの指摘があるそうです。
通常、災害後の緊急支援要請額は半分以上が食糧支援に充てられますが、このような状況では基本的ニーズさえも満たされず、復興がままならないという恐れも予想されます。
こうした報道の一方で、また、ハイチ国外からの支援を取り上げる報道が多い中、ハイチの住民どうしのすばらしい助け合いも生まれています。被災地から移住してきた人々を受け入れ、互いの尊厳を大切にして
家族のようなコミュニティを築いている場所があるというのです。
このようなニュースを先日のハイチ地震レポートNo.37で一部ご紹介しましたが、全文を「CODE World Voice~災害から見る人々のくらし~」にアップしましたのでご紹介します。
長文ですがぜひアクセスしてご覧下さい。
下記は冒頭の抜粋です。
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家族的な感覚で:同胞を支えるハイチ人の地道で地元に根ざした取り組み
情報源:Church World Service(CWS)
家が被災し収入を失ったという現実に直面して、Fontil Louiner(人名)と24人以上の家族と友人は、土地を手離してハイチの首都ポルトープランスを離れるしか選択肢がないと考えた。
「私達には他の選択肢はなかった。とどまってはいられなかった。」と39歳のビデオ映像技師である彼は言った。彼はArtiboniteの北部の県にある故郷のPetite Riviereに最近戻ってきたのだ。
しかしLouinerは戻ってきて、Petite Riviereでの一日500食の給食プログラムの立ち上げに協力することによって、拡大しているポルトープランスからの脱出者の一員になった。それだけでなく、ハイチの人々を支援する国際的な支援従事者達の最近の映像と体験談が急増していた中でしばしば見落とされてきた物語の一部になった。
これらの映像と話は最近ハイチで起こった地震への国際的な対応の現実の一部を伝えるものであるが、別の現実はしばしば部外者には無視されている。それはこのように同胞であるハイチ人を支えるLouinerのような地道で地元に密着した取り組みをするハイチ人についてである。
続きはこちらからご覧下さい↓
http://codeworldvoice.seesaa.net/article/144614351.html
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「ハイチ地震救援ニュース」カテゴリーアーカイブ
ハイチ地震レポート No.38
前号では、被災移住者を受け入れている地域で繰り広げられている感動的な支えあい活動を紹介させて頂きました。
ハイチの歴史を知る人たちの中には、「ハイチの国をダメにしてきたのは、外国が介入してきたことが原因だ!」と分析する方もおられます。そう言えば2004年のインド洋沖地震津波災害の時にも、インドネシアのバンダ・アチェに海外からの大量の支援が入り、アチェの人々の主体性を損なったという指摘もありました。地元のNGOなどは相当な怒りを露わにしていました。この後、NGOはじめ国連も含めて海外からの援助機関は、災害後の支援のあり方について随分と議論もされたようです。
その後インドネシアの中部ジャワ地震の時には2004年の失敗が生かされ、被災地に当事者主体のネットワークがすぐに立ち上がりました。この2004年の津波災害の時には、CODEはスリランカに入りその後支援プロジェクトを展開してきましたが、正直インターナショナルNGOと言われる大きなNGOが現地で展開していた支援プロジェクトを見て唖然とさせられたことを思い出します。ある漁村に言って、漁師と話していると「(我々に対して)あなたたちは私たちに何をしてくれるのですか?」と聞かれました。初対面で初めて会ってまだ何も話しも聞かせて貰う前のことです。「えっ、どうしてですか?」と聞き直したら、「○○のNGOは、船も、漁具も、仮設住宅も提供してくれた。次はあそこに恒久住宅も提供してくれる!」と遠くの丘を指さして説明されるのです。「そうですか、私たちは小さな小さなNGOですから、申し訳ないですが阪神・淡路大震災の経験しか語れないのですよ。これKOBEから持ってきたハンド・クラフトだけどよかったらどうぞ!」って、阪神・淡路大震災の被災者が作っている”まけないぞう”をおいて帰りました。そのとき、その漁師はすぐに椰子の木にの登って、椰子の実を採ってくれ、その場で切って、飲ませてくれました。きっと通じたと思いました。
さて、丁度先日19日から21日まで神戸で「世界災害語り継ぎフォーラム」が開催され、初日のオープニング・シンポジウムに登壇されていたバングラディシュのムハンマド・サイデュール・ラーマンさん(バングラディシュ災害予防センター所長)が、「海外からの支援はほんとに被災者地震をエンパワーするものになっているかどうかを考えなければならない!」というような発言をされていたのが印象的でした。
今回のハイチ地震では過去に経験しない、首都が壊滅状態になるという大規模な被害となり、しかも被災地からの国内移住者が約50万人にも達するという事態に戸惑いを隠せないのも事実でしょう。しかし、世界中の叡智をハイチに投入すれば、ハイチの再建は可能であり、しかもこれまでにない理想的な災害からの再建を築くことができると願っています。いま、しばらくハイチを見守りましょう!!
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FMわぃわぃは、ミュージシャンのソウルフラワーユニオンと協力して、ハイチ地震で大きな被害を受けたコミュニティラジオ局の支援活動を始めます。ソウルフラワーユニオンの特製Tシャツ「HAITI HEARTS CONNECTED WITH US!」(私達の道は、ハイチの人々の心と繋がってる)の売上金(一枚3,000円)の一部を、FMわぃわぃを通じてハイチ地震で壊滅的な被害を受けたコミュニティラジオ局に届け、一日も早くハイチの人々に希望の音楽を届けてもらおうという活動です。
購入方法など詳しいことは、3月22日(月)12時からの番組「まちはイキイキきらめきタイム」にソフルフラワーのヒデ坊こと伊丹英子さんが生出演しました(12時5分-12時15分・担当/吉富)ので、番組内でお知らせもしました(http://www.tcc117.org/fmyy/index.php?e=669#more)
ハイチ地震レポート No.37
去る20日、岡田外務大臣は31日にニューヨークで開催予定の支援国ドナー会議を前に、滞在時間6時間という超強行スケジュールの中ハイチを視察されたようです。
ハイチ地震から2ヶ月余りが過ぎ、被災地ではまだガレキが山積みになっているという報道もあり、そして未だに家をなくした人たちにビニールシートさえ配られないという状況も見られるようです。あまりにも甚大な災害となったために、いろいろな事柄がこれまでには未経験のこととして被災者を襲うことで不安を増長させることが心配です。
他方、地震後首都ポートプランスを離れて地方に移住された方々が約50万人にものぼるようですが、その移住先ですばらしい支えあいが生まれているというニュースが入りましたので紹介します。これはCODEの翻訳ボランティアの方がChurch World Serviceが出しているレポート(3月10日)から見つけたものです。
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地震の発生と、この数週間で約8,000人とも言われる人々がPetite Riviereにやってくるというような突然の何千人もの人の到着という事態に対して、このラジオ局は草の根の活動としての給食プログラムを支援するため、市民の支持を盛り上げる役割を果たしている。CONHANEや他のラジオ局であるRTAと一緒に動いて、ファミリーラジオは食料の寄付や食料のための募金のアピールをだした。そのひとつはこんな感じだ。
「もしあなたのところが6人家族なら、ゴブレット(脚・台つきコップ)一杯の米を寄付して下さい。」
この取り組みはうまくいっており、地元の住民は米やその他の食料を持ち込み、ポルトープランスから移住してきた住民のために一日500食の食事を提供するための募金をしている。全員ではないが、移住者の多くはこの地方につながりがある。局の職員やボランティアたちはファミリーラジオの事務所やスタジオの近隣にある給食センターで食事を配っている。
「彼らがこの食事を必要としていることを私達はわかっている。そして職員やボランティアや支援者全員にたくさんの分かち合いの気持ちがある。」とLouinerは付け加えた。
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というもので、実はこのLouinerは被災者でもあるのです。
また、首都ポートプランスではハイチ政府によるガレキ撤去プログラムの活動風景があちらこちらで見受けられるようで、これは”cash for work”という手法でガレキを片づけるという仕事をして、賃金を得るというシステムです。ハイチでは商店なども機能しており、お金さえあれば最低限の生活必需品は購入できるようで、こういうシステムで被災者が復旧事業で働きながら稼ぐということが一定補償されれば、自らの力で暮らしの再建が可能になると思うのです。
このような二つの被災地の光景を見ると、海外からの支援のあり方というものを如何に被災者目線で、被災者主体で提案することができるのかが重要になってくるでしょう。
ハイチ地震レポート No.36
先日はハイチ地震から2カ月目でのコメントのようなものを書きました。ちょうど3月13日の「秋田さきがけ新聞」に、阪神・淡路大震災を経験された記者がハイチの首都ポートプランスから送った記事があり、「ハイチに宿る生の輝き」と言う先日のレポートと関連するような見出しだったので、思わず目に泊まりました。
ところでオバマ大統領は共同記者会見で「現地では惨状が続いており、危機が終わったという幻想を抱くべきではない」と述べ、地震から派生する新たな災害の可能性を警告、震災の復旧・復興に対する支援を約束し、ハイチの被災者が依然として、食料や医薬品を必要としているとした上で、「現在の課題は二次的災害を防ぐことだ」と強調したとのこと。しかしここで言う「二次的災害」とは、何を指すのか解らない。
これに対し、ハイチ・プレバル大統領は米国の支援に謝意を示すとともに、「ハイチで起きたことから教訓を低き出さなければならない」と主張。将来の災害に備え、救援を効率的に調整する国際体制を整える必要があると訴えたそうです。やはり「ハイチは輝いている」。だから、私たちはハイチの人たちを見守り続けましょう!
ハイチ地震レポートNo.35
ハイチ地震からちょうど2カ月が経ちました。被災地は緊急を要する「応急対応」の時期から、次の「復旧・復興」の段階に移行しつつあるようです。先日も、ハイチの大統領は、国際社会からの援助に対して、いつまでも救援物資などを投入しないで欲しい!と訴えていたのが印象的でした。そこにはハイチの国の自立がそがれるからというニュアンスを読み取ることができました。この大統領のアピールからは、決して傲慢さは感じませんでした。
このハイチ地震レポート20・21で、14年前の阪神・淡路大震災1年後の被災地からのメッセージを紹介しています。「いま被災地の市民は自ら”語り出す”、”学ぶ”、”つながる”、”つくる”、”決める”行動を重ね、新しい市民社会を創造していく力を養おう」と、これから押し寄せてくる困難に、長きにわたって立ち向かわなければならない覚悟をし、辛抱強く自分と向き合っていました。
地震から2カ月経ったハイチの「いま」からは、阪神・淡路大震災とは異なった、何か底力を感じるような、また心地よささえ感じるような振る舞いを見てとれます。振り返って見ると、阪神・淡路大震災の2カ月後では、被災者の多くはまだまだ、勇気を持って一歩踏み出すことは出来なかったのではないかと思えます。この違いは何だろう?と考えると、よく言われる典型的なラテン系の明るさだけでは説明がつかないようです。おそらく、中南米で最初に奴隷解放を成し遂げた歴史がもの語るように、短い期間かも知れないが、ほんとの自由を掴みかけたからこその強さではないかと学べるように思います。
日本のように「ぬるま湯」に浸かり過ぎて、ほんとうの豊さを掴み切らない状態から脱出するには、「いま」ハイチの人たちが生きている一日一日を見逃してはならないと思うのです。15年前、KOBEの私たちがいのちがけで体感した絆の大切さを、いまハイチの被災者も感じているでしょう。
ハイチ地震レポートNo.34
ハイチ地震について、様々な団体の救援活動をまとめてみましたので、ご参考までお知らせします。
●AMDA (2月9日時点)
http://amda.or.jp/
活動内容:ドミニカ側国境の町エリアスピーニャの視察を重ね、エリアスピーニャの病院HOSPITAL ROSA DUARTEなどと義肢支援プロジェクト実施にむけての調整を開始。さらに日本からの調整員の追加派遣を予定。
●ADRA(3月5日時点)
http://blog.canpan.info/adrajapan/category_4/(第15報)
活動内容:衛生設備のシャワー設備12カ所と仮設トイレ50カ所を設置。更に仮設トイレ10カ所を現在設置中。
・ツイッター、Facebookを使用。ツイッターでつぶやくと1円募金。
●国境なき医師団(2月18日時点)
http://www.msf.or.jp/
活動内容:医療支援と物資配布。
●ジャパンプラットフォーム(2月10日時点)
http://www.japanplatform.org/top.html
ICA、ワールドビジョン、JEN、NICCO、PWJに助成。
●ワールドビジョン・ジャパン(3月4日時点)
http://www.worldvision.jp/index.html
派遣人員:日本人1名駐在
活動内容:ゴナーブ島で6万5,000人の人々への食糧支援を行い、引き続きより多くの人々に食糧を届けることができるよう、支援を計画中。また、島内で運営しているクリニックへの支援を増やし、家族と離別してしまった子どもたちが家族に再会することができるよう、支援する予定。
●日本赤十字(2月26日時点)
http://www.jrc.or.jp/foreignrescue/l3/Vcms3_00001455.html
第1班はハイチの首都ポルトープランスで、約15,000人が避難生活を送るキャンプの隣に、1月24日からテント型の診療所を開設。簡単な手術を含め、1日約100人前後、2月17日までに計1,721人の患者を診療。避難生活が長引き、感染症が懸念される中、ハイチ政府と世界保健機関(WHO)はポルトープランスの被災者を対象に予防接種キャンペーンを計画し、赤十字が実施にあたった。診療所を受診するすべての外傷患者に破傷風ワクチンを接種。避難民キャンプではハイチ赤十字社のボランティアが接種を行い、日赤の医療スタッフはその活動をサポート。避難民キャンプでの予防接種を開始した2月6日から10日間で、21,865人に破傷風やジフテリア、百日咳、はしか、風しんといった予防接種を実施。
●日本ユニセフ協会(3月4日時点)
http://www.unicef.or.jp/
ユニセフに資金提供。
首都にあるシャン・ド・マルス公園で清潔な飲料水の提供、子どもたちへのはしか、風疹、破傷風、ジフテリア、百日咳の予防接種、トイレの設置、保護者と離れ離れになった子どもたちの発見・登録などの活動を展開。
他の人道支援団体やハイチ政府と協力して、避難キャンプでの暮らしを余儀なくされている授乳期の母親と新生児のために、母親が安心して赤ちゃんに母乳を与えることができる空間を確保した「赤ちゃんに優しいテント」を各地に設置。
●JEN(2月18日時点)
http://jenhp.cocolog-nifty.com/emergency/cat21785389/index.html
活動内容:引き続き、4000世帯を対象に、ツールキットとトタンの配布を行っている。
●ケア(2月11日時点)
http://www.careintjp.org/
活動内容:トイレを3,000 基設置するのに加えて、手洗い方法を教えるとともに、石鹸や洗剤などが含まれる衛生キットを提供。また避難キャンプから排泄物を取り除く。住居については、8,500家族(42,500人)のための仮設住居建設の準備を予定。
●ピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)(2月12日時点)
http://www.peace-winds.org/jp/act/haiti.html
活動内容:PWJも、住居を再建に向けて瓦礫を撤去するための道具やテントの配布の準備を進めているほか、倒壊した学校の再開支援を実施するための調査を続行中。
●グッドネーバーズ(3月2日時点)
http://www.gnjp.org/
派遣人員:日本からスタッフ派遣中。
活動内容:ポルトープランスに散在するスラム地域で4000人を対象に食料や防水シートの配布を予定。
●プラン・ジャパン(2月26日時点)
http://www.plan-japan.org/topics/100113hait-eq/index.html
仮設テント1,000張や経口補水塩を支給。子どもたちが安心して学び、過ごせる場として仮設学校と「子どもにやさしいスペース」の準備を進めている。組み立て式の大型テント60張は、数十人の子どもたちが学び・過ごすには十分な広さを備え、7~10年は耐えうるもの。3月中旬に組み立てを行い、4月1日から仮設学校を開始予定。
●AAR(難民を助ける会)(2月9日時点)
活動内容:支援の特に行き届きにくい女性100人に食料を配布。
●NICCO(日本国際民間協力会)(2月25日時点)
http://www.kyoto-nicco.org/
活動内容:NICCOは今回の第2期の事業では、シェルター建設のための資機材の配布と、避難所へのトイレの設置を行う予定。
●チャリティプラットフォーム
ハイチ大地震への緊急支援への募金募集開始。集まった募金は、下記5団体へ。
ADRA、世界の医療団、シビックフォース、難民を助ける会、ピース・ウィンズ・ジャパン
https://www2.charity-platform.com/project_donation.php?id=52
●世界の医療団(MDM)(2月25日時点)
http://www.mdm.or.jp/
医療援助実施。
●シビックフォース(2月15日時点)
http://civic-force.org/
活動内容:日本国内に備蓄しているエマージェンシーテント(緊急避難用テント)を現地に送る予定。(2月15日でスポンサー締め切り)
●イーココロ
http://www.ekokoro.jp/urgency/urg-6.html
募金を呼びかけ中。集まった募金は13団体へ。
●セーブザチルドレンジャパン(2月25日時点)
http://www.savechildren.or.jp/
活動内容:赤ちゃんの命を救うために必要な保健や栄養の知識を、クレオール語(ハイチの現地語)の歌にのせ、ラジオを通してハイチの母親に伝える活動を開始。
●国連WFP協会(2月4日時点)
http://www.wfp.or.jp/info/feature.php?seq=158
WFPに資金援助。
WFPのハイチにおける緊急支援活動は、2010年末まで延長。
●ハビタット(2月17日時点)
将来的に瓦礫の撤去等が完了し環境が整い次第、復興支援として、新たな住居の建築を行っていく計画。
http://www.habitatjp.org/
●ホープインターナショナル(1月19日時点)
募金募集中。
http://www.hope.or.jp/
●ICA(特定非営利活動法人ICA文化事業協会)(いつの情報か不明)
震源地から南西に約10kmのプチゴアーブに出動し、1146世帯への食料支援を実施。
http://www.icajapan.org/icajapanj/newsJ.html
ハイチ地震レポートNo.33
昨日のクワテモックさんのメールの続きです。
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このような状況の中、ハイチで暮らすことは容易ではありません。どこに行っても破壊と痛みだらけです。しかし、復旧活動に励んでいる人々の姿もまた感じさせるものがあります。ハイチの人々は、ここで働いている海外の団体に対してとても感謝されています。
2人の子どもを亡くされた女性が私にこう言いました「地震は私たちに大きな不名誉と痛みをもたらしました……しかし、良いこともあります。あなたがここに来てくれたことです!」
小さな女の子が言いました「ここに来てくれてありがとう。今日天使に会えて、ずいぶん元気になりました。あなたに会えて良かった!」
子どもが言いました「私の周りにあるもの全てを誰かが全てを黒く塗りつぶしたような気持ちでした。全て真っ暗でした。でも、あなたは私の暮らしに色を取り戻してくれたのです」
そう、ここには痛みがあります。復興は長い長い道のりですが、CODEのおかげで、そして全てのNGOのおかげで、日本の方々のおかげで、ハイチと一緒に活動している世界中の皆のおかげで、今、希望が戻ってきているのです。
この絆を強めていきましょう。それが良い効果を生むのです。絆が魂を癒し、希望をもたらしてくれます。結束した活動は、他者への、そして自分自身への愛の表現となります。絆を大切にし続けましょう。
クワテモック
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ハイチ地震レポートNo.32
レポートNo.30で地震後1ヶ月の様子をお伝えしましたが、クワテモックさんよりその詳細が届きましたのでご紹介します。
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2月12日のメールでお伝えした通り、地震から1ヶ月の追悼記念日を迎えました。政府は金曜、土曜、日曜と3日間を国家敵な追悼の日としました。
従って午前中、私はプチ・リビエラ(Petit Riviere)と呼ばれるコミュニティにモバイルクリニックを設置しに行きました。数メートル離れた場所で治療が行われている間、地域の人達は地元の教会(教会の残骸というべきか)に集まり、祈ったり賛美歌を歌ったりしていました。どこに行っても皆同じようにしている様はとても感動的でした。早朝6時に、隣の養護施設の修道女が歌い始めました。近隣のキャンプでも歌が始まりました。どこも感動的な雰囲気で、人々は祈り、愛する人を偲んで泣き、歌い、互いに支え合っていました。何か信じられないような気持ちになり、たいへん興奮しました。
午後にはコロンビア赤十字にいる私の友人が訪ねてきて、子ども達に物資を届けてくれました。そこで私は彼らを町にある3つの孤児院に案内しました。最初の孤児院では、子ども達は笑顔で迎えてくれました。次の孤児院に行くと、子ども達は中庭に集まっており、自分たちの体験を語り合ったり、歌ったり遊んだりするセッションを行っていました。車椅子に乗った6歳の女の子が前に出てくると、皆素晴らしい歌を歌い始めました。その女の子が生き続けるのを励ます歌なのです。なんて感動的なのでしょう!
最後に3つめの孤児院に行きました。ここは女の子の孤児院です。私たちが積み荷を下ろしていると、突然、女の子達が全員、フランス語で美しい歌を歌い始めました。歌はこんな意味のようです。「ありがとう、ありがとう、私たちを支援してくれてありがとう。太陽の光で私たちを照らしてくれてありがとう。生きる希望を取り戻させてくれてありがとう。暮らしに喜びをもたらしてくれてありがとう……」言い表せないほど心を揺さぶる光景で、コロンビア赤十字の友達も、私も涙が止まりませんでした。
胸がいっぱいになったまま、私はキャンプに戻りました。本当に特別な日でした。言葉でこの感情を全て表すことは難しいですが、挑戦しています。
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(写真上:左から2人目がクワテモックさん)
ハイチ地震レポートNo.31
通信事情が悪い中、クワテモックさんからレポートが届いています。今までの内容と重なるところもありますが、ご了承下さい。
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以前にあなたにお伝えしたとおり、ハイチにきている援助のほとんどはポルトープランスで止まってしまって、他の地域にはほとんど助けが来ていないので、私はレオガンの地域を選びました。それに加えて、ここは地震の震源地の地域です。ここでは80から90%が破壊されています。それに、レオガンの周りには、いくつもの農村地域や、半農村地域があります。これらの地域では救援活動はもっと少なくて、わずかな援助しか届いていません。現在までに、何団体かの大小のNGOがやっとこの地域に到達しました。これはよいことです。
前にも伝えましたが、私はAyuda a Haiti(ハイチへの支援)と呼ばれているキャンプに拠を構えています。このキャンプは、ドミニカのNGOのネットワークによって設立されました。彼らは地震の2日後から治療を行っています。これは彼らが(ハイチの)一番近い隣国であり、ハイチと島を分けているからです。なので彼らは、空港がアメリカに占領されていても、陸路で一番に到着することができたのです。私は、救援活動に来た他の大勢の大勢の人々と同じように、ドミニカ共和国を通してハイチに入りました。
これまでに、私たちは12のコミュニティの中で働いてきていて、1万人以上の人に到達しています。私はレオガンの周辺のコミュニティで連日のように活動しています。私の存在はここではとてもとても大きな助けになっています。なぜならば、キャンプを運営している人々は、全ての人が善意で来ていて、懸命に手助けをしようと来ているのですが、過去に救援活動に携わった経験を持たない人々だからです。キャンプのリーダーは、Rafael Tavaresと呼ばれている、熱血ドミニカ人です。私がここに到着した時には、彼らは崩壊した病院の現場で、診察を行っているところでした。そして、私はコミュニティと連絡を取り始め、キャンプ外での活動が始まりました。OCHAでの会議で、私たちの活動を報告したとき、他のチームもこの種類の活動を始めました。それはすばらしいことです。私たちは人々が歩みを進めるのを後押ししています。
また、これまでに私たちは地元のコミュニティ及び団体と強い結びつきができています。孤児院3件、高齢者と障がい者の養護施設1件とも密接に活動しています。つまり、私はもっとも弱く傷つきやすい人々―子ども、お年寄り、障がい者―の支援を試みているのです!私は一人一人を結び付ける「連絡役」として活動してきました。言い換えれば、他の人を必要としている人々と、彼らを助けることのできる人々とをつないでいるのです。
この地における問題は圧倒的で、全てを解決することはできません。だから対象地域を選ばなくてはなりませんし、そこでさえ、人々が直面している最も重要なニーズのいくつかを解決すること、あるいは解決しようと試みることしかできません。レオガン周辺の農村地域、半農村においても、破壊は都市部と同様に重大です。しかし住宅は隣接しておらず散在しているため、一見して被害を理解することは容易ではありません。歩きまわって人々に話を聞けば、いかに被害が深刻かわかります。住民は通常の生活に戻ろうと試みていますが、多くの場所では水道が壊れていたり、畑で育てるための種を失ってしまったり、家を含め全てを失くしてしまっているのです。
レオガン地域に残された唯一の医療機関は私たちが活動していた病院です。しかしこの病院も、カトリックのシスターによって運営されているとは言え「私立機関」です。診療報酬は労働者の平均的な月給のと同等です。それゆえ、ほどんどの人は病院に行けるだけのお金がありません。病気になったり何かしらの治療が必要な場合は、首都ポルトープランスまで行かなくてはなりません。だから、もしレオガンに公立病院がなければ、コミュニティには医療機関が無いということなのです。必要な場合には、コミュニティの人々はポルトープランスまで行かなくてはならないということです。
クワテモック
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ハイチ地震レポートNo.30
現地のクワテモックさんがハイチ地震1ヶ月の様子を伝えてきました。短いレポートですが、ご紹介します。