投稿者「code」のアーカイブ

アフガニスタン、ラフマンさんご逝去第6報

元CODEスタッフ岡本千明さんから亡くなられたラフマンさんへのメッセージが届きましたので、ご紹介いたします。岡本さんは、アフガニスタンのレーズン輸入・販売をラフマンさんと進めてきました。2013年のCODE10周年シンポジウムで来日したラフマンさんの通訳として共に東北の被災地を訪れました。(吉椿雅道)

ラフマンさんへ
「いつの日かミールバチャコットのぶどう畑で、ラフマンさんと、農家さんたちとぶどう狩りがしたい」というのは、CODEに関わる多くの人の夢だったと思います。ラフマンさんと一緒にそこを歩くことがもう叶わないなんて、悲しくてなりません。
あなたとアフガニスタンのことを考えると、思い出すことがあります。

東日本大震災が起きたとき、あなたは心配してすぐCODEに連絡をくれました。そして、「アフガニスタンの子どもたちから」と、寄付とメッセージを送ってくれましたね。アフガニスタンの苦しみをいつも思い続けてきたあなたは、ほかの人の苦しみにも敏感でした。貧しいはずの子どもたちが、一人ひとり少しずつ集めたそれ。ちいさな手にぎゅっと握りしめられていたそれを想像し、思いやりの気持ちに涙が出ました。

また、日本に来られて復興のニーズや問題点について色々とヒアリングされていたあの日、黙って思い詰めたような顔をなさっていたのを忘れることができません。大規模な開発に関係するような話題もあったと思います。日本ではこれが「普通」の暮らしということはわかる。けれど、だったら……。はっきり言葉にはされませんでしたね。「同じ人間なのに、国が違うだけで、保障される『最低限の暮らし』がこれほど違うものか。アフガニスタンには未だに雨風をしのぐ屋根さえ、その日の食べ物すら事欠く人が大勢いるのに……」世界に向けてそう言いたかったでしょうか。それでいて、被災者の方と向きあうと、あなたはまっすぐ共感に満ち、ただそのかなしみに寄り添っておられました。

私があなたに直接お会いしたのはその一度だけでしたが、CODEとの出逢い以来ずっとお世話になりました。あなたが農家さんと育てられたぶどうが、いつまでもミールバチャコットとKOBEをつないでくれると信じています。あなたが生きたその地を、いつか訪れることができますように。緑に光る一面のぶどう畑と、雪を頂くヒンドゥークシュ山脈を眺めることができますように。これまでのご尽力、本当にありがとうございます。どうか、安らかにお眠りください。(岡本千明)

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アフガニスタン、ラフマンさんご逝去第5報

CODEスタッフとしてJICA草の根技術協力事業(2007~2009)やCODE10周年シンポジウムの際にラフマンさん達に同行した尾澤良平さんよりメッセージが届きましたので、ご紹介いたします。ラフマンさんは日本の若者をいつも応援していたんですね。(吉椿雅道)

ラフマンとの思い出は、現地ぶどう農家さんたちが来日しての農業研修と東北被災地の案内や通訳です。
専門分野の研修は日本語⇔ダリ語の通訳がいました。
しかし、日本滞在中の暮らしや移動の際には、日本語⇔英語⇔ダリ語と僕らを介しての会話が多かったのです。
だからアフガン側のコーディネーター通訳のラフマンとはいつも一緒に話をしてました。
気さくに話ができるラフマンだから、時に真剣に、時に笑いながら、慣れない僕も気持ちよく仕事ができました。
ラフマンの長すぎるスピーチネタ(気仙沼でのスタッフ親睦会のあのスピーチの長さは絶対にネタだった!)では、笑い過ぎて泣きながら握手をし合ったりしました。
彼らの暮らしやテロ・戦争の話を聞くと、段々と自分の生き方も問われているような気がしました。
地域の資源を大切にする農業を彼らと一緒に学ぶ中で、僕も食べ物や農家さんの大切さを感じはじめました。
東北を一緒に回った時、仙台での夕食の後、「僕は百姓を始めようと思う」と自信なさげに言ったら、ラフマンはいきなり「おめでとう!」と言って握手してくれました。
自信も資金も技術もない僕の現状を、心配してくれたり、支援してくださったりする方は多いですが、いきなりの「おめでとう!」は後にも先にもラフマンだけだと思います。
日本とアフガン、支援者と受援者、生産者と消費者、先輩と若者など、さまざまな背景、壁を越えた一言だったと、今も自分の原動力の一つとして勝手に大事にしています。
このような声かけがすぐにできたラフマンの人生に心より感謝申し上げます。(尾澤良平)

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アフガニスタン、ラフマンさんご逝去第4報

CODE海外災害市民センターです。先日亡くなられたラフマンさんは、2007年から3年間行ったJICA草の根技術協力事業で来日されています。その時に通訳として同行していただいた澤桃子さん(CODEボランティアスタッフ)からのメッセージをご紹介いたします。ラフマンさんの人柄の伝わってくるメッセージです。(吉椿雅道)

ODEのWEBボランティアの澤と申します。ラフマンさんのご逝去に心からお悔やみを申しげます。私がラフマンさんとお会いした中で、最も印象に残ったエピソードを下記にてご紹介し、追悼のメールとさせて頂きたいと思います。

私は、大学4回程のとき、ぶどうプロジェクトの、2007年からの3年間の1年目の兵庫県佐用町でのJICA農業研修で、通訳として約1週間ラフマンさんと、ご一緒にいらっしゃった現地のぶどう農家の方々と研修を受けました。

農家の方々は非常に熱心で、その熱意を率いて、ぶどう栽培の技術向上のための意見交換の熱いやり取りを形作ってくださっているのはラフマンさんでした。

カウンターパートとしてのラフマンさんの情熱が、ここまでのぶどうプロジェクトの素晴らしい進展を形作ってくださっていたと思います。

私の中で、でも、最も印象に残ったのは、その翌々年に、ぶどう研修の最終日に、また佐用町に見学にお邪魔してお会いした時の、ご挨拶をしたときのお話でした。その間、私は卒業して東京で働いた会社で鬱病になって休職して帰ってきていました。

ラフマンさんは、「Momoko、鬱なのだったらアフガニスタンに来たら、治るよ。アフガンは美しい国だから。」と仰ったのが印象的でした。そして、アフガニスタンが人の様子や自然などが美しいと語ってれました。紛争や国際情勢に巻き込まれたこと、干魃を経ても尚です。

先輩方のお悔やみのご配信を拝読しましたように、ラフマンさんは、日本の皆がアフガニスタンの治安の状態を知らないことや、紛争のイメージばかりが語られることを悲しんでおられたそうです。しかしながら、私にかけてくださった言葉の奥には、故郷への誇りと、日本人が現代の多忙さの中で忘れがちな人の温もりがアフガンにあること、そして、その美しさを取り戻すために専心する強さが感じられました。

心よりのご冥福をお祈りします。それと共に、そんな、「元気になりなさいよ」と勇気付けてくれたラフマンさんのお気持ちに沿うこと、またラフマンさんの生き方にinspireされて、私も元気に自分自身のミッションの遂行に励んだり、継続した社会貢献を心がけて生きていきたいと思います。(澤桃子)

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アフガニスタン、ラフマンさんご逝去第3報

CODE海外災害援助市民センターです。元CODEのスタッフの飯塚明子さん(宇都宮大学)からラフマンさんへのメッセージが届きましたので、ご紹介いたします。(吉椿雅道)

ラフマンさんへ
ブドウ畑再生プロジェクトの立ち上げから、現在に至る運営まで大変お世話になりました。
私はCODEで働いていた2005年のアフガニスタン出張で、ラフマンさんにお会いしました。
私たちへの温かい歓迎と、地元の人に穏やかに接する姿は今も忘れられません。
ラフマンさんという信頼できる現地パートナーなしでは、日本と文化や環境の大きく異なる
アフガニスタンでのブドウプロジェクトはうまくいかなかったと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
ソ連の侵攻や、タリバン支配、米国や国際社会の介入等、激動のアフガニスタンを生きた
ラフマンさん、突然お亡くなりになられて非常に残念ですが、どうぞゆっくりとお休みいただき、ぶどうの成長を天国で見守っていただければ幸いです。(飯塚 明子)

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アフガニスタン、ラフマンさんご逝去第2報

6月22日に交通事故で亡くなったアフガニスタンの友、ルトフ・ラフマンさんの状況です。彼は、現地のNGOとしてCODEのぶどうプロジェクトや災害支援だけでなく、様々な仕事をしていました。最近は、UNODC(国連薬物犯罪事務所)の仕事をしていたそうです。政府の問題で閉鎖されていたマザリシャリフの国連事務所の再開に向けて奔走していた時の事故だったそうです。事故の当日は、首都カブールからマザリシャリフに向かっていたようですが、この日は国連の要件ではなかったようなので、国連から彼の死に対して何の補償もないと息子さんは語っていました。アフガニスタンの平和を切に願っていた一人の男の死に心が痛みます。(事務局長 吉椿雅道)

以下、元CODEスタッフとしてアフガニスタンを訪問し、ラフマンさんと親交の深かった斉藤容子さんからのメッセージです。.

CODEからのお知らせにある通り、アフガニスタンのラハマンさんが亡くなったとの連絡を受けた。悲しくて、涙が溢れてくる。私が初めての出張で行ったのがアフガニスタンだった。タリバン政権崩壊後、降りたった飛行場には墜落した飛行機の残骸が放置されていた。そんな中、祖国を立て直そうと奔走してる人々がいた。ラハマンさんもそんな1人だった。戦争とは、平和とは、宗教とは、多くのことを考えさせてくれた。…
来日した時、すごく思い詰めた顔をしてた。どうしたのって聞くと、なぜアフガニスタンの現実を誰も知らないんだって聞かれた。毎日どれだけの人がテロで亡くなっているか、なぜ知らないのかと。きちんと答えられず、そうだよねと頷くことしかできなかったけど、ラハマンさんが言ってたことをラハマンさんの訃報とともに伝えたいと思い書きました。まだ信じられないけど、どうか安らかに。(斉藤容子)

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訃報:アフガニスタンのラフマンさんご逝去

CODEのカウンターパートのアフガニスタンのルトフ・ラフマンさんがご逝去されました。
長年CODEと共に歩んでくれた一人のアフガニスタン人の死を悼み、心より冥福をお祈りいたします。(CODE事務局長 吉椿雅道)
以下、CODE事務局長として長年、ラフマンさんとプロジェクトを行ってきた、村井雅清(CODE理事)よりメッセージです。
訃報です。
2001年以来、おつき合いをしてきたアフガニスタンのLutf Rahman
Lutfy(ルフト・ラフマン)さんが交通事故でなくなりました。
2013年2月、CODE設立10周年記念シンポジウムの際に来日されたので、みなさまもご記憶のことと思います。
亡くなったのは、6月22日のようですが、CODEにラフマンさんのご子息(Fardin
Lutfy)から訃報のメールが届いたのが、7月13日でした。
。ご子息のお話では、私用でカブールからマザリシャリフ(アフガニスタンの北部)へ向かう途中で交通事故に遭ったとのことで、詳細は分かりません。詳細が分かり次第、あらためてお知らせいたしますのでご容赦下さい。
2002年にラフマンさんとお出会いして以来現在まで、CODEのプロジェクトの遂行のために常に尽力してくださったすばらしいカウンターパートナーでした。CODEのミッションでアフガニスタンに滞在していた私と出会ったときには、アフリカやアメリカにも出先を持っていた大きなNGO、SFL(シェルター・フォー・ライフ、本部・アメリカ、建設NGO)のスタッフでしたが、そこを辞められてから、CODEのような小さなNGOであるにもかかわらず誠心誠意サポートし続けて下さいました。
CODEの事業として、2002年からアフガニスタンに入り、2006年までは往来をしていました。CODEの支援事業の中でも、紛争後の暮らし再建支援という自然災害後の暮らし再建支援とは少し赴きの違う被災地となりましたが、ぶどう畑再生プロジェクトということでコツコツと支援を続けて参りました。みなさまのご支援のおかげで、先述したCODE設立10周年記念シンポジウムをきっかけにスタートした無農薬・無添加レーズンの輸入販売もスタートすることができました。
CODEの支援事業の中でも最も長いおつき合いとなっただけに、この訃報は大変辛いものになりました。
事故の詳細をはじめ、プロジェクトの今後については息子さんと連絡を取りながら確認し、あらためてみなさまにはお知らせ致します。
最後にLutf Rahman Lutfy(ルフト・ラフマン)さんのご冥福をお祈り申しあげたいと思います。
2017年7月16日 CODE 理事 村井雅清
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「レーズン収穫期」―ぶどう畑再生プロジェクト 活動レポートNO37

先週第3木曜日は「月イチ★イベント食と国際協力第8回れーずんの会」が行われ、有意義な時間をみなさまと過ごすことができ感謝しております。後ほど会の感想もお届け致 します。

このれーずん事業の母体プ ロジェクトである、CODEの「アフガニスタンぶどう畑再生プ ロジェクト」で、カウンターパートであるラフマンさんにぶどう農家の方々を訪ねていただきました。以下レポートをお届け致しま す。


2014年9月の末頃に私はミール・バチャ・ コットに行ってきました。この地域の長老であり、この地域に住むぶどうシューラのメンバーに会い、活動の状況を聞いてきました。

ぶどう農家たちは9月末から10月初旬にかけてぶどうの収穫を行います。今年は10月15~20日あたりに乾燥をさせる予定です。 というのは、農家たちは先にぶどうを生の新鮮な状態で販売し、最後に残ったぶどうを乾燥しレーズンにするからです。アフガニスタ ンの人たちにとってレーズンは欠かせない食べもので、毎日持ち歩き、一粒ずつ小腹が空いたときに食べるのです。

ぶどう農家たちは、今は少 ない市場(パキスタンとの政治事情で閉鎖され ている市場が多いため)でぶどうを販売するほかに、道路の 脇でそこを通りがかる人にぶどうを売り、少しでも多くの生活費を稼ごうとしています。今道路脇で売られているレーズンは一袋約7kgで、80アフガニ(1.5USドル)で売られています。これはレーズンの通常価格1kg、5USドルに比べて非常に安く、余っている大量のレーズンを少しでも販売しようとぶどう農家は必死です。

私たちが支援を行っている ミール・バチャ・コットでは、今1本のぶどうの木から5~25kgのぶどうを収穫することができます。収穫量は、ぶどうの木の年齢と農家たちのぶどうの 世話の仕方によって変わるため、農家たちはぶどうの品質向上に日々努めています。たとえば、木材ではなくコンクリートの支柱を使 うことでぶどう栽培の衛生環境の改善を試みたり、さらに、乾燥時の直射日光により色や味が変わりやすい白ぶどうのために、日陰の 乾燥専用部屋を作ったりし改良を重ねています。

同時に今アフガニスタンで は、ガニ元外相が新大統領に就任したばかりです。新 内閣が発足するまでにまだしばらく時間がかかり、それまでは国内のあらゆる機関が一時停止をしています。アフガニスタンの人々は 新しい政権が動き出すのを今かいまかと待っている状態です。アフガニスタン国内のみならず世界からの大きな期待を背負う新内閣か ら目が離せなくなりそうです。

 

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「れーずんのおはなし1ー新企画」れーずん事業活動レポートNO1

少し前から、無添加 れーずん 「アフガニスタンからの贈り物」の輸入販売をはじめ、入荷に遅れをとりながら、少しずつですがみなさまの元へお届けができております。
今まだ、れーずんが届くのをお待ちのみなさま、ご迷惑をおかけしておりますが今しばらくお待ちくださいませ!

これからアフガニスタンのぶどうを中心に、それを取り巻くぶどう栽培の様子や人々の様子をお伝えしたいと思っております。これまでは「アフガニスタンぶどう畑再生支援プロジェクト」というCODEの救援プロジェクトというフレームから、現地の人々の様子をお届けして参りましたが、ぶどうのおはなしをもみなさまにお届けしたいと考えています!というのは、この輸入販売をはじめ、多くの方がぶどうそのものにたいへん興味をもってくださっていることがお電話やメールでお見受けできたからです。

れーずんのおはなし1として今回は、ラフマンさんとのやり取りの中で、詳しいぶどうのはなしが出たので、一部をご紹介したいと思います。

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アフガニスタンには、ぶどうの木はたったの100万本しかありません。ショモリ平原のような場所で、ぶどうで有名ですが、Peer Nakhshir(Peir Nakhshirとも書く)やHerat(ヘラート)はぶどうの種類は72にも及び、Kandahar(カンダハル)、Saripul(サリプール)、Faryab(ファリャブ)、Chaab(チャーブ)には天水栽培のぶどうがあります。それらのぶどうは山の頂上にあり、誰もそれらのぶどうの世話をすることができないので、人々は1年に一度ぶどうを収穫し、市場で売っています。

パキスタンへは(今はパキスタンへの輸出はできないので、これは輸出ができていた時期という意味)生のぶどうを輸出しており、それらをレーズンにする時期はもっと後です。市場の空いていないときは、余ったレーズンは太陽の下で干したり、室内で乾燥させたりし、冷蔵庫などのないアフガニスタンで日持ちのするよう工夫をしています。ロシアに輸出されているレーズンもあり、それらはワインなどのお酒を作るためですが、量は決して多いわけではありません。保存方法が悪かったり、売る場所がなかったりという理由から劣化したぶどうを見かけることも多々あります。インドに輸出されるぶどうもありますが、パキスタンがアフガニスタンからぶどうをインドへ空輸で送ることを禁止しているため、陸路で輸送をしなければならないのです。 アフガニスタンの人々はレーズンをご飯と混ぜて作る、パラウという料理をよく食べます。ぶどうの収穫時期は、朝食にぶどうをパンと一緒に食べますが、これは砂糖を買う代わりに甘いぶどうでまかなっているのです。朝、昼、晩と三食ぶどうを食べる人もいます。しかし、これは収穫時期のみのことで、余った分は乾燥させ売ったり、ご飯として食べたりします。収穫後の2ヶ月はぶどうを生で食べることが多いですが、残りの10ヶ月は乾燥させ、食べています。

ぶどうを育てている人たちの少数は、牛や羊、やぎなどを育てるといったほかの仕事で忙しくしています。これらの人々の1%が学校の先生をしていたり、兵隊などとして政府に仕えたりしています。

日本を訪れた後(JICAの草の根技術協力事業のこと)、ぶどう農家たちはぶどう栽培の方法を変えました。以前まではぶどうの苗を地に這わす形で栽培を行っていたのに対し、研修後は支柱を作りそれらにぶどうを巻き付ける形で栽培を行っています。これをすることにより、収穫量がぶどうの木1本毎で3倍に増えたそうです。

さらに、ぶどうの収穫量が増えた理由は、長い間栽培することが可能になったことです。紛争の最中、2003、2004年頃にタリバンにぶどうの木を焼かれてしまったため、復興はぶどうの木を植え直すところから始まりました。植え直したぶどうの木が育つのには長い時間が必要で、今やっとぶどうの木が、十分に大きくなり、継続的に実をつける段階まできました。

ぶどう農家たちは有機栽培の研究に非常に熱心で、日々オーガニック栽培の手法を改良しながら栽培を行っているところです。
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みなさまれーずんのおはなし第1回目はいかがでしたでしょうか?
みなさまからのご意見・ご感想をお待ちしておりますので、ぜひ私たちにお聞かせくださいませ。

多田茉莉絵

月イチ★シリーズ 食と国際協力 第2回 「れーずんの会~世界の暮らしから、私たちの日常を考える」を行いました

月イチ★シリーズ 食と国際協力「れーずんの会~世界の暮らしから、私たちの日常を考える」を4月25日に開催しました。

約15名の方にお越しいただき、当時CODEの事務局長であった村井雅清さん(CODE理事)にインタビュー形式で、当時の様子を語っていただきました。

アフガニスタンは20年以上の紛争と2001年の空爆により、ぶどう畑が「根絶やし」にされてしまったところからこのプロジェクトのストーリーは始まります。「根絶やし」とは、植物を根から絶つことをさします。タリバンはカブール北部ショマリ平原の植物が育たないようにするため、ぶどう畑やほかの植物を焼き払ってしまったのです。

そのような状況を目の当たりにし、村井さんはこれまで行ってきた自然災害援助と状況が大きく違うため「何ができるのだろう…」と深く頭を悩ませたと言います。あるとき、アフガニスタンで滞在していた場所にて、ふと現地の子どもたちが、この不安定な状況下で普段と変わらず遊んでいる姿を見ます。そのとき「これや!」と思ったそうです。「この状況を守ることがアフガニスタンの平和を守ることだ」と。

ぶどうの畑やぶどうの木をすべて元通りにするのに20~30年はかかると言われるように、アフガニスタンの平和を元の形にする、もしくは新しい平和の形を築くのにも20~30年、いやもっとかかるのではと村井さんは言います。

れーずんの会第1回では、「アフガニスタンからの贈り物」をみなさまに味わっていただき、どのようにすればより多くのみなさまにご賞味いただけるかという点を中心に会が進みましたが、今回はアフガニスタンの方々の日常を知っていただけるような機会にしたいという気持ちを込めて行いました。実際に現地に赴き、その場で感じたことを村井さんに語っていただいたことで、少しでもアフガニスタンの方々の状況を考えるきっかけとなったのであれば幸いです。これからもアフガニスタンの平和を一緒に考えていきましょう。どうぞよろしくお願い致します。

今回のお菓子はアフガニスタンのれーずんを使用したパラウ(アフガニスタンで食べられているレーズンを混ぜて作ったご飯)と同じくれーずん入りチーズケーキでした。 (多田茉莉絵)

「れーずんの会-れーずんを食べながら国際協力を考える」を行いました

3月28日に「れーずんの会-れーずんを食べながら国際協力を考える」を行いました。みなさま忙しい中、足をお運びいただきまして、ありがとうございます!

会ではとても有意義な時間を過ごすことができました。
このプロジェクトでCODEが行っているプロジェクト、アフガニスタンのぶどう畑を土から再生するところから、またぶどう農家の方々を日本にお招きして健康なぶどうの作り方を学んだ背景、さらには政治情勢の変化に伴いぶどう農家の方々が泣く泣く販売経路を変えなくてはならなかったということをもご紹介しました。

レーズンの販売方法について具体的な意見、「作り手の顔が見えた方がいい」や、「生産過程をわかりやすく記した方がいい」などいただきましたので、次の会でフィードバックさせていただきたいと思います。

そして何より、このアフガニスタン産干したままのレーズンをご賞味いただき、レーズン特有のねちっこさ、そして同時に噛み応えのある果肉を楽しんでいただけたかと思います。種も中に入っています。
お菓子は3種類用意しました。
・ココアパウダーレーズンパウンドケーキ
・レーズンサラダ
・オートミールクッキー

このアフガニスタンぶどう畑再生支援を続けていくことで、アフガニスタンの農家の方々が自立をして生活を続けていけるような持続性のある活動をこれからも続けていきたいと思います。みなさまこれからもどうぞよろしくお願い致します。
(M.Tada)

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