2022年6月23日付け神戸新聞に、遠藤乾(東京大学教授)さんが投稿していた内容に注目した。同紙の「戦争の終わらせ方。『より少ない悪』を選びとる」という見出しに・・・・。遠藤教授は、「終わり方を探る議論は本格化しつつある」と。しかし、プーチン大統領も、ゼレンスキー大統領も、「そんなのどこ吹く風!」という感じで、徹底的に闘うということしか考えてないようだ。
だからではないが、私は終わり方を探る議論が本当に本格化しつつあるだろうかと疑問を抱かざるを得ない。ただ、遠藤教授が投稿したこの内容の最後に、「戦争を始めたのはプーチン大統領だが、それを続ける際、あるいは逆に終わらせる際、われわれは何のためにそうするのか、『目的』がいま問われる。『現在の犠牲』と『将来の危険』とのジレンマのなかで、残念ながら「より少ない悪」を選び取らなければなるまい。これは相当つらいものになる」という論に注目した。なるほどと納得する。ただ、この『現在の犠牲』を『過去の犠牲』に、『将来の危険』を『現在の危険』に置き換えると、『取り返しのつかない「現在の危険」』という気がしてならない。
今、日本に住む私たちを覆う、「国を守る」という空気にはおぞましさを感じてしまうので、より「過去の犠牲」にしっかりと向き合わなければ、「取り返しのつかない現在の危険」から脱出できないだろうと思うのである。今、日本は「将来間違いなく危険なことになる」と断言できるほど危うい。私たちが、“いま”向き合う「過去の犠牲」とは?
それは77年前の沖縄戦の犠牲にだ。4人に1人、あるいは5人に1人が亡くなったという凄惨な戦争にだ。同じ6月23日、朝日新聞の「声」に、「祖母の沖縄戦ウクライナ重ね」という投稿が紹介されている。長くなるが全文を紹介したい。
―祖母は77年前の沖縄の地上戦を経験した。1945年4月1日、祖母らが住んでいた本島中西部に米軍が上陸を開始した。艦隊が海を黒々と埋め尽くすのを見たという。10人いた家族は、血を絶やすまいと、祖父と祖母に分かれて避難を始めた。歩くことが不自由な曾祖母を連れていた祖父らは遠くに逃げることができず、すぐ米軍に捕らえられた。5人の子を連れた祖母は艦砲射撃に追われ、激戦地となった南へ。艦砲の破片で負傷した次男を担ぎながらあちこちのガマや墓に隠れたが、日本兵に追い出されたこともあった。祖母は逃げる途中、偶然、少年兵として招集された長男に出会った。艦砲のやんだ夜、持っていた最後の米で握り飯を作って食べさせた後に別れたが、それが最後になった。逃げること3か月、祖母らも米軍の収容所に。そこでは、多くの収容者を見た女性が「どうして自分の子を殺めたのだろう。こうして皆、生きられたのに」と泣き叫ぶ声が聞こえてたという。祖母もまた、92歳で亡くなるまでの長男の命を惜しみ、苦悩を続けた。毎日のように流れるウクライナの映像に、祖母の沖縄戦を重ね合わせる日々が続いている。(主婦 笠原 梢・東京都 74)─(朝日新聞、2022年6月23日)
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)
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