憎しみの連鎖ではなく、支え合いの連鎖を!!-NO.14

とうとう、ウクライナ南東部のマリウポリがロシア軍による、2月末から約80日間の容赦ない攻撃が終わった。アゾフスターリ製鉄所には、一時ウクライナの兵士が1,000人以上もいて、負傷兵が約500人が取り残されているという報道もあった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、「戦闘任務は完了した」「ウクライナの英雄たちは生きて帰ってこなければ。これが私たちの原則だ」と声明を出した。ロシア側は「ウクライナ軍が降伏した」と発表。手放しでは喜べないが、この地域においてはとりあえず戦闘状態が終わったということには、「ホッ!」と一息つける。

それにしても「包囲戦80日市街9割破壊」「無差別攻撃、2万人超犠牲」「マリウポリ陥落」「製鉄所部隊投稿」「激戦地露「戦果」宣伝」・・・・などなど、第二次世界大戦時の日本のニュースも、こんな報道が日々されていたのだろうか?遠く戦地と離れていても、どうも落ち着かない!

もちろん、日本に避難して来られたウクライナの人たちは、もっと落ち着かないだろう。ウクライナに夫を残し、単身で身内を頼って日本に来られた若いパートナーもいる。とにかく、ロシア・プーチン大統領は全面的に「無条件即時休戦宣言」をするべきだ。プーチン大統領が侵攻さえしなければ、誰一人こんなつらい思いをすることはなかったはずだ。憤りが込み上げてくる。

日本に避難された方のほとんどは、言葉が全く通じない。もちろん仕事はできないし、自由に移動もできない。小さなことかも知れないが、行政から住まいを提供されても、風呂にはシャワーがない。これまで暮らしてきた日々の暮らしが当たり前のようにない!ということが不安とストレスを増大させる。

CODEは、27年前の阪神・淡路大震災でボランティアの第1歩は「黙って(被災者の)傍にいること」と教えられた。日本に避難して来られているウクライナの人たち、そして今回のことで息を潜めながら、肩身の狭い思いをしているロシアの人たちに、大した支援はできないが、この「黙って傍にいる」ということだけは忘れていない。

先日も、ロシアの方でウクライナ支援を呼びかけている家族に出会った。「感動しました!」と声をかけた。複雑な表情だったが、訪ねていったことには喜んで下さった。
少しでも何かお手伝いができないかとCODEの関係者は東奔西走するが、27年前に「ボランティア元年」と言わしめたあの“空気”を思い出す。
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)

PS: ウクライナおよびロシアからの避難民に対しての具体的な支援活動(MOTTAINAIやさい便など)はCODEのHP・Facebookを見てください。

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