月別アーカイブ: 2022年4月

憎しみの連鎖ではなく、支え合いの連鎖を!!-NO.9

プーチン率いるロシア軍がウクライナに進攻して2か月が過ぎた。ウクライナの人たちにとっては、想像に絶する2ヶ月だったと思われる。これでとりあえず停戦にでもなるなら、「ホッ!」とできる一刻(ひととき)が訪れたかも・・。
しかしプーチン大統領は、「マリウポリの製鉄所を解放した」と数日前に発表した。解放したというのは、プーチン大統領側の解釈で、ウクライナのゼレンスキー大統領は認めていない。ただ、制圧したならば、もうそれ以上攻撃をする必要があるのだろうか?その後もマスコミによる記事は、「製鉄所攻撃を継続」「(東方正教会の)イースターの後にもかかわらず攻撃がやまない」「製鉄所には重傷を負った兵士が500人いる」「(子どもたちは)2か月も地下の避難所にいて、太陽を見たい!」などとあるように、それでも攻撃を続けるのは、プーチン大統領は「ウクライナを根絶やし!」にするつもりなのか・・・・?

一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、「欲しいのは武器」と言っている(朝日新聞、2022・4・25)私は、その現場にいないけれども、「戦況」「制圧」「要塞」「武器が欲しい」などという言葉さえも聞きたくないし、その文字も見たくもない。どうしたらこの戦争が終わるのかという記事が何故少ないのだろうか?

さて、国連のグテレス事務総長が明日26日に、プーチン大統領と会う(28日にゼレンスキー大統領に会う予定)。遅きに失することのないことを祈りたい。ギリギリのところで佳い結果がでることを期待したい。

ロシアでは、果敢にも女性による反戦デモが行われている。神戸新聞4月25日付け記事によると、「ロシア軍が攻撃を開始した翌日の2月25日には、フェミニスト反戦レジスタンス(FAR)が結成された」とも。今のロシア・プーチン政権下の政治体制では、命懸けの反戦行動だ。こうした女性による行動は、「モスクワ在住のフェミニスト詩人ダリア・セレンコが提唱してきた「静かなピケ」という方法だ。これは、大がかりなデモではなく、各人が都合のよい時間と場所で日常的に可能なことを行う活動」(同紙)ということだと知った。

日本政府は辱めもなく、「ドローン」をウクライナに送る予定だが、反戦に世界中で連帯する私たち一人ひとりは、武器ではなく、「静かなピケ」に倣って、「武器を捨てる」という覚悟を備えなければならないだろうと思う。以前、このレポートでもお伝えしたように、15,000年前にモンゴルから歩いてベーリング海峡を渡り、カナダとアメリカの国境に辿り着き、未だにその子孫たちは「イロコイ連邦」を維持している。この人たちは、15,000年前の旅路では、「武器を置いて、戦う意志はない!」という行動で、不戦を貫いてきたので、未だに遺っているのだろう。
今こそ、イロコイ連邦のさまざまな歴史に学びたい。
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)

*CODEは、ウクライナ及びロシアから避難してきた方々に食糧支援を行います。ご協力のほどよろしくお願いいたします。
ご寄付はこちらから。

憎しみの連鎖ではなく、支え合いの連鎖を!!-NO.8

国連人権理事会がロシアの理事国資格停止を決めたという報道が発表され、それに反発したロシアは同会から脱退を表明した。

2月24日にロシアのプーチン政権がウクライナに進攻して以来、プーチン政権は蛮行を積み重ね、日に日に深刻な事態が明らかになっている。こうした事態を受けて、日本はじめ国際社会では、「ロシアに対するこの制裁措置は当然だ!」という声は少なくないと感じる。この決議は拘束力がないとはいえ、ロシアを国際社会から追放するということでもある。この間、アメリカはじめNATOや日本など、いわゆる西側諸国は、経済制裁という対露制裁を重ね、ロシア政権を追い詰めている感がある。

果たしてこのような制裁を重ねることで戦争終結が実現するのか、疑問を持たざるを得ない。「対話」の機会を少しでも残しておかなければ、「外交」手段を残しておかなければ、双方に犠牲者を出すばかりで、特にウクライナ側では、子ども、女性、高齢者、障害者などという逃げたくても逃げられない人たちにも、容赦なく攻撃がなされている。

プーチン政権に「戦争やめろ!」といくら叫んでも、状況は悪くなるばかりであるにもかかわらず、プーチン大統領をギリギリまで追い込み、国際社会からの追放とまで断罪することは、果たして効果的だろうか?何故か、モヤモヤした感情がこみ上げてくる。

今回の国連総会決議では、加盟国193カ国のうち、賛成は半分に満たない93カ国にとどまっている。棄権も58カ国もあり、反対表明は24カ国という結果である。そもそもこうして多数決で決めることは「民主主義」と言えるのだろうか?
平時では、「多様性の大切さ」「声なき声に耳を傾ける」「少数派にこそ目を向け救いの手を差し伸べよう」などと、特に子どもたちには教えているのではないだろうか?
大人のこうした行いを見た子どもたちはどう思うだろうか?

昨日4月9日付けの毎日新聞朝刊で、「今回の決議が、国連の正当性が揺らぐことにもつながりかねない怖さも含んでいる。国連の強みは、対立国も含めて『最低限の合意』をつくることにあるからだ」と鈴木一人さん(東大公共政策大学院教授)は言っている。加えて鈴木さんは「例えば日本の国会で特定の政党を排除して決議をとっても、民主的とは言いえないのと同じだ。ロシアが国連に背を向けてしまうと、世界の重要な問題に関して国際社会として最低限の合意もできなくなってしまうかもしれない」と懸念されている。根気よく「対話」を重ねるしかないと思うが・・・・・?                  
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)

憎しみの連鎖ではなく、支え合いの連鎖を!!-NO.7

トルコで行われた停戦協議で、露軍がウクライナの首都キーウ(キエフ)周辺から撤退させると約束した直後から、一部の露軍はキーウ周辺に残り、特にブチャでは凄惨な殺戮や拷問が行われたという報道が洪水のごとく溢れている。しかし、いつものようにロシア政権は関与を否定している。この凄惨な光景は、銀幕の上での話ではない。

「無差別殺害」「ジェノサイド(大量虐殺)」「巨大な墓場」など見出しが躍る。国際人権団体「ヒゥーマン・ライツ・ウオッチ」の報告を見ると、なんとおぞましいことが繰り返されたのか・・・・もう表現することすらできない。

ところで、私は本レポートNO.6で「殺す側に立つな!」と叫んだ。このメッセージはそもそも2001年「9・11」事件のあと、真宗大谷派の当時企画室参事をされていた「玉光順正さん」が、辺見庸さんとの対談で、「わたしたちは“殺される側”に立つべきである」と言われたことが私には大きな衝撃だったことが背景にある。お二人が対談の中で共通した点は、アメリカがとった報復のためのテロ攻撃にほとんどの国が、もろ手をあげてアメリカに賛同したことだ。そのアメリカのことを辺見庸さんは「80年代からのアメリカ一国的なグローバル化、つまりアメリカの資本、アメリカを中心とするマネーゲーム、アメリカ的な国策を背負った正義などが、相当浸透してしまったこと」と鋭く指摘された。(2001年12月1日 同朋新聞より引用)

さらに「もう一つ見逃せないのが、この報復戦争の非常に汚い側面として、ロシアや中国など、国内に反対する勢力を持った列強諸国がアメリカに肩入れして、互いに弾圧を見逃すということです」と辺見庸さんは加えた。そして、お二人は「今、すべての人が『個』に立ち返り、価値観を組み立て直す必要がある」と強調された。玉光順正さんは「仏教では、釈尊が亡くなる時に自灯明・法灯明という言葉を残されました。つまり自分で考える人間になれと、そのためには、教えを学べと言っています」と釈尊の言葉を紹介した。

1979年にソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻し、その後ソ連が撤退したあと、内戦が続き、21年前の「9・11」のあとも大国が介入し、テロとの戦いを正当化して、無辜なるアフガニスタンの人たちが犠牲になったという歴史を振り返ると、今こそ私たち一人ひとりが、しっかりと自分と向き合い、何を考え、そしてどう行動するのかが問われている。少し長くなるが、先述した対談の紙面で玉光順正さんは、「私の視点」として、次のようにまとめられた。

「私たちは今、決して米国的正義感や大義名分に立ってはならない。間違いだらけの私たちは決して正義に立ってはならないし、正義を立ててはならない。正義と大義名分は、他を非難し排除するばかりか、必ずと言っていいほど暴虐に行きついてしまうことは、私たちが決して忘れてはならないことである。また、正義を立てると、私たちが今、たまたまこちらに居るということが見えなくなってしまう。私たちは今回の同時多発テロを糾弾する世界の多くの人びとは、たまたまこちらに居るということにすぎないのである。今の状況で確実に言えること、言わなければならないことは、テロリズムであろうと、その報復攻撃であろうと、その時、問われているのは、殺す側に立つのか、殺される側にたつのかということである。ブッシュ大統領の言うようにテロに立つのか、自由と民主主義に立つのかではない。またどっちもどっちというものでもない。どっちもどっちというのならそれは、どっちも殺す側でしかない。まず立つべきは殺される側であって、決して殺す側に立ってはならない」と。

「9・11」と今の状況と違うかもしれないが、人として生きるなら、このメッセージをしっかりと受け止めたい。
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)

憎しみの連鎖ではなく、支え合いの連鎖を!!-NO.6

先日29日トルコのイスタンブールで開かれた、ロシア政権の侵攻による戦争の今後についての協議で、ウクライナ側の「軍事的中立化」提案を受けて、ロシア側が首都キエフなどへの攻撃を「減らす」と応答した。これまで何度も停戦協議を積み重ねてきた成果と言えるのではないか。新聞各紙の見出しは「露にウクライナ譲歩」「光は見えたか 停戦協議」「停戦交渉『重要な進展』」などと一定の評価と判断しているようだが、ロシア側のいうキエフなどへの攻撃を減らすというのは嘘だろうという報道もある。

3月25日ロシア政権がウクライナに進攻して以来、衝突は激しくなるばかりで、双方に多くの犠牲者を出すばかりである。これまでは、殺すか、殺されるかの選択肢しかないような事態が進んでいたが、こうした停戦協議によって、休戦に向けたもう一つの提案が出されてくる。つまりこれは、「殺すか、殺されるか」の選択から、選択の幅が明らかに増えるということである。従って、停戦協議を根気よく続けることが一つの解決の道だと言える。ロシア側の対応が疑わしいとしても、停戦協議が少しずつでも具体化するということは、いわゆる「一縷の望み」が見えたということで、これまでの「殺すか、殺されるか」という選択肢しかない現実よりは、はるかに「生きる」ための選択が増えたということだ。

いつまでも「ロシアにつくか、ウクライナにつくか」という二項対立になるような表現は避けよう!

21年前の2001年の「9・11」事件を受けて、アメリカのブッシュ大統領が「アメリカにつくか、テロにつくか」と世界中に訴えた時と同じではないか。その後20年を経て2021年8月、その戦地となったアフガニスタンでは20年ぶりにタリバンの暫定政権が樹立し、やがてアメリカおよびNATOは撤退した。その結果、アフガニスタンが深刻な事態に陥っていることは記憶に新しい。昨年の8月以来アフガニスタンではアメリカなどによる経済制裁としてのアフガニスタンの銀行に対する資産凍結を決行したことで、NGOはじめ援助機関からの支援金が届かなくなった。他方、国連が人道支援として、飢餓に苦しむアフガニスタンの人々を対象に、食糧支援をする事態となった。そしていま、ほとんどアフガニスタンの記事は紙面から消えた。こうして大国の干渉によって、アフガニスタンと同じ轍は踏んではならない。

一日も早く完全停戦、できれば休戦に持ち込むことを願うばかりだ。この段階に来ても、マスコミは結果的にプーチン大統領を叩く報道が目立つ。もちろん今回のプーチン大統領がウクライナに侵攻し、無辜なる市民を殺している蛮行は許せるものではないことは繰り返し言ってきた。

でも、今こそ和平に向けた提案を、私たち一人ひとりが発信することを求められているのではないか!「NO WAR」とともに「殺す側に立つな!」と叫びたい。
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)