第二次調査レポート① 被災地の状況

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CODE海外援助市民センターのスタッフである斉藤容子と飯塚明子が、スマトラ沖津波地震の復興プロジェクト調査のために、2月24日から約1週間程スリランカに行きました。
交通手段となる道路や橋が修復されていたり、大きな瓦礫が取り除かれていたりして、主要なインフラは一応回復しつつあります。避難所にいた人々の多くも仮設住宅に移りました。それとともに避難所として使われた多くの学校も再開し、一時的に授業が行われています。しかし、人々の復興の度合いには大きなギャップがあり、仮設住宅に住んでいる人々の中には、肉親を失った悲しみ、現状況に対する不満、将来に対する不安の声を挙げる人も多くいます。


・ インフラ: 道路や橋といった交通手段となるインフラは、一応回復しています。第1回の視察で通過することができなかった道路が今回は修復されていたり、大きな瓦礫が取り除かれていました。
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・ 教育: 避難所となっていた12の学校のうち、ほとんどが授業を再開しています。しかし、いまだ3つの学校が避難所として使われています。日本の緊急援助隊が津波直後支援をしていた小学校では、部分的に授業が再開されましたが、何人かの少数の避難民はまだそこに住んでいるそうです。そこでは、2つの学校が時間を朝と昼に分けて授業を行うという形態をとっていました。今回は学校を2校訪れましたが、もう一つの学校も同じような形態をとり授業を再開していました。そのため、生徒の数が増えるので、机やいすといった学校の設備の不足が問題だそうです。
IMG_3836-s.JPG・ 住居: 住民の多くは避難所から仮設住宅やテントに移っています。国際NGOや現地NGOが仮設住宅やテントを建てたり、物資を支給したりしているようです。多くの場合は津波以前のコミュニティがそのまま移動して同じ地域の仮設住宅に移っているようです。しかし、地域により支援団体が違うので、仮設の住居の状況はその地域によって大きく異なります。設備のあまり整っていないタミル人のキャンプが、その反対であるモスリムのキャンプの目と鼻の先にあり、恵まれた状況で暮らしている人(主にモスリム)とそうでない人(主にタミル人)の状況が歴然としていました。
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それぞれの仮設住宅に地方自治体(Divisional Secretary)が派遣したグラムオフィサーという役人が全体を管理しています。
海外のNGOが来て子供のカウンセリングをしたり、ボランティアが子供と遊んだり、現地の聖職者(修道女)が訪問したり住民以外の人の出入りもあるようです。
・ 人々: 仮設住宅やキャンプに住んでいる人々の思いを聞いてみたところ、人により意見はさまざまです。仮設住宅の施設・衛生状態又は、近所の住人との関係から、仮設住宅がなじめず全壊した自分の家の跡地に戻ってきている人もいました。しかし、仮設住宅にいないと物資の配給や情報が得られないので、仮設住宅に住まざるを得ないそうです。また、長年住んだ家、津波で亡くした家族が住んでいた家が忘れられず、自分の家に戻って来ている人もいました。しかし、政府は海岸から一定距離(100mか200mかまだ未定)に家を建設してはいけないという計画を発表する予定なので、その地域に住んでいた住民は移動せざるを得ません。
IMG_3782-s.JPGその一方で、仮設住宅やキャンプでは基本的な物資が配給されるので、仮設住宅に住むことを多いに受け入れている人もいるそうです。コミュニティごとで同じ地域の仮設住宅に移っているので、津波後も近所の人とも変わらない付き合いをしているようです。働いて収入を得なくても、最低限の生活は保証されるので、働く意欲がなくなる場合もあるようです。そして、普段働いている時間帯に何もすることがないので、以前より多くお酒を飲んでいる人もいたり、今までお酒をあまり飲まなかった女性がお酒を飲み始める場合もあるようです。仮設住宅の生活に特に不満を持っていない住民も、しばらくしたら自分の家を持ち元の仕事に戻りたいという願望があるようです。

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