投稿者「code」のアーカイブ

ジャワ島中部地震ニュース第19報

つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」 Scene.2
ジョクジャカルタの街は、王宮を中心に広がるが、それを象徴するかのように地震直後、多くの被災した人々がバントゥル県から王宮を目指して避難して来ている。「スルタン(イスラム王侯)の近くにいるだけで心安まる。」という方もいる。と同時に大きな街にいた方が物資が手に入るという事、そして「津波が来る」という噂で約20㎞近く離れたジョクジャまでやって来た人々もいる。その王宮広場に設置されたPOSKO(ポスコ)では、ボランティアや被災者自身が、物資を集めてきて分配している。その他、伝統的な骨折治療(骨接ぎのようなもの)も行っているそうだ。

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【写真】プンドンから避難してきた家族

広場のすぐ西にあるモスクにも多くの被災者の人々が寝泊まりしている。ある家族にお話を聞いた。バントゥル県の南部のプンドンという地区(約1000人)から避難してきたそうで、現在このモスクには約160人が避難していると。どうしてこんな遠くまで来たのかと聞くと赤ちゃんを抱いたまだ若いお母さん(19歳)は、「家が壊れて村で寝るところがないからだよ。テントが手に入れば今すぐにでも戻りたいよ。。」と語ってくれた。
ふとあることに気づいた。ここにいるのは女性と子供達ばかりで男性の姿がない。
どうしてかと聞くと「昼間はみんな物資を探しに行っているよ」と言う。自分たちの事は自分たちでやろうとする気持を感じた。でも最後に「NGOだったら食料でもお金でもいいから何かくれ。」と言われた。緊急のこの時期に復興に向けた調査の旨を伝えてもなかなか理解してもらえない。無理もない事だ。だが、その先のより長い復興の事を見据えている人がきっといるはずだ。そう信じたい。。。
*関連団体の動き*
HuMA:災害人道医療支援会(Humanitarian Medical Assistance)。国内外での大きな災害時に医療チームを派遣したり、災害医療にかかわる人々の教育研修を行う。ジャワ島へは先見調査隊がすでに帰国し、医師2~3名、看護師2~3名、調整員2~3名の医療チームを5月31日から6月25日まで派遣する計画です。
(http://www.huma.or.jp/)

ジャワ島中部地震ニュース第18報

6月12日に被災地から帰国した吉椿から、つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」として、
現地の声をお伝えします。
つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」Scene.1 

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【写真】崩壊した空港ターミナル

5月27日。その日、中越地震復興のフォーラムで名古屋にいた。ホテルで何気なくTVをつけるとジャワの被災地の映像が飛び込んできた。正直「またか。。」と思った。名古屋に集まっていた関係者の間でも話題になっていた。そして情報収集を行い、日本を飛びたったのが6月3日。今回、縁あって通訳としてこの3月までジョグジャカルタに留学していた学生の方に同行してもらい、事前に現地事情を聞き被災地に入った。 
古都ジョクジャカルタに降り立つとにすぐにガレキと化した空港のターミナルが目に飛び込んできた。重機が取り壊し作業を行っていた。ホテルに向かう道では最近出来たばかりのショッピングモールの壁が剥がれ落ちた姿や無惨にも倒壊した家屋、大学などが点々と存在している。
ホテルで打合せを終えるととすぐに夕暮れまでの僅かな時間を使って市内の避難所のひとつ王宮広場へと向かった。王宮に接しているジョグジャ一の繁華街、マリオボロ通りは今日再開したばかりだという。だだっ広い王宮広場にはチラホラと被災者のテントらしきものが見える。そっと寄って行って声をかけてみる。被害のひどいバントゥル県のイモギリという地区から地震直後に親戚や近所の14世帯と共にここにやって来たという家族。自宅は半壊だという。「王宮に来れば食料などの物資があると思いやって来た。」 が、その後マスコミなどの報道によりバントゥルが有名になり物資がそっちに行ってしまい、ここは足りないと言う。近所の住民に食料をもらったり、同じ広場に設営されたPOSKOと呼ばれる物資配給所に集まってくる物資をもらって過ごしている。「早く戻って家を再建したい」と最後に言っていた。
*関連団体の動き*
シャンティ国際ボランティア会:1980年に「曹洞宗東南アジア難民救済会議」として、タイにおけるカンボジア難民救援ために発足したNGO。阪神淡路大震災の復興支援も行う。ジャワ島にスタッフを派遣して、子どもの支援を開始。(http://www.jca.apc.org/sva/)

ジャワ島中部地震ニュース第17報

これまでにも何度か話題としましたが、被災地には相互扶助の精神が浸透していると言われています。それは「ゴトン・ロヨン」と現地では言っており、稲作農家の共同作業に起因するそうです。被災地の農村では、二毛作、三毛作というシステムになっており、それだけに農作業が一斉になることなく、多少の時間差作業をつくることで、お互いが農作業を助けあって行うことができます。
日本でも、昔から「講」「結」などという相互扶助のしくみがありますが、今回のような災害後の助けあい、支えあいによる復興を成し遂げようとするならば、最もふさわしいしくみといえるかも知れません。報道によると、ジョグジャカルタ特別州知事、スルタン・ハメンクブォノ10世も「住宅復興はゴトン・ロヨンで行われるのが望ましい」と言われています。
ただ、耐震化を伴う住宅建設については、最低限の耐震基準や技術を徹底しなければ、再び地震が襲えば、また同様の被害が起こります。津波対策でいう「とにかく逃げる」というのと同じように、地震対策では「壊れない建物づくり」が至上命令のようなものです。「ゴトン・ロヨン」で、浸透させないといけないのは、「減災」だと言っても過言ではないような気がします。
*テレビ・ラジオ放送のお知らせ*
今日(14日)讀賣テレビ午後6時16分からの「スクランブル」で、ジャワでのCODEの調査活動が紹介されます。
6月18日午前8時~8時半の「FM COCOLO」の「On the Move」に吉椿が電話出演し、ジャワ島地震被災地支援活動について話します。時間があれば、是非ラジオをお聞き下さい。(周波数は765)
*関連団体の動き*
京都に本部を置くNGO「NICCO」(日本国際民間協力会)さんは、すでに第一次調査団を現地派遣し帰国しています。今回は、移動診療活動などを主に展開するそうです。(http://www.kyoto-nicco.org/JavaRep.htm)

ジャワ島中部地震ニュース第16報

昨日帰国した吉椿さんから、現地の写真などを見ながら、いろいろな情報を聞くことができました。詳細は、後ほど昨日もお知らせしましたように、現地レポートを出して行きたいと思います。
  
写真を見ていて思ったことは、住宅でも全壊している家はともかく、半壊や一部損壊で残っている部分をみると、日本の昔ながらの在来工法による木造建築の特徴がチラホラ見受けられます。例えば、建物の軸組の大切な柱が釘を使わずに組み立てられているのです。また、数十㍍もある長屋のバザールの建物は、大きくは壊れていません。ここも、屋根と柱の部分が木材を使っており、その両者がしっかりとつながっている。さらに基礎となる地の部分は、布基礎しっかりとコンクリートで布基礎問われるからだと推測できます。
また、田んぼの中のあちらこちらに、タバコの葉などを乾燥させるための、すべて竹でつくられた小屋?が建てられています。小屋といっても高さ15㍍、長さ50~60㍍というほどの大きなものもあり、これらがほとんど壊れていないという現実には目を見張るものがあります。
中心地から離れた被災地は、幹線道路を走っていると一見よくわからず、ヤシやバナナの木をかき分けて奥に入ってみると、なんとある地域は全滅という光景が目の前に広がるようです。みなさんも新聞やテレビなどで家が壊れている映像を見られた方は、気がついておられると思いますが、建築資材として木材や竹がかなり使われています。極端な言い方をしますと、もともとその地域に生えていた木や竹をほとんど伐採して、(輸出も含めて)建築資材などに使い、残ったのがバナナとヤシの木という見方もできます。ちょっと複雑な思いが交錯しました。それにしても、その一帯が全滅ということは地盤の関係があるのかしら・・・・・・。
*テレビ放映のお知らせ*
今日(13日)讀賣テレビ午後6時16分からの「スクランブル」で、ジャワでのCODEの調査活動が紹介されます。もし、お時間があれば是非見て下さい。
*関連団体の動き*
阪神・淡路大震災後の被災者支援およびその後の国内災害の被災者支援し続けている「日本基督教団兵庫教区被災者生活支援・長田センター」が、今回のジャワ地震に対する救援活動を展開しています。
(http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bucms202/)

ジャワ島中部地震ニュース 第15報

6月4日から現地入りしていたスタッフ2名は、今朝無事に帰国しました。今後「つぶやき」なども含めて追加のレポートを発信していきますが、まずは帰国第一声をお届けします。なお、報告会を下記の通り行いますので、是非ご参加下さい。
本日、インドネシアのジャワ島より帰国しました。8日間という短い時間でしたが、震災後1週間の被災地の状況と中長期的な復興支援の調査を行って来ました。古都であるジョグジャカルタには伝統的な文化(人形劇、バティック、陶器、舞踊など)が息づいており、それを支える人々も今回の地震で多くが被災しています。また被害の大きかった農村部のバントゥル県、クラテン県は経済的には決して裕福とは言えないエリアですが、そこには豊かな田園と強いコミュニティー力があり、互いに助けあいながら今日を過ごしています。また今回、インドネシア政府も早い復興のビジョンを描きつつあるようです。(どこまで現実のものとするかは分かりませんが、、)
また、注目すべきは学生のボランティアがかなり組織的に動いている事です。緊急的な物資配給から子供達へのトラウマケアや仮設住宅(学校)の再建などの復興支援にもかかわっていくようです。現地にある地域力、文化を生かしながら、日本のボランティアとの連携も使いながら、これからの長くなるであろう復興への道程のお手伝いができればと思います。(吉椿雅道)
*報告会*
 日 時 6月20日(火)18:30~20:30
 場 所 神戸YMCA 423教室
 報告者 吉椿 雅道(CODE臨時スタッフ)
*関連団体の動き*
兵庫県立大学環境人間学部のO先生は、現地のアーティスト廣田緑さんが行っている草の根活動を関係者のみなさんに訴え、支援活動をしておられます。余談ですが、この県立大学環境人間学部は、11年前の阪神・淡路大震災直後の二日後に「阪神大震災 地元NGO救援連絡会議」を立ち上げられた草地賢一さんが、2000年1月2日に急逝する前まで、約2年間同大学で教鞭をとっておられた大学です。廣田さんの活動についてはHPをご覧下さい。http://midoriart.exblog.jp/m2006-06-01/

ジャワ島中部地震ニュース 第14報

地震発生から2週間が経過しました。悲しいことですが、前途に絶望されたのか自殺者がでています。こういう時は、とにかくまず「安心」なのでしょうか。阪神・淡路大震災の時、重度障害者がレスキュー隊に救助されたのはいいが、とんでもない遠い遠い病院に連れて行かれ、言葉では言い表せないほどの不安感、恐怖感を味わったという当事者の話を聞いたことがあります。救助する側は、まず「安全」な病院へ避難させようと思われたのでしょうが、同時にまず「安心」して貰うことが必要だという教訓だということでしょうか。ジャワの被災者が今、不安に思っていることの一つに、「住宅を再建しても、また簡単に壊れないだろうか?」ということがあるのではないでしょうか。
現地にいるスタッフの話によると、地震前から耐震住宅にしていた大学教授がおられ、その方の家は2階建て60平米で約90万円の費用がかかったそうです。今、政府が全壊家屋に補償しようとしているのは、30万円とか40万円という数字が飛び交っているとのこと。もしそうだとすると、耐震にするには倍以上の費用がかかる。
しかし、よく考えてみると「減災」という視点からすれば、今のところ地震対策の最優先課題は「住宅の耐震化」ではないのでしょうか。阪神・淡路大震災がそれを証明していますが、家さえ壊れなければ多くの死傷者はでないのです。ならば、そこに住む人たちがこういう災難を機に、「住宅耐震基金」のようなものをつくり、そうした自助・共助を、官が補完するような法制度ができないものなのかと思う。そうしたしくみができるまでは、せめて一部屋だけでも強固なつくりにしてほしいものです。
*関連団体の動き*
昨日は、ジャワ地震救援の募金活動をしている高校生を紹介しましたが、今日は大学生を紹介します。神戸市西区伊川谷町にある「神戸学院大ボランティア活動基金」が、連日学内で募金活動を展開していますが、昨日からJR明石駅や神戸市営地下鉄名谷駅などでも展開しています。もし、駅で彼ら、彼女らを見かけたら、一言声をかけて下さい。http://www.kobegakuin.ac.jp/

ジャワ島中部地震ニュース 第13報

現地からのレポートが届きました。以下に紹介します。
*9日ジョグジャカルタで、バティック(ろうけつ染め)の修行をしている人と出会い、バントゥール県イモギリに行った。そこに70才のバティック女性労働者と話すことができた。その女性の家は、今回の地震で全壊し、家の前の路上でテントを張り、避難生活をしている。彼女は、8才からバティックをはじめ、小さな工房を持ち商いを続けてきた。倒壊した家屋兼工房の中に、バティックの道具が散乱したままの状況を目にすると胸が痛む。「またバティックをやりたいね」と誇りに満ちた笑顔で言われたことが忘れられない。
*ガジャマダ大学の学生ボランティアが、4000人規模で動いている。最初は6人で動き始めたのが、このように膨れ上がった。物資配給基地になっている「POSCO」や被災地の小さなコミュニティに入って活動をしている。さらに、今後は大学のカリキュラムとして、地域に3~5人の学生が泊まり込みで入り、子どものケアーなどの救援活動をしながら、地域再生のための調査をやっていくそうだ。仮設住宅の建設も今後の計画にあがっており、この大学はかなり幅広く、組織的に再建活動を展開している。
*(住宅問題について)被災地域にある互助組織RT(隣組)の組長に話を聞くと、誰もがいうには、「住宅再建については、政府の方針が決まらないので、今は手をつけない方はいい」という考え方。被災者の中には半壊の家を、敢えて壊して全壊にするという被災者もいるようです。それは全壊の方が手厚い援助を受けられるという情報が広がるからである。 以上
やはり学生の街らしく、日に日に学生ボランティアが増えて、救援活動に奔走しているそうです。ちなみに神戸大学の災害医療救援チーム(DMAT)は、ガジャマダ大学と連携して活動をしています。
*関連団体の動き*
尼崎県立尼崎小田高校の生徒たちが、連日交代でJR尼崎駅前で、ジャワ島中部地震のための募金活動を行っています。また、6月15、16日の文化祭で現地の写真展示も交えて支援を訴えます。お近くの方は是非お立ち寄り下さい(http://www.hyogo-c.ed.jp/~amaoda-hs/)。

【お知らせ】ジャワ島中部地震 第一次現地調査報告会

ジャワ島中部の地震を受け、6月3日から12日まで被災地にスタッフを派遣しています。
スタッフの帰国後、6月20日に現地の報告会を下記のとおり行う運びとなりました。被災地で撮影した写真を使って、被災地の生の声を報告します。
皆さまのお越しをお待ちしております。
日 時 6月20日(火)18:30~20:30
場 所 神戸YMCA 423教室
報告者 吉椿 雅道(CODE臨時スタッフ)
*神戸YMCAへの行き方は、ホームページ(http://www.kobeymca.or.jp/kobe/wellness/index.html)をご参照下さい。お申込み、お問い合わせはCODE事務局までお願い申し上げます。
CODE事務局
〒652-0801 兵庫県神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL:078-578-7744 FAX:078-574-0702
e-mail:info@code-jp.org

ジャワ島中部地震 第12報

現地入りしている吉椿・岡部の二人は、昨日ジャワ島で伝統的なワヤン(人形劇)や観光産業としての銀細工やバティック(ろうけつ染め)などの工房の職人さんと話をしてきました。その工房は損壊がなかったようで、1971年に建築資材として、竹を使った建物らしく、地震には強いと言っておられます。昨年10月に起きたパキスタン地震のあと、現地の被害状況を見ていて、「昔にように、竹をつかっていたら、これほどまでに倒壊しないのに・・・・」と
思ったことを思い出します。でも、ここジャワも木材も、竹も昔のように豊富にないということが大きな問題だという気がします。
また、ほぼ全壊のクラテン県の小学校に訪問しました。普段120人の子どもが学んでいる学校ですが、幸い犠牲者はなかったそうです。地震発生時刻が早朝だったことが幸いしたのでしょうか。
さて政府は、当初被災者に食費やお米を支給するという発表をしたが、結局全壊被災者にしか配給されないということがわかり、不満や怒りの抗議の声が上がっているとのこと。こうした災害後の再建プランを示すときに、いつも思うことですが、とにかく被災者にとってまず安心のできる道筋を提示できないものだろうか?これだけ各国、各地域で災害を経験し、そろそろ再建に何が大切なのかは共有できてもよさそうに思うのですが、不可能な願いなんでしょうか?最近「象徴的復興」という言葉を耳にします。そこにヒントがあるような気がします。
*関連団体の動き*
阪神・淡路大震災後も、被災地の救援活動を勢力的に展開してこられた「フェアートレード サマサマ」(有)トモカンパニーさん(http//homepage2.nifty.com/samasama/)が、(社)アジア協会アジア友の会と連携して、今回のジャワ島中部地震の救援活動をはじめました。現地のカウンター・パートナーは、「ドゥカ・ワカナ大学緊急支援委員会」です。ジョグジャカルタは学生のまちなので、学生を中心にしたボランティア・ネットワークが広がることを願っています。

ジャワ島中部地震ニュース 第11報

<現地調査から>
インドネシア、ジャワ島中部地震被災地に入ったスタッフは、中長期的な復興プロジェクトを模索するため、現在被災地で積極的に情報収集や調査、そして関係機関との情報共有をしています。
現地からの情報によりますと、学生ボランティアが活発に活動をしているようです。各大学のサークルレベル(15人~20人)で、大学の前にテントを張り、そこをボランティアの拠点として、バイクなどを使って物資を運んでいます。ガジャマダ大学は2500人くらいの学生が組織的にボランティアをしているそうです。
バントゥールの生活環境は、もともと穀倉地帯なので、お米やとうもろこしなどは自分で食べる程度を作っているようです。他には野菜を仕入れて市場などで売る卸業やジョグジャの工場などの労働者などが多いようです。集落は幹線道路沿いにも多く、家と家の間に椰子などの木があるので外からは被害状況は見えにくく、集落に一歩入ってみると尽くつぶれています。壁は非常に脆いレンガを土でつないでいて、柱や鉄筋はまったく入っていません。また50年前に建てたという家も多いようです。最近建てた家も鉄筋の入っているのもあるのですが、非常に細いものです。ある人が言っていたのは、最近のレンガは脆く、昔のレンガはしっかりしていると。一般的な家屋は勾配の激しいとんがり屋根に薄い瓦を乗せ木の柱で支えており、壁はレンガを土でつないだものが主流のようです。
文化的なことに関して、まずジャワ舞踊研究所(ジョグジャ市内)が一部被害を受けています。この研究所はジョグジャに二つしかない伝統舞踊の学校(先生10人、生徒約100人)で、貴重な文化を守ることが目的でした。バティックでは、バントゥール県のイモギリといいう地区で職人たちの工房が被災しているようです。
さまざまな側面から被災地の様子を調査していますが、また現地からの情報が入り次第報告いたします。
*関連団体の動き*
日本国際ボランティアセンター(JVC):アジア・中東・アフリカの10の国・地域で支援活動を行っている国際協力NGOです。インドネシアのジャワ島中部地震においては、現地NGOを通しての支援を開始しました。詳細はHPをご参照下さい。http://www.ngo-jvc.net/