ジャワ島中部地震ニュース第18報

6月12日に被災地から帰国した吉椿から、つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」として、
現地の声をお伝えします。
つぶやきレポート「インドネシア被災地の今」Scene.1 

04052006 023-s.jpg
【写真】崩壊した空港ターミナル

5月27日。その日、中越地震復興のフォーラムで名古屋にいた。ホテルで何気なくTVをつけるとジャワの被災地の映像が飛び込んできた。正直「またか。。」と思った。名古屋に集まっていた関係者の間でも話題になっていた。そして情報収集を行い、日本を飛びたったのが6月3日。今回、縁あって通訳としてこの3月までジョグジャカルタに留学していた学生の方に同行してもらい、事前に現地事情を聞き被災地に入った。 
古都ジョクジャカルタに降り立つとにすぐにガレキと化した空港のターミナルが目に飛び込んできた。重機が取り壊し作業を行っていた。ホテルに向かう道では最近出来たばかりのショッピングモールの壁が剥がれ落ちた姿や無惨にも倒壊した家屋、大学などが点々と存在している。
ホテルで打合せを終えるととすぐに夕暮れまでの僅かな時間を使って市内の避難所のひとつ王宮広場へと向かった。王宮に接しているジョグジャ一の繁華街、マリオボロ通りは今日再開したばかりだという。だだっ広い王宮広場にはチラホラと被災者のテントらしきものが見える。そっと寄って行って声をかけてみる。被害のひどいバントゥル県のイモギリという地区から地震直後に親戚や近所の14世帯と共にここにやって来たという家族。自宅は半壊だという。「王宮に来れば食料などの物資があると思いやって来た。」 が、その後マスコミなどの報道によりバントゥルが有名になり物資がそっちに行ってしまい、ここは足りないと言う。近所の住民に食料をもらったり、同じ広場に設営されたPOSKOと呼ばれる物資配給所に集まってくる物資をもらって過ごしている。「早く戻って家を再建したい」と最後に言っていた。
*関連団体の動き*
シャンティ国際ボランティア会:1980年に「曹洞宗東南アジア難民救済会議」として、タイにおけるカンボジア難民救援ために発足したNGO。阪神淡路大震災の復興支援も行う。ジャワ島にスタッフを派遣して、子どもの支援を開始。(http://www.jca.apc.org/sva/)