ジャワ中部地震から6か月 (No 9)

「成長する家」??

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すでにCODEのHPでも紹介された「成長する家」のその後についてレポートする。そもそも”成長する家”というのは、私たちがジャワに行ったときにいつも通訳でお世話になる笠原さんという関東出身の方が住んでおられる村で生まれた言葉だ。笠原さんは、こちらで結婚され定住?されているのだが、地震後この集落(バントゥール県バンドン村セウォン集落)で被災した家の補修や再建支援に奔走していた。はじめてジャワに来て、私がこの集落を笠原さんに案内して貰ったときに、彼女たちが支援している家の建設過程を見ていて、「仮設住宅といっても、使えるものは使うというリユースで再建しているようです、耐震の工夫も随所に見受けられ、まるで本設のようですよね!」と感想を漏らした。それに対して、集落の村長の奥さんが「ここに建てられているのは仮設住宅じゃないよ。成長する家だよ!」と言われたのが「成長する家」の始まりである。
この家が再建されるまでは、それぞれ敷地内でテント生活をしていた。そして仮に竹や古い材木、レンガなどを使用してテントのほかに「仮の家」を建てたのである。やがて政府の援助も決まり、いよいよ本設の家の建設も増えており、こうして一軒の世帯全体を眺めていると、まさに「成長する家」が並んでいる。以前、尼崎園田苑の中村大蔵さんが「住まいに仮はあっても、暮らしに仮はない」とおっしゃったが、ここの住民にとっては、まったくその通りで、それを「成長する家」と表現されたのである。
このように表現されると、本当に「暮らし」を創造していくという感じで、実に楽しそうである。災害で怖い思いを経験されたけれど、やがてお金では買えない「幸せな暮らし」という財産を一日一日手に入れているようだった。そんな中で今、せっせと新築を建設している家族に出会った。この家のこれまでの経緯を聞いていると、まさに「成長する家」そのものだが、詳しいことは、また明日・・・。