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【2013年ハイチ訪問レポート No.2】

5月に代表の芹田と事務局長の吉椿がハイチ地震の被災地を訪れました。
CODEは、前回(2012年8月)の訪問時に、被災地レオガンで地元NGO「GEDDH」が計画してきた農業技術学校の建設支援を決定し、調整を進めてきました。今回は着工に向けて、最終の打合せを行ってきました。
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■2013年ハイチ訪問レポート No.2
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ハイチ大地震から3年を経た今も36万もの人が496か所の避難キャンプのテントやトタンなどの粗末な小屋で暮らしている。元々、首都ポルトープランスには仕事を求めて農村部から流入して来た人々がスラムを形成して暮らしているが、地震によってより過酷な状況に追い込まれている。
ハイチの人口約1000万人のうち、首都ポルトープランスには3分の1近い250万から300万人の人が住んでいるというからその密集度は容易に想像できる。ハイチでは国民の80 %が1日2ドル以下の生活をスラムで送っているという。ポルトープランスの南部にそびえる山の斜面にへばりつくように簡素な住宅がひしめき合っているところがスラムだという。また、ハイチの貧困を象徴と言われるスラム「シテ・ソレイユ」は元々、ゴミ捨て場だったそうで、そこに農村部から人々が移り住んで来て、現在は30万人が暮らしているという。周辺には地震後に簡易住宅が建設されているが、依然混沌とした雰囲気だ。
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スラムに住む多くの人々は、路上に物を並べて売る露天商が多いという。野菜、果物などの食料品から服、帽子、草履、炭、雑貨などの日用品までがずらりと並んでいる。しかも暑い中、働いているその多くは女性で、たくましさに満ちあふれている。町を歩く女性の多くは頭に籠やタライのようなものを乗せ、落とさずに器用に歩いている。遠い昔、アフリカから連れて来られた時の習慣が綿々と今に伝わっているのだろう。
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 街中を走る車の車窓から写真を撮っているとボディガードに「トラブルのもとになるから気をつけろ!」と言われ、一瞬ドキッとした。アジア系の顔が珍しいのか、車から外を見ているとよく目が合う。ハイチの人は目が合ってもじっと逸らさない。そんな風に見つめられるとこっちも一瞬目を逸らしそうになるが、恐る恐る手を挙げると「おう!」というような感じで手を挙げ返して、屈託のない満面の笑顔を返してくれる時がある。その笑顔の裏には、独裁政権とクーデター、アメリカの関税引き下げによる農業の崩壊、地震、洪水、ハリケーンなどの自然災害、コレラの大感染などの過酷な歴史を生き抜いてきた強さやたくましさがある。西半球最貧国と言われるハイチの希望は、この人々の何事にも屈しない「たくましさ」にあるような気がする。 

(吉椿雅道)

ハイチ地震から3年

2010年1月12日のハイチ大地震から今日で3年となりました。この震災で23万人以上が亡くなり、150万人以上が家を失ったと言われており、今でも35万人以上がテント生活を送っています。
地震直後、被災地KOBEからの呼びかけで、ラジオ関西を通してメッセージを集めてこれをハイチのラジオ局から発信してもらいました。遠く離れていても心は寄り添っていることを伝え、痛みの共有をしたいとの思いからです。ハイチの困難は震災に始まったわけではありません。以前から深刻な貧困が問題となっていましたが、ハイチという国のことをあまり知らなかった方が多いと思います。私も恥ずかしながらまったくといってよいほど知りませんでした。世界中の地域や日本国内の種々の問題にも言えることですが、苦しみに対する無関心は、当事者にとって一層苦しみを募らせます。メッセージはお腹を満たす役割は果たしませんが、それでも思いを寄せることの大切さを、KOBEの人から教わったように思います。
さて、ハイチのマルテリー大統領が1月1日、次のような発表を行ったことを世界各紙が報じています。大統領は2013年を「環境の年」にすると言います。「自然災害に立ち向かうため、ハイチ人一人ひとりが1本ずつ木を植えてほしい」。彼は特に森林の再生に注目しています。ハイチの森林は国土の2%未満。毎年来るハリケーンですぐに川が溢れ、甚大な被害をもたらしています。雨も多く暑いこの地域は、かつて豊かなみどりに包まれていました。しかし独立後の外国の干渉や独裁政権下で命をつなぐ手立てが尽きたとき、人々は森に資源を求めるほかなかったのです。
首都から40kmほど西にあるレオガン市に「GEDDH」(ジェッド。ハイチの環境保全、改善のために持続して働くグループ)というNGOがあります。GEDDHは2005年から、日本人医師シスター須藤(※注)のもとで植林と炭焼きに取り組み、着実にその実践方法を広めてこられました。いまでは総会に全国から300人以上が集まるほどだそうです。一人が100本の木を植えるよりも100人が一本ずつ植えることが、目指す社会を築く上では大切です。まさに木の枝のように全国のGEDDHのメンバーがそれぞれの地域で活動を広げるとともに、しっかりとそれが根付いていっています。CODEは2012年8月、シスター須藤の紹介でGEDDHとお会いしました。さらにたくさんの人に農業と植林の大切さを伝えたい、とGEDDHが計画していた農業学校の建設をお手伝いさせていただくことになり、そのお話を進めています。
大統領はまた、「ハイチの食糧自給率を70%にする」とも述べています。従来から、ハイチの主要な産業は農業です。植林によって農地を確保し、そこから自分たちの食べるものと雇用が生まれる――長いプロセスかもしれませんが、このように自然とともに生きることがまさにナチュラルなあり方だと思えます。KOBEももうすぐ1.17を迎えますが、ハイチの復興から私たちも学ぶことがたくさんあります。
(※注)シスター須藤:ハイチで1976年から医療活動を行ってこられた日本人医師。医療を行うなかで、人々の暮らしと健康のために農業が欠かせないと考え、自ら炭焼きを学ばれ地元の青年に伝えたことからGEDDHが生まれました。
(岡本千明)

【2012年ハイチ訪問レポートNo.9】


8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。
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■2012年ハイチ訪問レポートNo.9
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*ミルベル・ローズ・セイントアニーさん(軽食販売)の話
広場の一角で、サツマイモを揚げたものやパイの中に卵や野菜を入れて揚げたもの(パティと呼ばれる)、豚肉料理などを売る屋台を営んでいる。サツマイモとパティ1つずつで15グールド(30円)であった。
500ドルを借り、様々な材料の仕入れに使って店を強化した。地震で材料や道具を失ったので、それを埋めることができた。返済も終わり、軌道に乗っている。子どもは4人(10代~20代くらい)で彼女の店を手伝っている。日に2000~2500グールド(4000~5000円)を売り上げる。
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*デセナ・マリー・カルメレさん(露天食堂)の話
「またローンを借りたいのよ。いつやるのよ?」それが彼女の第一声だった。これまでで一番パワフルな方である。デセナさんは初めに250ドルを借り、返済。次に500ドルを借り、これも返済した。彼女の仕事は露天食堂である。壊れた誰かの家の軒先に調理器具を置き、残った骨組みを店として利用している。
豆入りのごはんに、野菜の煮込みと肉を乗せたハイチの定番料理が80グールド(160円)。調理の際、ハイチでは炭を使うことが多い。ジュースは大きなクーラーボックスに氷水を溜め、冷やしてある。忙しく働くデセナさんの横で、娘さんの一人が手伝っている。
彼女には4人の子どもがいるが、夫はいない。教育費がかかるという。「私以外はみんな学校に行ったわ」と笑う。一日1500~2000グールド(3000~4000円)を売り上げる。
繁盛しているらしく、私たちがここで昼食を取っている間にも何組かの客が訪れた。外で働く人たちは、こうした食堂で昼食を取ることが多いようだ。「またローンを借りられたら、もっと店を大きくしたいわ」と微笑んだ。
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【2012年ハイチ訪問レポートNo.8】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。
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■2012年ハイチ訪問レポートNo.8
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*エバルス・マージョリーさん(日用品売り)
13歳の娘と夫の3人暮らし。夫婦そろって話に応じてくれた。見たところ、震災前から住んでいるという家は小奇麗である。震災で家にひびが入ったりはしたが、自力で直せる程度であった。
はじめに250ドルを借り、ドミニカとの国境の町マルパスで日用品を仕入れ、それを掛売りするという商売を始めた。この商売は近隣の女性何名かも行っており、比較的ポピュラーなようである。一人でトラックを借りるわけではなく、何人か集まれば業者がトラックを出し、乗合で走る。マルパスから積んでくる荷物の量に応じて対価を支払う仕組みだという。この商売がうまくいき、返済ができた上に貯蓄もできるようになった。
次に750ドルを借りて、35000グールド(約7万円)でオートバイを買った。このオートバイを夫が運転して、ハイチでよく見かける「バイクタクシー」業を開始。2人まで乗せることができ、客の希望でどこにでも行く。たとえばここリゾンからポルトープランスのデルマ地区まで(1時間弱)は250グールド(約500円)で走る。
この750ドルの返済も順調に完了し、新たに1000ドルを借りた。これまでの商売で築いた貯蓄と合わせて中古の大型自動車を6500ドルで購入。タプタプと呼ばれる乗合タクシーを経営している。自分が運転するのではなく、運転手に自動車を貸し、売り上げから一定の額をもらうという形である。商売が成功し、生活も安定した。
これほど大きな商売を行うのは初めてである。うまくいった理由は、「真剣に取り組んだからだよ」と自信ありげにバイクを見せてくれた。旦那さんはこれから果物を別の場所に届ける仕事があるらしく、大きな袋を後ろに乗せて走っていった。
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ハイチ地震レポートNo.52


CODEボランティアのKさんが、UNOCHAのウェブサイト「Reliefweb」から
ハイチに関する記事を翻訳して下さいましたのでご紹介します。
様々なメディアで報じられていますが、今年1月に大地震が起きた
ハイチの被災地では、10月からコレラが流行しています。
ハイチ政府によると、11月12日時点で917人が亡くなり、
1万4600人以上が入院したとのことです(ロイター、11月14日)。
下記の記事によれば、11月第一週に到来した
ハリケーン・トーマスによって洪水が起こった所では、
これが感染を広げるのではないかという懸念もあるようです。
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ハイチにおける水の恐怖
情報源:International Medical Corps(IMC)
日付:2010/11/8
Crystal Wells広報官より
レオガン、ハイチ-Thelervilts(人名)は質素ではあるが快適な家を海辺に持っていた。1月12日にマグニチュード7.0の地震がおきて彼の家はコンクリートの骨組みと鉄筋だけに破壊されてしまった。彼は廃材を集めて新しい店を一から建て直し、防水シートと木で家を修理した。
9ヶ月経った今、彼の壊れた家はまたもや破壊されてしまった。今回は11月5日と6日に島を打ち
のめしたハリケーン・トーマスのもたらした洪水によってだった。今では泥が家の床を覆い、ギザギザになった踏み石だけが濁った水のなかで彼の家への道を点々と指していた。
彼は角にある泥のついたいくつもの土嚢を指し示して言った。「私は家を守ろうとしたが、水が土嚢を流してしまった。」・・・続きを読む(CODE World Voiceへ)

ハイチ地震レポート No.46

CODEのメキシコ人研究員クワゥテモックさんから、被災地の状況を伝えるメールが届きましたのでお伝えします。
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レオガンは震源に近く、損壊の率がハイチで一番大きい街です。学校や保健施設、公的施設はすべて、家屋は9割が倒壊しました。あらゆる分野に膨大なニーズがあります。CODEを含めて約40のNGOが、レオガンの様々な地区で支援活動を行っています。ちなみにポルトープランスには400のNGOがいます。この地域では国境なき医師団が暫定的な病院といくつかの施設を開設し、多くの制限つきではありますが、運営がなされています。公共サービスが大きく不足しています。
現在ハイチが直面している最大の問題は、雨季、そしてハリケーンシーズンの到来です。例えばレオガンとグレシエでは、災害が起きたときに人々が避難するシェルターがひとつもありません。
また、失業が大きな問題となっており、新たな生計手段が簡単には見いだせません。若者について言えば、大学が閉鎖されており、仕事は無く、なすすべがありません。孤児院の子どもは食糧、衣料品、水、衛生といった多くのニーズを抱えています(再建が第一ですが)。授業を再開した学校もありますが、多くはテントであり、内部はたいへん暑くなります。ですので、内部が蒸し暑くなるまでの2~3時間、授業が行われます。
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CODEはこれまでクワゥテモックさんの派遣を含めて調査を続けてまいりましたが、プロジェクト確定のため、8月末に理事を現地に派遣する予定です。

ハイチ地震レポート No.45

8月1日、CODEにて「ハイチ地震の被災者によるグループ“ACSIS”の支援活動~ハイチから学ぶ~」と題した寺子屋セミナーを行いました。富田林在住のハイチ人、ピエールマリさんと岡智子さんを講師にお招きし、ピエールマリさんが友人のルシアンさんと共に立ち上げられた「ACSIS」という団体の活動についてお話しいただきました。
レポートNo.44に引き続き、寺子屋で伺ったお話を交えてハイチの状況をお伝えします。
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ハイチでは教会の存在がとても大きく、心の拠り所、生活の一部となっています。地震で損壊していつ崩れ落ちるかわからないような教会の建物の中に人々が集まり、祈りを捧げるといった様子をピエールマリさんも見られたそうです。他の支援団体の報告でも、被災者が協力して仮設の教会を再建したという話がありました。孤児院や学校なども教会にサポートされているものが多く、学校の9割が私立というハイチでは、教会は教育にたいへん重要な役割を果たしていると言えます。
また、支援物資の配布にあたりACSISは女性をターゲットにしたという話があり、配布を待つ列に女性ばかりがずらっと並んだ写真を見せて下さいました。女性は男性よりも家族全体のことを考える傾向があり、女性を支援すればその家族にも支援が届きやすいとACSISは考えたそうです。女性を対象にすることは様々な支援活動においてよく行われていますが、ハイチでも女性は家族を守る役目を果たしているのです。
昨日のレポートでも触れましたが、被災者に仕事が無く、復興のために仕事を創り出すことが課題となっていると、ピエールマリさんは指摘されています。こうした課題への取り組みについては、例えばUNDPが「キャッシュ・フォー・ワーク」のプログラムで、水路の清掃やガレキの除去にこれまで約11万6000人(うち4割が女性)を雇用してきました。また、UNDPとWFPとの連携で約1万3000人を雇用し、「フード&キャッシュ・フォー・ワーク」として、労働に対して食糧と現金を支給しています(UNDP、7月12日)。
なお、ハイチの復興がなかなか進まない理由として、ロイターの記事は次のような点を挙げています(アラートネット、7月26日)。
・選挙日の決定が遅れ、政治的な不確実さが投資家や支援国を妨げていること。
・3月に国際社会が100億ドルの支援を約束したものの、その支援金が少しずつしか入ってこず、長期的な再建計画が立てられないこと。
・2000万立方メートルというあまりに大量のガレキの除去が難航していること。除去したガレキを捨てる場所が無く、重機も不足している。これまでに5%未満しか取り除かれていない。
・土地政策の不明瞭さと、土地所有権をめぐる論争があること。証書や登録書類も地震で失われてしまった。
課題は山積していますが、ハイチにはエネルギーのある若者がたくさんいます。ピエールマリさんの言うように、彼らの力を活かした再建が望まれています。

ハイチ地震レポート No.44

メーリングリストでもご案内しておりましたが、8月1日、CODEの事務所にて「ハイチ地震の被災者によるグループ“ACSIS”の支援活動~ハイチから学ぶ~」と題した寺子屋セミナーを行いました。
富田林在住のハイチ人、ピエールマリさんと岡智子さんを講師にお招きし、ピエールマリさんが友人のルシアンさんと共に立ち上げられた「ACSIS」という団体の活動についてお話しいただきました。
ピエールマリさん自身、1月12日の地震でお姉さんと弟さんと亡くされた被災者です。自分だけ何もしないで日本にいるわけにはいかないという気持ちから、支援活動を始められました。
ACSISは被災者に食糧や、雨よけとなるブルーシートを配布しました。こうした物資を配るだけではなくて、しんどいときだからこそ、他の人のことを思いやる気持ちを忘れないようにしようというメッセージを伝えたかったと、ピエールマリさんは言います。
ハイチ政府や多くのNGOが活動をしていますが、今だテント暮らしをしている被災者も多く、なかなか状況が改善されていません。そのつらい状況を、ACSIS代表のルシアンさんは手紙にこう綴っています。
「・・・120万人の子どもたちには希望が無く、学校へ行くこともできず、その将来を思うと苦しい状況にあります。200万人の若い女性も学校や大学に続けて通うことができず、80万人の人は仕事がありません。」
「このような生活状態に納得のいく人などいません。被災者は1月12日以降、より苦しい状況にあります。みな被災者を支援することを日々忘れてはならないと思っています。」
「一人の苦しみはすべての人のものだということをいつも忘れないで下さい。なぜなら、一人の人と他の被災者との相互関係によって、より良い生活にたどり着くことができるからです。・・・」
復興に向けて、ハイチの人たちが自らの手で地域を再建するための仕事を生みだすことが大切だと、ピエールマリさんは考えています。また、ハイチは人口の半分近くが18歳未満であり、子どもがとても多い国です。被災した子どもたちが学校に行けるようになり、希望を持てるようになることが大切だと、ルシアンさんからの手紙にも書かれています。
CODEも引き続き、ハイチの復興支援活動を続けてまいります。

ハイチ地震レポート No.43

【ハイチ復興支援コンサート】神戸で開催
5月19日夜、神戸で「ハイチ地震復興支援コンサート」が開かれました。
これは1月12日に起きたハイチ地震の復興支援として、元駐日ハイチ大使のマルセル・デュレ氏とハイチ文化交流の会(福山市/NPO法人e&g研究所内)代表の手島裕さんが企画されたもので、収益は全額ハイチ支援に使われます。
14日に山口で始まったツアーは、あとは名古屋(21日)、横浜(22日)、東京(23日、24日)を残すところとなっています。
※詳細はこちら→ http://ww41.tiki.ne.jp/~e-and-g/
デュレ氏は冒頭に、地震は大きな被害をもたらしたが、再建に希望を持って取り組むチャンスであり、より良い国を作りたいとの思いを述べられました。また、日本の支援に感謝され、「日本の皆さんひとりひとりにどのような支援ができるかと訊ねられたら、こう答えます。毎朝飲むその一杯のコーヒーを、ハイチ・コーヒーに変えて下さい。それだけでハイチの農民を助けることができます」。そして、「いつかハイチの人があなたがたを助ける日が来るかもしれません」と、被災地・神戸の人々も経験した”困ったときはお互い様”の心を表されました。
ハイチ国民に愛され、至宝と謳われるAZOR(アゾール)さんのコンガ(打楽器)の演奏と歌声は、心に深く響く素晴らしいものでした。また、歌手Sara Renelik(サラ・レネ
リック)さんは、地震から立ち上がるハイチの人々の力強い心と勇気をダンスと歌で表現され、参加者に感動を与えました。残りのツアー日程は限られていますが、コンサートに参加できる方には、ぜひ美しいハイチの文化を直接肌で感じていただきたいと思います。
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さて、ハイチの被災地では、各支援機関が仮設住宅の建設やキャンプの管理に力を入れています。その中で、地元のコミュニティの力を活かし、それぞれのコミュニティのニーズに合ったきめ細かな支援を行うための取り組みがIOM(国際移住機関)によって行われています。
UNOCHA(国連人道問題調整事務所)のReliefWebに掲載されていたレポートの日本語訳を「CODE World Voice」上で紹介していますので、ぜひご覧下さい。
◆ハイチ:IOM、避難キャンプの生活向上に向け、国中で新たな取り組み
http://codeworldvoice.seesaa.net/(日本語)
http://www.reliefweb.int/rw/rwb.nsf/db900SID/MDCS-85KDDP?OpenDocument&rc=2&emid=EQ-2010-000009-HTI(英語)