ハイチ地震レポートNo.2

CODE海外研究員 MR,クワテモック(メキシコ在住)がハイチへ出発準備!
 時間の経過と共に、ハイチ地震による甚大な被害状況が具体的になり、心が痛みます。ハイチの首都を襲い、都市機能に壊滅的なダメージを与えた今回の地震ですが、一刻も早く被災者の不安が取り除かれるように、被災地関係者のリーダーは対応して頂きたいと願うばかりです。
 2001年にインド西部地震が発生したき、被害を受けたのは西部グジャラート州における半径300キロメートルにもおよぶ被害となりましたが、少し客観的に考えるとあの広いインドの国でグジャラート州以外の州は被害を受けていません。海外からの援助が充分に満たされるまでは、同じ被災国内での最低限の助け合い、支えあいは可能です。
 とは言え、今回ようなハイチ地震では、首都が壊滅的になるということは想像を絶するものがありますが、被災の軽微な周辺地域推定200万人からの最低限のボランタリーな支えあい、助けあいという活動がわき上がれば、被災者の多くはとりあえずの安心感を持たれるはずです。国のリーダーは、そのように国上げての、国民レベルでの「共助」を訴える必要があるでしょう。
 ところで無惨な倒壊家屋の映像は、地震後によくみる光景です。”後の祭り”だが建物に少しでも耐震の工夫があればこれほどまでの被害に及ばなかったのではないかと残念でならない。日本はじめ、これまでの経験から直ちにハイチの文化・伝統を尊重した上での住まいの耐震技術を伝えることが急がれます。
 そのためにも阪神・淡路大震災を経験した私たちは、まず耐震技術の伝搬を意識しなければならないでしょう。
 さて、ハイチに向けての出発準備に入ったクワテモックさんの経歴は以下に紹介していますが、1985年のメキシコ地震以来、NGOとして被災地の復興に尽力してきた方で、今も被災地における子どものケアー活動を主に展開しています。これまでにもCODEとのコラボでアルジェリア、エルサルバドルなどの災害被災地に行って貰いました。彼は、メキシコでの経験があるので、被災地に入っても支援の届きにくい地域、支援の届きにくい人たちにまず寄り添い、何が必要なのかを適切に提案して来られます。例えば9年前の昨日1月13日、エルサルバ
ドルで地震災害があったのですが、このときは再貧困被災生活者協同組合の立ち上げを手伝い支援を提案して来られました。とりあえず、クワテモックからの現地情報を待ちたいと思います。
クワテモック(Cuauhtmoc Abarca)
1985年9月メキシコで起きた地震以来活動しているNGO「メキシコ・トラテルロコ地区住民連絡会」の事務局長。1986年のエルサルバドル地震の時も現地に行き、「エルサルバドル地震被災者全国組合」(UNADES)の結成を支援した。
クワテモックとの協働
1996年6月の国連人間居住会議(ハビタットⅡ)で出会う
1997年12月、フォーラム招聘のため村井・田村がメキシコ訪問
1998年1月の”市民とNGOの「防災」国際フォーラム”にパネリストとして来日
1999年8月のトルコ地震救援活動では第二陣として同行
2001年1月のエルサルバドル地震で派遣、現地NGOのプロジェクトを支援。
2002年10月のメキシコ・ハリケーンでユカタン半島に派遣、養蜂業者支援を実施
2003年5月のアルジェリア地震で現地派遣、子ども支援を実施
2005年1月のCODEシンポジウム「震災10年と市民社会」にパネリストとして来日
2004年12月のスマトラ沖地震・津波の被災地を視察し、神戸に立ち寄る

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