トルコで行われた停戦協議で、露軍がウクライナの首都キーウ(キエフ)周辺から撤退させると約束した直後から、一部の露軍はキーウ周辺に残り、特にブチャでは凄惨な殺戮や拷問が行われたという報道が洪水のごとく溢れている。しかし、いつものようにロシア政権は関与を否定している。この凄惨な光景は、銀幕の上での話ではない。
「無差別殺害」「ジェノサイド(大量虐殺)」「巨大な墓場」など見出しが躍る。国際人権団体「ヒゥーマン・ライツ・ウオッチ」の報告を見ると、なんとおぞましいことが繰り返されたのか・・・・もう表現することすらできない。
ところで、私は本レポートNO.6で「殺す側に立つな!」と叫んだ。このメッセージはそもそも2001年「9・11」事件のあと、真宗大谷派の当時企画室参事をされていた「玉光順正さん」が、辺見庸さんとの対談で、「わたしたちは“殺される側”に立つべきである」と言われたことが私には大きな衝撃だったことが背景にある。お二人が対談の中で共通した点は、アメリカがとった報復のためのテロ攻撃にほとんどの国が、もろ手をあげてアメリカに賛同したことだ。そのアメリカのことを辺見庸さんは「80年代からのアメリカ一国的なグローバル化、つまりアメリカの資本、アメリカを中心とするマネーゲーム、アメリカ的な国策を背負った正義などが、相当浸透してしまったこと」と鋭く指摘された。(2001年12月1日 同朋新聞より引用)
さらに「もう一つ見逃せないのが、この報復戦争の非常に汚い側面として、ロシアや中国など、国内に反対する勢力を持った列強諸国がアメリカに肩入れして、互いに弾圧を見逃すということです」と辺見庸さんは加えた。そして、お二人は「今、すべての人が『個』に立ち返り、価値観を組み立て直す必要がある」と強調された。玉光順正さんは「仏教では、釈尊が亡くなる時に自灯明・法灯明という言葉を残されました。つまり自分で考える人間になれと、そのためには、教えを学べと言っています」と釈尊の言葉を紹介した。
1979年にソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻し、その後ソ連が撤退したあと、内戦が続き、21年前の「9・11」のあとも大国が介入し、テロとの戦いを正当化して、無辜なるアフガニスタンの人たちが犠牲になったという歴史を振り返ると、今こそ私たち一人ひとりが、しっかりと自分と向き合い、何を考え、そしてどう行動するのかが問われている。少し長くなるが、先述した対談の紙面で玉光順正さんは、「私の視点」として、次のようにまとめられた。
「私たちは今、決して米国的正義感や大義名分に立ってはならない。間違いだらけの私たちは決して正義に立ってはならないし、正義を立ててはならない。正義と大義名分は、他を非難し排除するばかりか、必ずと言っていいほど暴虐に行きついてしまうことは、私たちが決して忘れてはならないことである。また、正義を立てると、私たちが今、たまたまこちらに居るということが見えなくなってしまう。私たちは今回の同時多発テロを糾弾する世界の多くの人びとは、たまたまこちらに居るということにすぎないのである。今の状況で確実に言えること、言わなければならないことは、テロリズムであろうと、その報復攻撃であろうと、その時、問われているのは、殺す側に立つのか、殺される側にたつのかということである。ブッシュ大統領の言うようにテロに立つのか、自由と民主主義に立つのかではない。またどっちもどっちというものでもない。どっちもどっちというのならそれは、どっちも殺す側でしかない。まず立つべきは殺される側であって、決して殺す側に立ってはならない」と。
「9・11」と今の状況と違うかもしれないが、人として生きるなら、このメッセージをしっかりと受け止めたい。
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)