2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて No. 3

濱田のスリランカ・レポート2回目は、南部ヒッカドゥワに建
てられたアクララ幼稚園を訪れた時のものです。
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アクララ幼稚園を管理している男性から、幼稚園の前にある池から
津波の何体もの遺体を引き上げた話しを聞いた。彼の目は何と
も言い知れない悲しさとやりきれなさで一杯であったように感
じた。どんな想いで遺体を引き上げたのだろうか。今後、この
池は海老の養殖用に使用されるという。ふと、KOBEの震災の時
を思い出す。瓦礫に埋もれ、助けたくても助けられなかった米
屋のご主人。路上に放置されていた多くの遺体。TSUNAMIから
1年が経とうとしている。KOBEから11年目に入ろうとしてい
る。今だ、津波の時の水位を示す跡が窓ガラスに残っている。こ
の跡が物語るように、私たちは、けして忘れてはいけないと思
う。KOBEを、そしてこの津波を。語り継いでいかなければいけ
ないと思う。これは私たち被災地の責任だと感じる。
土の防潮堤が造られていた。土台自体をコンクリートにしなければ次
ぎの津波には耐えられないであろうと村井さんが言っていた。
自然災害を事前に止めることは不可能であるが、災害後の被害
には必ず原因がある。その原因を取り除くことによって確実に
被害を軽減することが可能であると村井さんはいつも言ってい
る。この土の防潮堤がコンクリードに代わることはあるのだろう
か。行政が、国が行わないのであれば、地域住民が行政に働き
かけ、訴えかけなければ何も変わらないのではないだろうか。
地域住民の力で智恵をだしあって、強固な防潮堤を造りあげて
いかなければ、同じ過ちを繰り返してしまうだろう。
犠牲者の哀悼の意を表して「12月26日は働かないでおこう!」
と、漁師によるメッセージが貼ってあった。KOBEで「1月17日は働
かないでおこう!」と、KOBE市民が発信する日が来るだろう
か。朝5時46分の数分間だけでなく、その日、一日を、「語り
継ぎの日」として、「ボランティアの日」として、共育の時間を過
ごしてみたらよいと思う。
「ナショナル・ANTI・WAR・フロント」の方々の話を聞いて、私の中で
色々な事がリンクしていき、驚きと同時に、嬉しさで一杯になっ
た。リンクしていく、これは宗教に似ている。それぞれの宗教が
あり、教え(道)があるが、呼び名が違っても行きつく先は同
じである。つまり、働き方、働きかけがバラバラであっても、想
いは一緒であるという事。以前、村井さんが言っていた、「バ
ラバラでなお一緒」であるということ。これはボランティアのことを
言っているが、この「一緒」である部分が同じであるならば、
生き方、働き方、信じ方が違っていても、ゴールは同じであると
思う。「人間は幸せになるために生まれてきた」と言われるよ
うに、ゴールとは「幸せ」=「自由」=「平和」である。
防災シンポジウム2006「安心できる学校、住まい、地域づくりを
目指して」
日 時:2006年1月18日(水)9:30~17:00
場 所:よみうり神戸ホール
参加費:無料(要予約)
申込先:UNCRD防災計画兵庫事務所
    http://www.hyogo.uncrd.or.jp
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CODE海外災害援助市民センター