2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて
CODE海外災害援助市民センター
事務局長  村井雅清

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【写真】漁師の息子が作成した津波モニュメント(スリランカ・マータラ県ディクワラ 12月26日)

 12月22日から28日までの駆け足で、3度目のスリランカ訪問をしてきました。
当初の目的は、津波以後の支援プロジェクトの一つとして南部および東部で行っている防災教育の進捗状況をモニターすることだったのですが、そのことに加えてやはり「2004・12・26TSUNAMI」から一年という節目と重なったこともあって、悲しみを共有しつつ、またすばらしい出会いがあり、感動のひとときを過ごさせて頂きました。防災教育についてはまた別の機会に詳細に触れます。
ここでは、この間ご支援を下さったみなさまに、スリランカ南部マータラ県ディクワラ(DIKWELLA)漁村のコミィニティセンターで行われた「津波一年ミーティング(1st.commemoration of tsunami tragedy of Sli Lanka )」の模様をお伝えしたいと思います。会場内では、正面舞台になるところに横断幕が張られ、その右横に高さ2㍍余り、幅1・5㍍くらいのモニュメント(発砲スチロール製)が設置されていました。そのモニュメントの前には献灯、献花ができるように海岸の岩場を想定した台を作っています。左側にはこの地域の仏教儀式なのか、しんちゅう製の高さ3㍍くらいの仏具が立ててあり、そこにローソクを灯すというしかけになっています。
津波の犠牲者に対して、津波被害のあった午前9時20分から2分間の黙祷を捧げ、ま
ず主催者の漁業組合長や女性自立プロジェクトのリーダーなどの挨拶がありまし
た。続いてゲストとして地域で平和運動をしているNGO代表や地域での教育活動を
しているメンバーからの挨拶があり、さらには愛知県知多郡美浜町布土小学校で生
まれた防災ソング「お・は・し・も」の編曲マータラ版が、隣村の子どもたちに
よって披露され、最後にCODE海外災害援助市民センターを通しての被災地KOBEや日
本のみなさまからの支援の紹介がされました。このセレモニーには約100人の住民
が参列され、感動の二時間を現地の被災者や関係者と共有することができました。
会場では、遺族の方がずっとハンカチで涙を拭いておられる方や津波の直前に誕生
した一歳の赤ちゃんを抱いたお母さんや子どもたちも参加していました。
被災地KOBEの私たちとして最もこみ上げるものがあったのは、阪神・淡路大震災以
来KOBEの被災者が造り続けてきた「まけないぞう」というタオルを象の形につくっ
た壁掛けを、こちらのモニュメントに掛けさせて貰ったときです。あとで触れます
がこのモニュメントは作品としてもとてもすばらしいもので、「まけないぞう」を
ここに掛けるつもりはなかったのです。私のスピーチを終わったあとにどこに掛け
させて貰おうかと迷っていたときに、主催者がそのモニュメントの真ん中に飾って
くれた瞬間に、期せずして会場から大きな拍手が沸き起こったのです。阪神・淡路
大震災から11年、この間私たちは「痛みの共有」や「支えあいは国境を越える」と
いうメッセージを発信し続けてきました。この拍手が沸き起こった瞬間に、これら
のことが”つながったんだ!”と体感したのです。
最後に挨拶された女性リーダーは、次のように力強くいっておられました。「もう
私たちには、物やお金の支援はいらないのです。勇気を下さい!」と。この主催者
であるUFFC(漁業協同組合)は、日本のみなさまによる支援で組合をつくり再建活
動を続けていますが、組合内に漁民の女性支援プロジェクトも立ち上げています。
セレモニーが終わったあと、その彼女たちは私と同行した濱田久紀を取り囲むよう
にして、「私たちも防災教育をやりたい。まけないぞうのようなクラフトもつくり
たい。」と訴えていたのが、印象的でした。私のスピーチでも強調したのは、「私
たちが女性を支援するのは、女性が弱いからではありません。強いからです。一人
の女性を支援すれば、その女性は一人で二人、三人の子どもを助けます。さらに高
齢者も助けます。だから強いのです。」ということでした。あらためて女性の奥深
い力強さを感じた次第です。
最後に、このすばらしいモニュメントというのは、津波に立ち向かうように上半身
裸身になった男女が手をつなぎ、天に力強く突き上げている姿を炭で描いた作品な
のです。漁師の息子さんが描かれたそうですが、ほんとにすばらしいモニュメント
でした。「CODEという意味には、災害に立ち向かう市民たちという意味がありま
す。」と説明をさせて頂きました。スリランカで過ごした丁度一年目の12月26日、
こうして予期せぬ形で被災者と2時間弱を共有できたことは本当に感動でした。次
ぎに津波災害に遭っても、被害が少なくなるように「減災教育」を徹底したいと心
に誓い、会場を後にしました。コロンボへの岐路は、夜9時を過ぎてしまったこと
もあって、道中ではあちらこちらで追悼の式典がなされており、沿道や海岸には犠
牲者を追悼する灯りが献灯されていました。KOBEに帰ると11年目の「1月17日」が
待っているということをヒシヒシと実感した一日でした。とり急ぎ、スリランカ帰
国報告と致します。
今年1年大変お世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いしま
す。
2006.1月シンポジウム ”世界の1年を振り返って次の1年へ”
~スマトラ沖”TSUNAMI”から1年、阪神・淡路大震災の経験は生かされているか?~
日時:2006年1月8日(日) 午後2時~5時
場所:JICA兵庫 2階ブリーフィングルーム
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