スマトラ島沖地震津波被害ニュース<第9報>

 スリランカに入った第1次派遣隊より現地レポートが届きましたので、順次お届けします。なお、彼等は昨日(1/2)11時間かけてコロンボから東部のカルムナイに移動し、今日東部を視察する予定ですが、津波と一昨日起こった洪水のため道路が寸断されており、どこまで行けるかはわからないとのことでした。


12月31日
 12月26日、なんということか・・。去年のイラン南東部バム地震が起きたその1年後の同じ日にまた最悪な事態が起きてしまった。そして2年連続して、村井事務局長と被災地へ飛ぶこととなった。
 12月31日にスリランカ、コロンボに無事到着する。飛行機を降りると湿気の含んだ熱気が身体にまとわりつく。12月30日に日本を出発し、香港、シンガポールを経由するという長い道のりを経てついに到着。シンガポール発スリランカ行きは乗客よりも空席が多い。空港に到着すると、すぐに「外国からの救援団体はこちらへ」というプラカードを持った女性が立っていた。声をかけるとパスポートを集められどこかへ行ってしまった。私たちは空港の災害対策本部のようなところへ通され、団体名などを記入する。そして既にパスポートに入国印が押されたパスポートを持って女性が帰ってきて、どうぞと渡された。すばらしい対応で驚いた。空港を出てみると、思った以上に静かだった。インドの街を想像していただけに、空港も町中も人で溢れているのかと思っていたが、どちらかといえば閑散とした様子だった。援助団体も既にピークは終えているのか、私たちの他に一人の女性だけだった。空港には今回お世話になるYMCAのボランティアさんと運転手さんが迎えにきてくれた。車の中で津波被害について彼が行ってきた場所に基づいて話を聞く。被災地への道が被害を受けているので、相当移動に時間がかかりそうだということがわかった。明日には恐らく南部のほうには行けるだろう。
 車の中で彼がひどい被害はこの辺りと言って地図を指したのが一部の地域を除いたすべての海岸沿いだった。そして「”ツナミ”という言葉を私たちは知りもしらなかった。何が起こったのかと言われても、目の前にあるものを見て判断してくれとしかいいようがなかった。歴史の中には2000年ほど前に大きな波が襲ってきたと見たことはあるような気はするがそんなことは歴史の中のことだった。スリランカには地震や洪水などという自然災害は本当になかったんだ。これが初めて目にする自然災害だ。」と話された。彼は普段は銀行に勤めているが、今は緊急事態なのでYMCAボランティアとして手伝っている。2人の息子さんも被災地に行かれているということだった。
 スリランカのキリスト教信者は全体の約7%と言われている。空港からコロンボの街に入るまでにキリスト教に関連した像がたくさん道路沿いにあったので不思議に思い聞いてみるとそこの地域にキリスト教信者が固まって居住しているということだった。シェルトンさんは今は別の地域に住んでいるが生まれはそこの地域だった。
 そして、今日は宿泊所へと連れて行ってもらい明日YMCAで総主事の方々にお会いする予定となった。
斉藤スリランカ日記 ~スリランカと日本の歴史~
 私たち日本人にとって、スリランカと言えば”セイロンティー”として名高い紅茶でしょうか?そのほかは?日本がスリランカを第2次世界大戦の時に爆撃したことがあると知っている人はどれくらいいるでしょうか?と書いている私も全く知らなかったのですが、知ったのでここで紹介したいと思います。
 1951年9月に行われたサンフランシスコ対日講話会議にセイロン代表として出席したのがジャヤワルダナ大蔵大臣(当時)。ソ連が提案した日本への制限案に反対し、「軍隊の駐留による被害や我が国の重要な生産品である生ゴムの大量採取による損害は当然賠償されるべきである。しかし、その権利を行使するつもりはない。なぜなら、仏陀の”憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止むとの言葉を信じるからである。ソ連の修正条項に我々が同意できない理由は、制約をつければ日本が宗主権と平等と威厳を取り戻ることが不可能となるからである。」(「地球の歩き方」より一部抜粋)と演説し参加国に寛容の精神を求めたと言われています。スリランカ人の中ではとても有名な演説であるにも関わらず、助けてもらった日本人の私が知らないというのは、なんと恩知らずなことかと恥ずかしくなりました。
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