月別アーカイブ: 2006年6月

ジャワ島中部地震ニュース 第13報

現地からのレポートが届きました。以下に紹介します。
*9日ジョグジャカルタで、バティック(ろうけつ染め)の修行をしている人と出会い、バントゥール県イモギリに行った。そこに70才のバティック女性労働者と話すことができた。その女性の家は、今回の地震で全壊し、家の前の路上でテントを張り、避難生活をしている。彼女は、8才からバティックをはじめ、小さな工房を持ち商いを続けてきた。倒壊した家屋兼工房の中に、バティックの道具が散乱したままの状況を目にすると胸が痛む。「またバティックをやりたいね」と誇りに満ちた笑顔で言われたことが忘れられない。
*ガジャマダ大学の学生ボランティアが、4000人規模で動いている。最初は6人で動き始めたのが、このように膨れ上がった。物資配給基地になっている「POSCO」や被災地の小さなコミュニティに入って活動をしている。さらに、今後は大学のカリキュラムとして、地域に3~5人の学生が泊まり込みで入り、子どものケアーなどの救援活動をしながら、地域再生のための調査をやっていくそうだ。仮設住宅の建設も今後の計画にあがっており、この大学はかなり幅広く、組織的に再建活動を展開している。
*(住宅問題について)被災地域にある互助組織RT(隣組)の組長に話を聞くと、誰もがいうには、「住宅再建については、政府の方針が決まらないので、今は手をつけない方はいい」という考え方。被災者の中には半壊の家を、敢えて壊して全壊にするという被災者もいるようです。それは全壊の方が手厚い援助を受けられるという情報が広がるからである。 以上
やはり学生の街らしく、日に日に学生ボランティアが増えて、救援活動に奔走しているそうです。ちなみに神戸大学の災害医療救援チーム(DMAT)は、ガジャマダ大学と連携して活動をしています。
*関連団体の動き*
尼崎県立尼崎小田高校の生徒たちが、連日交代でJR尼崎駅前で、ジャワ島中部地震のための募金活動を行っています。また、6月15、16日の文化祭で現地の写真展示も交えて支援を訴えます。お近くの方は是非お立ち寄り下さい(http://www.hyogo-c.ed.jp/~amaoda-hs/)。

【お知らせ】ジャワ島中部地震 第一次現地調査報告会

ジャワ島中部の地震を受け、6月3日から12日まで被災地にスタッフを派遣しています。
スタッフの帰国後、6月20日に現地の報告会を下記のとおり行う運びとなりました。被災地で撮影した写真を使って、被災地の生の声を報告します。
皆さまのお越しをお待ちしております。
日 時 6月20日(火)18:30~20:30
場 所 神戸YMCA 423教室
報告者 吉椿 雅道(CODE臨時スタッフ)
*神戸YMCAへの行き方は、ホームページ(http://www.kobeymca.or.jp/kobe/wellness/index.html)をご参照下さい。お申込み、お問い合わせはCODE事務局までお願い申し上げます。
CODE事務局
〒652-0801 兵庫県神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL:078-578-7744 FAX:078-574-0702
e-mail:info@code-jp.org

ジャワ島中部地震 第12報

現地入りしている吉椿・岡部の二人は、昨日ジャワ島で伝統的なワヤン(人形劇)や観光産業としての銀細工やバティック(ろうけつ染め)などの工房の職人さんと話をしてきました。その工房は損壊がなかったようで、1971年に建築資材として、竹を使った建物らしく、地震には強いと言っておられます。昨年10月に起きたパキスタン地震のあと、現地の被害状況を見ていて、「昔にように、竹をつかっていたら、これほどまでに倒壊しないのに・・・・」と
思ったことを思い出します。でも、ここジャワも木材も、竹も昔のように豊富にないということが大きな問題だという気がします。
また、ほぼ全壊のクラテン県の小学校に訪問しました。普段120人の子どもが学んでいる学校ですが、幸い犠牲者はなかったそうです。地震発生時刻が早朝だったことが幸いしたのでしょうか。
さて政府は、当初被災者に食費やお米を支給するという発表をしたが、結局全壊被災者にしか配給されないということがわかり、不満や怒りの抗議の声が上がっているとのこと。こうした災害後の再建プランを示すときに、いつも思うことですが、とにかく被災者にとってまず安心のできる道筋を提示できないものだろうか?これだけ各国、各地域で災害を経験し、そろそろ再建に何が大切なのかは共有できてもよさそうに思うのですが、不可能な願いなんでしょうか?最近「象徴的復興」という言葉を耳にします。そこにヒントがあるような気がします。
*関連団体の動き*
阪神・淡路大震災後も、被災地の救援活動を勢力的に展開してこられた「フェアートレード サマサマ」(有)トモカンパニーさん(http//homepage2.nifty.com/samasama/)が、(社)アジア協会アジア友の会と連携して、今回のジャワ島中部地震の救援活動をはじめました。現地のカウンター・パートナーは、「ドゥカ・ワカナ大学緊急支援委員会」です。ジョグジャカルタは学生のまちなので、学生を中心にしたボランティア・ネットワークが広がることを願っています。

ジャワ島中部地震ニュース 第11報

<現地調査から>
インドネシア、ジャワ島中部地震被災地に入ったスタッフは、中長期的な復興プロジェクトを模索するため、現在被災地で積極的に情報収集や調査、そして関係機関との情報共有をしています。
現地からの情報によりますと、学生ボランティアが活発に活動をしているようです。各大学のサークルレベル(15人~20人)で、大学の前にテントを張り、そこをボランティアの拠点として、バイクなどを使って物資を運んでいます。ガジャマダ大学は2500人くらいの学生が組織的にボランティアをしているそうです。
バントゥールの生活環境は、もともと穀倉地帯なので、お米やとうもろこしなどは自分で食べる程度を作っているようです。他には野菜を仕入れて市場などで売る卸業やジョグジャの工場などの労働者などが多いようです。集落は幹線道路沿いにも多く、家と家の間に椰子などの木があるので外からは被害状況は見えにくく、集落に一歩入ってみると尽くつぶれています。壁は非常に脆いレンガを土でつないでいて、柱や鉄筋はまったく入っていません。また50年前に建てたという家も多いようです。最近建てた家も鉄筋の入っているのもあるのですが、非常に細いものです。ある人が言っていたのは、最近のレンガは脆く、昔のレンガはしっかりしていると。一般的な家屋は勾配の激しいとんがり屋根に薄い瓦を乗せ木の柱で支えており、壁はレンガを土でつないだものが主流のようです。
文化的なことに関して、まずジャワ舞踊研究所(ジョグジャ市内)が一部被害を受けています。この研究所はジョグジャに二つしかない伝統舞踊の学校(先生10人、生徒約100人)で、貴重な文化を守ることが目的でした。バティックでは、バントゥール県のイモギリといいう地区で職人たちの工房が被災しているようです。
さまざまな側面から被災地の様子を調査していますが、また現地からの情報が入り次第報告いたします。
*関連団体の動き*
日本国際ボランティアセンター(JVC):アジア・中東・アフリカの10の国・地域で支援活動を行っている国際協力NGOです。インドネシアのジャワ島中部地震においては、現地NGOを通しての支援を開始しました。詳細はHPをご参照下さい。http://www.ngo-jvc.net/

ジャワ島中部地震ニュース 第10報

<住宅再建>
現地からの報告によりますと、今回インドネシア政府は「住宅再建について、お金をだして(日本円で約40万円)すべてやる」と発表しているようです。(材料費は別で、約10万円で平均的な家は建つという指摘もあります。)政府は、耐震技術にもプライドを持っているようで、外部からの知恵を導入するのは難しいようです。
アジア防災センターから現地調査に行かれ、帰国された方の報告では、建築素材が粗悪だという指摘もあります。2001年インド・グジャラート地震のあとの住宅再建で活躍した建築家などのネットワークNGO「カッチ・アビヤン」は、被災地の土を調査し、その土を使用して焼きレンガをつくり、その焼きレンガがどれくらいの強度があるかという検査を繰り返した上で、そのレンガを使用するということを行っていました。イランバム地震の時に、このNGOとある日本のNGOが連携し、耐震住宅のモデルハウスをつくり、キャンペーンをされていました。まさにボーダレスのNGOであればこうした交流・連携が簡単にできるのですが、国と国との関係になると簡単には行かないことがあるのでしょうか?CODEも、インド・イラン・アフガニスタンなどでネパールのNGO「N-SET」と連携し、被災地で耐震のデモンストレーションを実施してきました。
現状では、地震対策として優先順位として高く取り組まなければならないのは、とにかく”耐震”だと思うのですが、なんとか見直して欲しいものです。
同アジア防災センターさんの報告では、「今回9割以上の全壊率の割には死亡率が低い」と分析しておられ、その理由の一つに午前5時50分頃の地震発生ですが、実はモスクの最初のお祈りが午前4時頃から始まり、結構もう起床していた人が多かったということらしいです。こうなると、せめて寝る部屋だけでもシェルター化するというくらいのことをしなければならないのでしょうか?東海・東南海地震が予想されている静岡地域では、”耐震ベッド”というものを使用している方も少なくないとか・・・・・・。
*OCHA・Reliefwebで発表された今回の地震に対する対応計画を仮訳してCODEホーム
ページの「World Voice」に掲載しています。こちらもご覧下さい
(http://www.code-jp.org/wv/)。
*関連団体の動き*
東京に本部を置くインドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJIA)が、これまでの日本ネグロスキャンペーン(JCNC:http://www.jca.apc.org/jcnc/)の一環として取り組んでいるジャワのエビ養殖生産者とその関係者を支援するために、関係者が現地調査に入っています。

ジャワ島中部地震ニュース 第9報

<被災地からの第1報>
CODEの第一次調査団からの第1報が届きました。事務局の責任で以下に整理してご報告します。人気の「吉椿雅道の”つぶやき”集」は、帰国してからになると思いますが、乞うご期待を!!
*他の地域に比べて被害の大きいクラテンは、中部ジャワ州で州都のスラマンから配送されるので、物資の偏りや時間的な遅れが生じている。(推測ですが、ジョグジャカルタへの救援物資は、ジャカルタから直接配送されるのでしょう。イランのバム地震の時には、被災をゾーン分けし、イラン国内の○○県は、被災地のA地区を支援するというシステムになっていたのでスムーズに行っていました。)
*バントゥールの幹線道路沿いには物資は届いているが、そこからバイクでしか運べないような奥の集落には、十分な物は届いていない。でも、援助の届いていないところほど助けあいの精神が表れ、例えばみんなで瓦礫の片づけをしている。
*バントゥールの名前が有名になり、救援物資がそこに集中しすぎる傾向がある。少し離れた被災地から、わざわざ一時的にバントゥールに避難してくる被災者もいる。
*かなり遠くのプンドンという集落からきてる人もいて、「何でこんなに遠くまできたの?」と聞くと、「村にはテントがない」という答が返ってきた。
*街には、POSKO(ポスコ)と呼ばれる連絡所があり、救援物資などはそこで配
給されている。日本が占領統治していた時代に持ち込まれたという、RT(エルテェー)という隣組制度が十分機能している。
*ジャワジャカルタは、学生の街らしく、バイクで救援物資を届けている姿が被災地のあちらこちらで見受けられる。
*世界遺産の”プランバナン”(ヒンズー遺跡)の被害についてはよく報じられているが、その北側の集落の被害状況は伝わっていない。
*関連団体の動き*
阪神・淡路大震災の時も、その後の国内外の災害地にもいち早く駆けつけて救援活動を続けてきた「ヒューマンシールド神戸」の吉村誠司さんがジャワに入られました。彼のブログは http://spaces.msn.com/chikyunikki/ です。

ジャワ中部地震ニュース 第8報

<自然との共存・共生>
地震発生から1週間も過ぎると、次第に被害実態が明らかになってきた。現地の国家災害対策調整庁の発表では、建物被害として全壊4万4668棟、半壊2万2705棟、一部損壊6万8310棟となっている。それにしても、端数までこの段階でしっかりと把握できているというのは驚きである。ジョクジャカルタには日本でいう「向こう3軒両隣」という自治組織があると聞くが、その報告システムがしっかりしているということだろうか?
さて阪神・淡路大震災では、死亡者の85%が倒壊家屋による圧死か、転倒してきた家具による下敷きか、焼死となっている。今のところ火災が発生したとは聞いていないが、残念ながら今回のジャワ地震の被害も同じだろうと思われる。倒壊の理由として、建築技術が低い、材料が粗悪、そもそも地盤が軟弱等の上に、貧しい農家に集中して被害にあったということだ。
しかし、見逃してはならない事実がある。インドネシアでは日本企業等が関与して森林伐採を続けてきたために、建築材料である木材が不足してきた結果であるという指摘もある。新潟中越地震のあとに「科学的なデータはないが、その地域で育てた木材を使うことが最もよい」という棟梁がいたことを思い出す。これまでインドネシアはじめ海外で、「バッサ、バッサ」と切り倒してきておいて、今さらと言われれば何も返す言葉がないが、今、日本の建築家の間でも国産材を見直そうと訴えている人たちもいる。
日本において毎年の洪水などによる水害の規模が大きくなっているのは、逆にこれまで人口植林してきた森林を野放し、してきたからだという皮肉な結果を認めざるを得ないところだろう。これまでの失敗や場合によっては犯罪的な行為は率直に認め、今こそ「自然との共存・共生」を根本理念として、尊い命を守るために、この現実と向き合い、地球市民として国際社会と連帯しなければならないと痛感する。
 それにしても、昨年のパキスタン地震に続き「建物さえ壊れなければ」と悔やむ。
*関連団体の動き*
阪神・淡路大震災以来、被災地KOBEを支援し続けて下さっている(社)全日本仏教婦人連盟さんが、「心の募金」として「ジャワ島中部地震支援」を訴えています。“ご縁”のある方は、是非HPを覗いてみてください。(http://www.jbwf.jp/)。

ジャワ島中部地震ニュース 第7報

<文化や伝統の再建>
ジョグジャカルタ特別州知事でもある、スルタン・ハメンクブウォノ10世が、毎日新聞社との会見で、歴史遺産の被害に心を痛めていると日本のみなさんに伝えた。被災地からの連日の被害報道は、世界遺産である仏教遺跡の被害やジャワ舞踏や伝統楽器「ガムラン」、あるいは陶芸、ろうけつ染め、銀細工など伝統文化の被害も伝えている。この街は、こうした伝統文化に支えられて歴史を築いてきたようだ。
被災者にとってはもちろん家の再建や仕事の再建が急がれるが、被災地としてはこうした文化や伝統の再建が「象徴的復興」のシンボルにもなるだろう。
11年前の阪神・淡路大震災のあとの2月、神戸元町の南京町では、恒例の”春節祭”が開催された。この祭りで、打ちひしがれた気持ちが吹っ飛んだという人たちは少なくなかった。また半年後くらいに「文化とは、人間が人間らしい営みを築く過程」というようなことを書かれた大学教授がいた。
災害後の暮らしというものを考えるときには、前よりもいい、元気になる暮らしを再建したいものだ。伝統文化を守りつつも、新しい価値観を創造することを忘れないで欲しい。
 もちろん「暮らし」とは総合的なもので、住宅というハコモノだけが確保されればいいというものではない。こうして考えてみると、「住まいの再建」には相当な時間を費やさなければならないということが言える。
*関連団体の動き*
神戸学院大学や県立舞子高校の生徒さん達も募金活動をはじめています。6月に文化祭を開催する高校も少なくなく、丁度アピールするのにもいい機会のようです。
当センターの事務所は神戸市内にあり、連日の報道をみていると、毎日のように兵庫県や神戸市からの援助やNGO・NPOなどの市民の取り組みも紹介されています。ふと、「他地域でも同様に支援活動が活発なのだろう」と思ったのだが、どうなんだろう??

ジャワ島中部地震ニュース 第6報

<スタッフ現地入り>
いよいよ今日(3日)CODEより二人のスタッフが被災地に出発します。通訳兼ガイドに入ってくれる方が、現地の事情に詳しい方なので不自由さはないと思っています。
さて、昨日の夕刊紙に「募金求め車道に列」という見出しの記事がでました。被災を受けた村公認の募金活動のようです。公的援助が隅々まで行き届かないための”やむをえない策”のようです。昨日も書きましたが、時間が経過するにともない、一人ひとりへの支援が行き届くことを考えなければなりません。ジョグジャカルタには「RA」と言って、日本でいう”向こう三軒両隣”のような、「5人組」という互助組織があるそうです。
被災者が、相互に倒壊家屋から家具を引っ張り出したり、炊事は共同で行ったりと直後から支えあい、助けあいのしくみが機能しているようです。インドネシアの特に農村部は相互扶助の精神が強いそうです。11年前の阪神・淡路大震災の時に、働いた自助・共助が充分機能することを願っています。こうして被災者自ら募金活動をし、当面の暮らしの支えに終わらず、もし住宅や仕事の再建にまで自力で行うことができればすばらしい復興のモデルが実現することになります。いよいよ「公助」や「官助」のなすべきことが問われることになるでしょう。嬉しいことに11年前と同様、たくさんの大学生がボランティアに奔走していると聞きます。「たった一人をも救うために」「最後の一人まで見守る」ために、今ジャワでは「支えあいの実践」が展開されようとしています。
*関連団体の動き*
明日(6/4)、神戸市灘区の都賀川公園で「灘チャレンジ2006」(午前10時~午後4時)があります。そこで主催者の実行委員会がジャワ中部地震に対しての募金活動をされます。お近くの方は、是非覗いて下さい!!

ジャワ島中部地震ニュース 第5報

<緊急救援本格化>
地震発生から6日が経過し、日本初め各国の援助チームが続々と現地に入っているようです。インターネット情報によると、国際赤十字は被災地に40ヶ所の診療所を設置し、緊急医療対応をしているとのことです。全半壊家屋は約14万戸にものぼり、家を失った被災者は60万人と報道されています。こういう状況下で、自立再建を希望することから、国連とNGOを統括する担当者は「仮設住宅の建設を見合わせる」と言っているようです。住民主体・住民参加の再建・復興を考える上で、場合によってはこうした手法も評価できるが、大切なのは、計画・協議・決定・実行の過程で常に住民主体・住民参加であることと、住民との合意です。各々の暮らしや住宅や地域経済など包括的かつ総合的な再建を目指して欲しいと願うものです。
<現地の様子>
・食料や医療などの支援はバントゥルには届いているが、ひどい地域にすべて行き届いてい
るわけではなく、偏りがある。
・食料はインスタント麺などは十分だが、子供のミルクや離乳食などが足りていない。
・クラテン地区には日本赤十字が支援しているので、クラテンの状況は日本赤十字に問い合わせればわかるかもしれない。
・まだ夜は外で寝ている人も多いという情報が入ってきています。震災発生から、6日が経過し被災者一人ひとりに支援が行き届いているかどうかがこれからの深刻な課題となります。障害者やレポートにあるような乳児や妊婦さんなどがこの混乱した被災地の中で、どのような日々を送っているのか気がかりです。
<たくさんの応援メッセージ>
今回は、いろいろなところから「現地のことについて詳しいので、何かお手伝いできることはありませんか?」というお声がありました。恥ずかしながら、こんなに日本の方がインドネシア・ジャワに行っているとは、思っていませんでした。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
*関連団体の動き*
阪神・淡路大震災以後、被災地KOBEでの救援活動はもちろん、その後も国内外での災害に対して精力的に救援活動を続けておられるNGO「アジア・アフリカ環境協力」(http://acec.gozaru.jp/top.html)さんから災害時などの非常時の缶詰パンを持ち込める範囲で預かりました。3日出発する第一次調査団が持っていきます。