『多様性』について書こうと思ったら、難しすぎてよくわからなくなりました。
- 2018.01.13
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1月12日
今日はとても天気は良かったですが、めちゃめちゃ寒くて凍えそうでした。
凍えそうな中、イベントの広報や冊子づくりの準備などパソコンとにらめっこをしながら作業をしていました。
今日の内容はあまりCODEの業務とは関係がない事なので、予めご了承ください。
先日Twitterで下の文章が目に留まり読んでみました。
みなさんもぜひお時間あれば読んでみてください。
「まったく仕事をしない男。」
今日はこの記事を読んで僕が思ったことを書きたいと思います。
この記事の中にこんな文章があります。
筆者の友人のYという男がいて彼は仕事をしていない。しかし、彼にはパトロンがいてお金をもらいながらふらふらしている。
そこで
「なぜぶらぶらしているだけのお前にお金をあげる人がいるんだ?」
と聞かれたときにYはこう答えた。
「ガラパコス諸島ってあるやん?南米の。そこにいる絶滅危惧の亀みたいなもんだよ。みんな多様性として守るでしょ。それと同じ。みんなが仕事に生きがいを求める今、仕事せずにどう人生を楽しむかを地でやっている人間がいることも大切でしょ。」
その後筆者はこう続ける。
Yの言ってることは無茶苦茶だ。でも、面白い。
(中略)
Yは存在そのものが、現代へのボケになっている。ソーシャルメディアが浸透した今、一億総ツッコミでみんなまじめだ。ニュース一つ取り上げても、正論のオンパレード。先生のようだ。でもまじめな先生は一人いれば十分。逆にボケが圧倒的に足りていない。みんなから笑われたり、つっこまれるような存在こそクラスを明るくしたように、ソーシャルはボケを求めている。逆に言えば、こんなにボケが美味しい時代はない。
この文章にも出てくる『多様性』という言葉はとても難しい言葉だと思う。
どうしても自分の考えが正しくて、正義だと思ってしまうし、反論されれば腹が立つ。
1つの環境にいればそこでの考え方が“普通”になってしまい、そうでないものを“異質”に感じる。
それはそれで仕方がないとも思う。
でも、正しさも1つじゃないし、正義もたくさんあって、正しいことを言うことが正しいわけではない。
かといって、すべての事を『多様性』という言葉で片づけてしまうのもそれはそれで違うような気がする。
自分でも何が言いたいのか、何を言っているのかよくわからなくなってきてしまいましたが、これを書いていて今急に週刊少年ジャンプで連載されていた「SKET DANCE」という漫画の中での言葉を思い出しました。
「君の人助けとはなんだ?」という質問に対しての主人公の答え。
「理解者になる事。乗り越えることは変わる事じゃなくていい。その人が今いる位置を認めて、愛しいと思えるように背中を押すこと。」
『多様』な人を自分の中で受け入れるためには、そのための『器』が必要だと思うので、大きな器を持てるように色々な人と話して、意見を交わしてということを日々やっていきたいと思います。
少しまとまりのない文章になってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
それでは今日はこの辺で。