ハイチの話
- 2017.11.08
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11月7日
今日は吉椿事務局長の大学の講義に同行させていただきました。今回の講義の内容はハイチ大地震の事についてでした。
ハイチという国を聞いてすぐにイメージできるでしょうか?
僕は正直あまり知らなかったので、僕の確認のためにも少し紹介させていただきたいと思います。
ハイチは1804年に独立しています。なんと、世界初の黒人による独立国家なのです。しかし、現在は西半球で唯一の後開発途上国にも選ばれ貧困国とされています。
なぜこうなってしまったのか、そこにはたくさんの理由がありますが、
独立の代償としてのフランスへの多額の賠償金の支払い
民主的な政治の安定期がないこと
国際社会から押し付けられた自由貿易政策のために、農業が崩壊、首都への人口流出
ガバナンスが弱く、政治の汚職率が高い(180か国中177位)ために海外からの援助が国民に適切に届かない。
2010年1月12日ハイチにCODEと関わることになるハイチ大地震が起きます。被災者350万人、死者数は35万人、さらにコレラが流行して8000人以上の方がなくなりました。
信じられないような数字です。僕の大学がある松山市が54万人なので街が一つなくなるほどの人の数です。
世界の国々はこの災害の被害のためにたくさんの援助を行いました。ハイチ復興基金というものが立ち上がり、3億8605万ドルが世界中から集まっています。日本は総額2.6億ドル越えの支援を行ったそうです(外務省)。
しかし、CODEのスタッフが3年前に訪れた現場は、未だテント暮らしの人がいたり、倒れた建物がそのままだったところも少なくなかったそうです。
なぜ、たくさんのお金が支援されたにもかかわらず、復興が進んでいないのか。そう、先ほど書いたように政治家の汚職がひどいために国民に届く前に権力者の間で消えてしまっているのです。信じられないようなホントの話があるんだと、
CODEは、ハイチで農業技術学校の建設の支援をしました。なぜ、農業技術学校なのか。
ハイチは昔ヨーロッパ入植以前は国土のうち75%が森林の山が多い土地でした。しかし現在はなんと1.25%しかありません。
そこには私たち日本人も無視できない
先進国の搾取
がありました。
独立国家以前はフランスの大規模プランテーションのために、独立後は手っ取り早く収入を得られる炭焼きのために伐採。
1993年に国連による経済制裁が行われ炭焼きのために森林にさらに拍車がかけられる。
1995年にはアメリカによる関税の引き下げが行われ(35%から3%輸入自由化)によって、農業が崩壊。(ハイチ人の食べるコメはアメリカから輸入される安いコメ、ハイチのおいしいコメはアメリカへ)→どんなにいいものを作っても意味がなくなってしまい農業が崩壊し、都市への人口流入が起こりました。
CODEはハイチで医療活動を続けてこられたハイチのマザーテレサことシスター須藤さんと共に、農業でご飯が食べられるようにと農業技術学校の建設と、植林の活動を行いました。
(さらに詳しいプロジェクトの内容はこちらから)
しかし、2013年に現地に行ってからCODEはハイチを訪れることが出来ていません。ジカ熱の感染や大統領選の混乱により非常に危険な状況が続いているからです。
色々な問題がからみあって、なかなか貧困から抜け出せない、そしてそこには先進国が大きく関係している。支援という名での多額のお金は国民に届いていない。
問題がとても大きくて複雑で僕という人間が何が出来るのか、どうすれば少しでも力になれるのか正直全く分かりません。でも、とてつもなく大きなお金が動いてもそのお金が国民にいきわたるとは限らないという事を今回学びました。
僕がハイチの人のためにと寄付をしたお金ももしかしたらハイチの権力者の私腹の肥やしの助けになっているだけかもしれない。
寄付をするという事はそのお金がきちっと使われているかどうかまで見届けなくてはいけない。もしかしたら、自分の想いとは逆の方向に手を貸しているかもしれないから。
問題が大きくても小さくても、自分にできることを自分に出来るようにするしかありません。世界を無視せず、責任を持って、自分にできることを。
それでは今日はこの辺で。
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ちなみに写真は、前の食と国際協力の時の調理中ゴーヤです。