被災地レオガンに入っているクワテモックからメールが来ました。停電があり、通信事情が劣悪な中で、わずかなチャンスを得てCODEに配信して下さいました。ここ2日~3日はメールが止まっていたので、今日4日11時頃(現地時間3日21時 )に電話を入れて元気であることを確認しましたが、その直後のメールです。
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親愛なるCODEのみなさんへ
皆さんからついさっきお電話をいただけまして、とても嬉しいです。今回は、今までの救援活動と違ってかなり難しいです。その破壊は想像を超えています。津波の場合は、破壊は大きかったですが、海の周辺地域だけでした。ハイチの破壊はあちこちにあり、海の近くも遠くも小さなコミュニティーも都市も、全てが破壊されています。
私が見た破壊は言葉で表現することはできません。おそらく我々はこの巨大な破壊を言葉で説明することはできると思いますが、被災された人々、孤児たちや未亡人たち、そして愛するものを失った人々の痛み、失った家、失った仕事、彼らの生死の境目・・・それらを表現する言葉は見つかりません。国家の象徴であった国家宮殿、大聖堂は、そこら中の何千の家々や建物と同じように崩れ去りました。
アメリカ大陸の最も貧しい国、そして世界で最も貧しい国の一つでこのような事態が起きてしまったのです。ですから自然災害に、このような地震の結果を説明するために、これら人々の極度の脆弱性を加えなければなりません。国連事務総長の言葉に「世界は第二次世界大戦以来の最悪の惨事を目撃している」とあります。私はレオガンを選びました。ポルトープランスを訪れ、そしてレオガンに来ました。ポルトープランスにも巨大な破壊があり、おそらく50%が破壊されたでしょう。キャンプやテントがあちこちにあります。それがこの国の首都の状態であり、それゆえに多くのNGOや国連がそこに注目しています。しかし震源はレオガンであり、約80%が破壊されているのです。ですから、私はこの場所を選び活動しています。発電器によって電気が点いた瞬間を逃さず、ドイツ人の友人の好意で無線LANに接続するパスワードを貸してもらっています。明日、あなたにこのようにメールを書くチャンスがあるように祈っています。
クワテモックより
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彼のメールにある「世界は今、第二次世界大戦の惨状と同じ光景を見ている」というフレーズは、2004年のインド洋地震津波災害のときにも確か同じような表現を聞いたことを思い出しました。残念ながら一国の被害では過去最大の惨事ではありますが、2004年の津波災害の犠牲者22万人を上回りそうです。
あらためて、亡くなった方々のご冥福を祈ります。
投稿者「code」のアーカイブ
ハイチ地震レポートNo.21
このCODEが配信しているハイチ地震レポートでも、再三再四伝えていることですが、ハイチ地震以後、被災地ハイチ全土で略奪や暴動が起きているかのような報道を目にするけれども、実はいろいろなレポートを見ると「意外に平穏である。」とか、「暴動は起きいていない」という指摘も少なくありません。
去る1月25日、ハイチ前首相ミッシェル・ピエール・ルイが、「ハイチへの誇りと希望」というメッセージを出されました。(全文訳は、http://ow.ly/11K9B)
このメッセージには、「私はポルトープランスに誇りが生まれつつあるのを感じます。自立への誇り。人々は、私たち自身が、私たちを掘り出さなくてはいけないんだと言います。文字通り・・・・コミュニティ・リーダーは市民を組織し、安全を確保するためのに重要な役割を果たしつつあります。暴動のニュースは誇張されすぎています。ハイチでは、部分的にせよ、自分たちでどうにかできていることを証明しようと
しているようです。もちろん援助は必要です。緊急援助と私たちの荒廃した国を前に進めるための計画が必要です。」とあります。
ハイチの人たちは、「自分たちの国は、自分たちで再建するんだ!」という力強い決意を持っていることが伝わってきます。この前首相のメッセージを読んで思い出したことがあります。阪神・淡路大震災後の2日目に阪神大震災地元NGO救援連絡会議を立ち上げた故草地賢一が、同年3月にコペンハーゲンで開かれた国連社会開発サミットのNGOフォーラムで発表したアピール「生きることは分かちあうこと」の中で、「今この長田の人々が始めている市民参画型、市民提言型の復興プランづくりに私は言葉だけ知っていた”主権在民”の具体的な実現があるように感じています。」とスピーチしました。ハイチは、まだ50万人がテントなき生活を送っているという状況です。規模は違いますが、いま、ハイチの被災者は、15年前私たちがKOBEの地で「私たちのできることは私たちでしよう!大事なことは自分たちで決めよう!」と体験したことと同じステージに立っているのだと共感します。同首相は「(救助)という最初の段階の終わりにあります。」と認識されていますが、復旧→復興へと進むこれからが大変です。
みなさん!ハイチに関するマスコミの報道は激減しています。でも、ハイチはこれからです。是非、末永くご支援をよろしくお願いします
ハイチ地震レポートNo.20
通信事情が悪い中で、クワテモックさんからメールが来ましたのでご紹介します。
-私はレオガンのラジオ・クールに出演し、神戸市民からのメッセージを伝えました。日本在住のハイチ人からとメキシコの被災者からのメッセージも伝えました。彼らは来週月曜日の私の生放送インタビューをポルトープランスのラジオ・カリブで流してくれる予定です。
私のレオガンの拠点では、この地域の被災者を救うために医療ネットワークを確立しようとしています。現時点では我々はレオガンで活動する唯一のNGOです。
もっと書きたいですが、この地域は電気が無く、インターネットもありませんので、連絡し続けることは難しいです。いずれにせよ、少しずつですが、私は動きやすくなっています。10日間ほどの延長を追求します。-
というものです。さて、ハイチへメッセージを贈る活動を、ラジオ関西さんと一緒にしていますが、先日阪神・淡路大震災の被災者からも届けられ、早速現地語に翻訳して頂きクワテモックに送付しました。その中の一つを紹介させて頂きます。
-地震直後から半年間は、「なんで私たちだけこんな目に?」と「なんで私たちだけ生き残ったのか?」という二つの気持ちが衝突して、葛藤した日々でした。もし同じ気持ちを抱えていらっしゃる人がいれば、どうか一人ではないことを忘れないでほしいと思います。(Y・K)-
今回、ハイチ地震の被災者の振る舞いを見ていて、阪神・淡路大震災でも注目された「自助」「共助」の意味が、より具体的で、身近なものとして捉えることができました。
これだけの被害に遭いながら、自分たちの国のことだから自分たちでできることはしよう!という姿は、世界中の人々に感動を与えてくれます。KOBEの地から遠く離れていても、寄り添っている誰かを介していれば、こうしてつながり、共感もできるということを証明してくれます。いま、私たちが何をしなければならないのか?
このことをしっかり考えさせられる毎日です。
15年前、私たちは「支えあいは自立から」と言ってきました。いま、このことを実感を持って言うことができます。15年前、私たちは誓いました。
-被災地の私たちは、自ら「語り出す」「学ぶ」「つながる」「つくる」「決める」行動を重ね、新しい市民社会を創造していく力を養っていくことから、私たち自身の復興の道を踏み出していくことを、強くよびかける。-(『市民とNGOの「防災」国際フォーラム』神戸宣言1995より)
ハイチ地震レポート No.19
当NGO「CODE」から派遣したクワテモックは、首都から40㎞ほど離れたレオガンに入り、早速援助の届きにくい被災者を優先的に支援すべき具体的な実態把握をはじめました。ただ、通信事情はよくないので、現地レポートも途切れ途切れになるかも知れませんが、根気よく見守って下さることをお願い致します。
一部の報道では、現地での混乱の様子が伝えられ、さも被災地全土が混乱しているのかと錯覚を起こしかねますが、繰り返し当レポートでお伝えしているように、被災地では多くのボランティアが活動しており、また被災者自身は相互に支えあっているようです。まさに「自助」と「共助」の姿です。ほんとに、15年前の阪神・淡路大震災を思い出します。丁度、阪神・淡路大震災後に被災地でも何度も取材された時事通信ワシントン特派員のA.A.さんの取材体験記がインターネットで紹介されていますので、その一部を紹介させて頂きます。
*「略奪行為が各地で見られるようになり、治安悪化の懸念はくすぶるが、大多数の人は。驚くほどの平静を保ち、困難の時をじっと耐えている。ハイチの人の忍耐強さには感銘を受けた。混沌の中で、市民は懸命に日常を取り戻そうとしているかのように見える。 」(1月16日)
*「今回の取材ではジャーナリストということで、意外なほど援助関係者や地元住民から歓迎され、協力を受けた。緊急事態の中、誰もが厳しい状況下で自分の仕事を全うしている。」「みんなが同じ船に乗っている」と言ったのは誰だったか。ジャーナリスト同士もそうだが、どこに行っても強い連帯感を感じることができて励まされた。(1月19日)
ハイチ地震レポートNo.18
ハイチの被災地に入ったクワテモックさんから現地の情報が入りました。JICAの緊急援助隊や国境なき医師団の入っているレオガン(LEOGANE)にいるそうです。
下記のように余りにも甚大な被害を目の当たりにして支援の必要性からクワテモックさんは滞在の延長を訴えてきました。
(現地時間1月28日9:40、日本時間1月29日2:40のメール)
皆さんは想像できないと思いますが、ここレオガンでは物資も同様ですが、インターネットにアクセスするのが非常に大変です。交通は悪夢のようで、インターネットもホテルもレストランも何もありません。私は倒壊した病院に寝泊まりしています。それはレオガンのCardinal Leger 病院です。震央に近いところです。90~95%が破壊されています。ポルトープランスにはほとんどの国際援助団体が入っているので、私はここレオガンを活動の地として選びました。私は、ドミニカのNGOや地元の人々にサポートされています。
私はたった一滴の水さえ届いていないような小さなコミュニティに行こうと調整しています。
私は、スラムの高齢者や子供のケアをしている地元の社会組織と一緒に再建のアイデアを考えようと思っています。
2日以内にはポルトープランスに行き、ラジオで話してCODEのメッセージを多くのところに広めてくるつもりです。明日はここレオガンでもラジオで同様に動きます。
写真はインターネットにアクセスできる時に、追って送ります。
ハイチの人々から大変暖かい感謝と恵みと挨拶を受けています。
クワテモック
*昨日、Twitterに以下のような暖かいメッセージがありました。これをクレオール語にしてクワテモックさんを通じて現地の人々に届けます。
ハイチ地震の甚大な被害と犠牲者の報道に心が痛みます。この地上に生きる同じ一人の人間として、ハイチの皆さまの涙と悲しみを共有し、遠い日本の地からではありますが、応援の気持ちを送ります、明けない夜はありません、明日のために手をとりあいましょう。(京都・SAKI)
ハイチ地震レポートNo.17
レポートNO14でSAJ(戦略・行動・若さ)という赤いポロシャツを着たボランティア達が立ち上がった話しをしたが、新たなボランティア達も動き出した。
黄色いTシャツと帽子を身にまとい、救援物資の配布の手伝いや避難キャンプの清掃をする彼らは、ボランティア団体「市民アクション」の若者たちで、「皆が被災者なのだから助け合う事が必要だ。」と汗を流す。彼らは震災前から社会奉仕活動をしていたが、この大地震で彼らのほとんども被災者となり、現在も屋外での避難生活を送っている。
レポート16の岡さんの文章の中にも「ここはハイチ。自分達の国だ。ハイチは自分達で変えていかなければならない。」というハイチ人の話がある。まさにこの若者たちの動きはハイチ人らしさを表したものだろう。
15年前の阪神・淡路大震災の直後、1か月で約62万人のボランティアが被災地に駆けつけた。そのうちの7割は初心者ボランティアであった。その彼ら、彼女らが被災地の復興の大きな力になった。国連やNGOは、今、ハイチで動き始めたハイチ人自身のボランティアをもっともっと信頼して、彼らのエネルギーをうまく使うべきであろう。岡さんはハイチをこう言う。「国民のほとんどは子供・若者です。エネルギーいっぱいの国です。」
ボランティア「市民アクション」の黄色いTシャツには胸にクレオール語で「きずな」と書かれてある。
ハイチ地震レポートNo.16
NO13で関西在住のハイチ人「ChaCha(シャシャ)」の素晴らしいメッセージをご紹介しましたが、今度はChaChaさんの奥さんである岡智子さんからもハイチ人気質のよくわかるメッセージが来ましたのでご紹介します。
ハイチや主人のことを想っていただきまして、本当にありがとうございます。現地人による支援活動の記事を拝見しました。
「これぞハイチ人。ハイチの強さを取り戻した!!」というのが私の率直な感想であります。
あくまでも私見ですが、ハイチの人は、どちらかといえば単独ではなく他の人と一緒に動くのが習慣です。
これを現地ではCombit(コンビット:協働)と言います。
そして歴史にも残るように、ハイチは黒人が独立を勝ち取った初の国家であり、彼らには金や物は何もなくても、希望がありハイチ人という誇りがあります。
心身ともに強い人たちです。(しかし、今回の地震ではかなり弱っていると思われます。)
以前から、ハイチは不安定な国でした。
国民の多くは貧しさから抜け出せず、若者たちはみなぎるエネルギーをもてあまして、人を支援するグループをよく結成して活動していました。
でもやりたいことはたくさんあるのに、いつも資金や物がないということで、活動できなかったグループが多くありました。
ハイチの人と話をしていると、
「ここはハイチ。自分たちの国だ。ハイチは自分たちで変えていかなければならない。」
と言う人がいます。
私もできるだけ地元の人たちの内に秘めたる+のエネルギーを突き動かし、彼らによる助け合いの支援ができるように、援助できればと思います。
国民のほとんどは子供・若者です。エネルギーいっぱいの国です。
岡智子
*CODEの海外研究員のクワテモックさんがハイチに入りました。首都ポルトープランスの西約40kmのLEOGANE(レオガン)にいるようです。追ってレポートを紹介します。
ハイチ地震レポートNo.15
日本政府は、国連平和維持活動協力法にもとづき、人道復興支援目的で自衛隊を派遣する方針を決めたようです。鳩山首相は記者団に「がれきを撤去して、住宅などを建てる仕事がある。いわゆる工兵の人たちに行っていただこうと考えている」と言いました。
被災者に瓦礫の片づけをして貰って、工賃を払うというプロジェクトを日本のNGOが過去の被災地で展開しているのをご存じなのだろうか?また、貧困者の住宅を建てるというNGOもあり、この被災地KOBEの大学生などもこれまでに積極的に参加してきたことをご存じだろうか?
首都では、一部銀行が再会し、また商店などもオープンし、路上では活気よくバザールも展開されているようです。災害発生からまだ2週間しか経っていないのに、被災地ハイチの街は、蘇りつつあることが伝わってきます。
これからは本格的に住宅の再建を考え、地域の経済の活性化を考え、まず人々の暮らしの再建を優先的に考えていかなければならないステージに入ろうとしています。この段階だからこそ、国連は積極的にNGOと連携して多彩な支援メニューを展開して欲しいものです。過去の事例からすると、日本のNGOは欧米のNGOに比べて資金力が乏しいので、それだけに智恵を出して「痒いところに手が届く」ような活動が提案できます。鳩山首相は是非、そこのところに注目して欲しいものです。
すでにいち早く現地で緊急援助活動をしているピースウィンズ・ジャパンの現地レポートを見ると、「暴動は起きていない。給水車には順番待ちの列ができていて、それなりに秩序はある。炊き出しに群がる人も最初はごちゃごちゃしていたが、子ども→女性→男性という順番で受け取っていた。」とあり、また「夜になると停電で市内は真っ暗。外で生活している住民が静かに歌っている声が聞こえ、歌詞は宗教的な内容らしく、互いに励まし合っているようだ。」と報告されている。(http://www.peace-winds.org/jp/act/haiti.html)
こうした目線で被災者に寄り添える感覚は、結局阪神・淡路大震災からの15年という年月が築き上げて来たのではないかと思えます。
ハイチ地震レポートNo.14
11日ぶりに男性が救出された一方で、ハイチ政府は救出活動の打ち切りを発表した。また13万人が首都からすでに脱出をしたようだが、一方「ハイチの将来のためには、私たち若者たちが動かないといけないと思う」と、大学生や20代から30代の若者が集まり、ボランティア集団「戦略・行動・若さ」(SAJ)をつくり、救援活動をはじめている人たちも表れた。
昨日の関西在住のハイチ人「Chacha(シャシャ)」からの感動的なメッセージが届いたかのような、被災地ハイチの動きです。朝日新聞によると、SAJは海外から続々と集まる支援物資の担い手は国連や大規模NGOで、「ありがたいが、援助活動から疎外されている気がする」と、ハイチ人の組織は影が薄いと嘆いている。
一方で、首都ポルトープランスの中心部の広場で1000人のミサが行われ、牧師は「地震で亡くなった人もいる。私たちは涙も流した。けれども、生きていることを神に感謝しよう」と呼びかけた。(25日、毎日新聞)
いま、SAJに集まる、一人ひとりの小さな救援活動は、決して埋もれてはいけない。海外からの支援に入っている関係者はそのことに最大限の配慮をする必要がある。ミサに集まった1000人は、お祈りをあげているが、それはまず「一人ひとりの被災者が、自分で自分を助ける援助活動」だと思う。つまり”自助”だ。
15年前に私たちが共有できた「人間一人では生きていけない!」という原点を、ハイチの被災者とその周辺のボランティアは同じように、共有しようとしている。
でもハイチの人たちの行動は、世界中の人たちを共感させた。世界中のアーティストたちは、いま「ハイチを救え!」と立ち上がっている。被災地KOBEのあちらこちらで「ハイチを救え!」と募金活動が展開されている。
是非、まずメディアに訴えたい!! ハイチを伝え続けて欲しいと。
昨日、クワテモックから「やっとサントドミンゴに着いた」とメールがありました。陸路でハイチの首都ポルトープランスに向かうでしょう。現地からのメールを待ちましょう!。
ハイチ地震レポートNo.13
ハイチへの応援メッセージを呼びかけていますが、早速、日本在住のハイチの方がメッセージを寄せて下さいましたので、下記に現地語(クレオール語)と和訳で紹介します。
現地語のメッセージは、ハイチ入りしているクワテモックさんから、現地のメディアに届けて貰います。
<和訳>
ハイチの皆さん。いつでも行動する意欲のある黒人たちよ。
今、世界中の人々がハイチで起こっている惨事について知っています。
ハイチが傷つきそして苦しみ、悲しみにくれていることを人々は理解しています。
私たちはパニックになる必要はありません。神様だけがその訳をご存知です。落ち着いて、祈りましょう。私たちは生まれ変わり、そしてハイチがもっと美しい国になることを。ハイチの人は本当に美しい心を持っていると私は信じています。
外国の人たちに私たちを助けに来てもらうために、いくら多くの問題があったとしても今は争い事をしてはいけないということを、私たちはわかっています。
私たちはみんな兄弟姉妹であり、共に食べ、水を分かち合うなどして、チャンスを手に入れましょう。たとえお金持ちでなくても、輝かしい命をつなぐために。
豊かさとは、人が他を思う愛です。だから私たちは立ち直って、再建や教育、組織、尊敬、団結、真剣な行いに対して共に考え共に行動することで、新しい国ハイチを築く望みを持ちましょう。頑張りましょう。私は日本に住む1人のハイチ人です。ハイチの1人でも多くの人を救いたいと考えています。
<クレオール語Creole>
Pep aytien nou se youn nan pep nwa ki toujou pr?t ou travay
Kounya tout lemon konnen ki problem nou geyen nan ayti
Nou konen ki doul? ak soufrans ki trists?s ki genyen nan pey ya
Nou pa bezwen bay tet nou panik Bon Dye selman konen pou kisa.
Rete kalm e Prie pou nou kap vini Yon nouvo pep ak yon pi bel pey
Mwen kre nan aytien se yon nan p?p ki gen pi bon k? ki ka kronpran .nan moman sa pa batay menm si nou gen anpil problem pou Etranje ka antre vini ede nou
Nou tout se men fre ak s?, se pou nou mange ansanm bre dlo ansam konsa nou ap geyen
Chance pou nou gen yon bel vi menm si nou pa rich .Riches se lanmou youn pou lot
konsa nou ap rebati konsa nou espere ke nou kap gen yon Ayti nouvo, si nou mete
tet ansanm pou rebate, edukasyon , formasyon,respe,union,seriyozite . Bon kourag mwen se yon aytien ki ap viv o japon mwen ap fe yon fason pou ede anpil kote nan ayti