ハイチ地震レポートNo.32

レポートNo.30で地震後1ヶ月の様子をお伝えしましたが、クワテモックさんよりその詳細が届きましたのでご紹介します。
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2月12日のメールでお伝えした通り、地震から1ヶ月の追悼記念日を迎えました。政府は金曜、土曜、日曜と3日間を国家敵な追悼の日としました。
従って午前中、私はプチ・リビエラ(Petit Riviere)と呼ばれるコミュニティにモバイルクリニックを設置しに行きました。数メートル離れた場所で治療が行われている間、地域の人達は地元の教会(教会の残骸というべきか)に集まり、祈ったり賛美歌を歌ったりしていました。どこに行っても皆同じようにしている様はとても感動的でした。早朝6時に、隣の養護施設の修道女が歌い始めました。近隣のキャンプでも歌が始まりました。どこも感動的な雰囲気で、人々は祈り、愛する人を偲んで泣き、歌い、互いに支え合っていました。何か信じられないような気持ちになり、たいへん興奮しました。
午後にはコロンビア赤十字にいる私の友人が訪ねてきて、子ども達に物資を届けてくれました。そこで私は彼らを町にある3つの孤児院に案内しました。最初の孤児院では、子ども達は笑顔で迎えてくれました。次の孤児院に行くと、子ども達は中庭に集まっており、自分たちの体験を語り合ったり、歌ったり遊んだりするセッションを行っていました。車椅子に乗った6歳の女の子が前に出てくると、皆素晴らしい歌を歌い始めました。その女の子が生き続けるのを励ます歌なのです。なんて感動的なのでしょう!
最後に3つめの孤児院に行きました。ここは女の子の孤児院です。私たちが積み荷を下ろしていると、突然、女の子達が全員、フランス語で美しい歌を歌い始めました。歌はこんな意味のようです。「ありがとう、ありがとう、私たちを支援してくれてありがとう。太陽の光で私たちを照らしてくれてありがとう。生きる希望を取り戻させてくれてありがとう。暮らしに喜びをもたらしてくれてありがとう……」言い表せないほど心を揺さぶる光景で、コロンビア赤十字の友達も、私も涙が止まりませんでした。
胸がいっぱいになったまま、私はキャンプに戻りました。本当に特別な日でした。言葉でこの感情を全て表すことは難しいですが、挑戦しています。
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(写真上:左から2人目がクワテモックさん)



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