露軍とウクライナ軍との戦闘が激しくなるにつれ、プーチン大統領の蛮行が目に余る。この出口の見えない“戦争”を解決するには、「ウクライナが徹底して戦い、勝つしかないのだ!」というような声も少なくはない。
しかし、私は前号で書いた「殺される側」にも、「殺す側にも」立ってはならないと思う。それは「最後の一人まで」という、27年前の阪神・淡路大震災で刻まれたメッセージがあるからだ。
当時ボランティアは、人間なら誰にもある“心根”に押されて、「何か役に立たないか」と目の前に現れた被災者に寄り添い、救援活動に取りくんだ。このメッセージは、その中から紡ぎ出されたメッセージである。
この「最後の一人まで」を、国際法学者として新聞紙上で解説されたのがCODEの前代表理事芹田健太郎(当時神戸大大学院国際協力研究科教授・現神戸大学名誉教授)だ。(*前号でも一部紹介し、全文のURLも貼り付けましたので、FBを見ることができる方は、是非全文を参照して下されば光栄です。)
芹田教授は神戸新聞客員論説委員として1997年12月27日付け神戸新聞―21世紀への針路―で、まず「多数決原理から考えても多数者の幸福は実現できる。だから、立法原理としては少数者の幸福にこそ目を向けるべきである」とし、その最後の一人の代弁者となるのがNGOなのだとも、普段私たちに説いてきた。
同論説では、「(最後の一人の生存権として)教育刑主義をとったことで知られる東京帝大教授牧野英一に『最後の一人の生存権』という論考がある」「牧野は、最後の一人の生存権を主張する根拠に、最後の一人まで戦うことを国民的理想とした第一次世界大戦を思い、最後の一人の生存権を保全することによってその最後の一人までを必要なら終わらせることができることを挙げている」。しかし、芹田教授は「(牧野は)つまり、最後の一人の生存権の原理は、国家をさらに強固にし、さらに偉大にし、さらに尊厳ならしめる原理と位置づけているのである。しかし、牧野は時代に抗することができなかったと言うべきであろう。我々の経験では、最後の一人の生存権の根拠は我々の人間としてのつながりにこそある。今こそ、立法・行政原理としては、最大多数の最大幸福から脱却し、少数者の幸福の徹底した重視へと転換しなければならないであろう」と締めくくっている。
CODEが、神戸に避難して来られたウクライナの一人ひとりに寄り添い、「MOTTAINAIやさい便」を届けている根底には、この思想が原点にある。
◎追記:芹田教授は神戸大学大学院国際協力研究科の最終講義で次のようにも表現しています。(2004年1月28日)「牧野は最後の一人の生存権を主張する根拠に、最後の一人まで戦うことを国民的理想とした第一次世界大戦を思い、最後の一人の生存権を保全することによって、その最後の一人まで必要なら戦わせることができることを挙げていました。時代に生きた牧野の限界です」
(CODE海外災害援助市民センター事務局 村井雅清)
●CODEが、ウクライナおよびロシアから神戸に避難している方々に、「MOTTAINAIやさい便」を届けています。この「MOTTAINAIやさい便」も、無数のちいさな橋をかける活動です。是非、応援して下さい。(9月2日づけ神戸新聞朝刊にCODEが行っているウクライナ支援の様子が掲載されています。)
●保育園に2歳の男の子を通わせているウクライナの一人の母親が、送迎のために、電動自転車がありませんか?と願っています。もし、提供できる電動自転車があれば、村井まで連絡してください。ただし、運搬の都合がありますので、勝手ながら神戸市内の方に限りますが、よろしくお願いします。