月別アーカイブ: 2025年2月

No.77「被災地での国際支援とは・・・」

5万9000人以上が犠牲になったトルコ・シリア地震から2年が経った。
最大の被災地、ハタイ県では震災の日の2月6日には70ほどのNGOたちが連携して、追悼の行進を行った。

CODEがこれまで連携してきたあるNGOは、フランスの財団から4億円の巨大建設プロジェクトを持ち掛けられ、5年の計画書や施設の設計図なども準備し、1年をかけて準備をしてきた。
だが、ある日突然、担当のSさんに「資金は送れない」と連絡がきたという。Sさんにはその理由がよくわからなかった。
その話をハタイのNGO事情に詳しい方にすると、「フランスは、彼らを信用できなかったんだよ。仕方ない。。。」と返ってきた。

そのプロジェクトを行おうとしたNGOは、被災者自身が作ったもので、共同生活しながら地道に地域や仲間のために物資の提供や水環境の整備を行ってきた。ノウハウや資金はなくても被災者自身でやれることをやりたいと活動を続けてきた。だが、海外の大きな国際支援が突然訪れて、巨額な資金を提示してきた事でその話に乗ってしまった。
Sさんは、「最初は小さな規模でやるつもりだったが、フランスが大きなお金を出すと言ったから・・・」と下を向く。
Sさんは続けて「やっぱりCODEが言ったように小さな事から始めればよかった。後悔している」「これからはCODEが送ってくれた資金で小さな事から始めるよ」と語った。もっと身の丈に合ったやり方でやる事を約束してSさんと別れた。

アンタキヤで被災した女性Cさんは、地震後のNGOの状況をこう語る。
「資金だけもらって何もしないローカルNGOもあったし、ローカルNGOの活動実績を自分がやったかのように宣伝する国際NGOもあったわ」と。
この状況を嘆いたCさんは、「こんな腐敗した団体と一緒にされたくないから、私は外に出て他の県で別の形で団体を立ち上げ、県外や農村に避難した人たちのサポートを行うようにしたのよ」と教えてくれた。

また、昨年お会いしたアンタキアのNGOの代表が「大きな国際支援の団体は人を数字としか見ていない。地元の事は自分たちローカルNGOが一番知っているのに、信用していない」とつぶやいた事を思い出した。

地震後、ハタイ県の被災地にはたくさんの国際支援が入った。もちろん海外の団体とうまく関係を築き、いいプロジェクトを行っているローカルNGOもある事を忘れてはいけない。だが、他方で安易に大きな資金に飛びつき、振り回されたローカルNGOもある。何よりも、そういう状況を生み出した国際支援側の責任も重い事を忘れてはならない。
(吉椿)

No.76「子どもを大切にする文化」

トルコ・シリア地震から明日で2年になる。地震直後からガジアンテップやカフラマンマラシュ、アディヤマンなどの被災地を複数回訪れてきたが、政府やNGOの活動には、子どもを対象としたプロジェクトがとても多い。

仮設住宅村には、子どもたちの遊び場(滑り台やブランコなどの遊具やバスケットコートなど)や心のケアセンター、イスラムの聖典コーランを学ぶ場、学習指導教室、図書館、映画館なども設置されているところもある。トルコには子どもを大切にする文化がある事がわかる。
今回訪問したハタイ県でも、子どもや若者たちを対象とした支援を展開するNGOも多い。

中でも非常に評価の高い「BURADAYS HATAY」というNGOがある。
「私たちはここ(ハタイ)にいる」という意味だそうだ。
地震後にアンタキヤの人たちで設立され、発災直後は食糧、水、衣服などの提供をしてきた。その他、再建の困難な地元の個人商店26軒に商品や設備などを提供してきた。ようやく緊急段階を過ぎ、これからが、社会の復興、心の復興だという。
1カ月前に新たに場所を借りて若者たちが自由に出入り出来るスペースをオープンさせた。暖かい部屋で安心して勉強が出来、チャイ(紅茶)も自由に飲める。被災した中学、高校たちは狭い仮設では落ち着いて受験勉強ができず、ここに来て勉強している。
このNGOの代表の女性Aさんは、このオープンスペースの意義について「1.学習スペース、2.社会的交流の場、3.伝統文化の継承の場、4.若者たちの心理的支援の場」と語る。

2年を経た被災地では若者たちの自殺が増えているという。将来を見通せない若者たちが絶望しているという事だ。2年の日(2/6)を迎える事が精神的につらく、この日敢えてハタイ離れる人もいる。
そんな若者たちがいつでも立ち寄れるスペースがここだ。
カウンセラーでもあるAさんは、「孤独でいたくない人はいつでもおいで」と声をかけている。だから「私たちがここにいる事が大切なんだ」と、その団体名の意味を教えてくれた。
(吉椿)

No.75「希望がない」

2023年2月6日に発生したトルコ・シリア地震から間もなく2年を迎える。M7.9とM7.5の巨大地震が立て続けに起き、トルコ、シリア両国で5万9000人以上の命が失われた。

死者2万2000人が亡くなった最大の被災地と言われるハタイ県アンタキヤを再訪した。
郊外の空港から市内へと続く道沿いには無数の仮設住宅群が乱立している。ホコリの舞うアンタキヤ市内には無数の更地と未だ解体されていないビル群、無傷だったマンション、建設ラッシュの復興住宅などが散在している。
聞くと、解体されていないマンションは裁判中だという。居住者間、オーナーと居住者との間で合意が取れていないから解体できないという。
復興住宅が政府の住宅開発局(TOKI)によって建設されているが、被災者は全額負担して購入しなければならない。
「政府からの補助金は何一つない」と被災者たちはこぼす。
当初、政府は復興住宅の費用を半額程度負担すると発表していたが、現実はそうではなくなっていた。
貧困層や震災で倒壊した自宅のローンの返済の残っている人たちは到底復興住宅を購入できるはずもない。先の見えない被災者たちはこの先もずっと狭い仮設住宅に住み続けるしかない。
また、新たに建設されている住宅の耐震性を懸念している人も多い。

多くの被災者たちが、2年経っても変わらないこの現状に「希望がない」と口にせざるを得ない現実を突きつけられた。
(吉椿)