スリランカでCODEが津波後に支援している幼稚園・保育園と、漁業組合を訪ねました。その様子をご報告します(岡本千明)。
コロンボに着くと、味わったことのないじっとり水分を含んだ空気に包まれた。着いた翌日から、それまで乾季だったという大地に雨も降り始めた。コロンボから海に沿って南下し、南部のヒッカドゥワ、ウェリガマ、マータラという町にある3つの幼稚園に向かう。
■幼稚園
スリランカには2万ほどの幼稚園があるが、そのほとんどは宗教法人やNGOが運営している。公営でないため政府の支援はあまり受けられず、再建はNGO等が中心となって行われているそうだ。島南部のヒッカドゥワという町にある幼稚園建設現場に着くと、子どもたちが首に花輪をかけて迎えてくれた。この地域では、ほとんどの家族が津波の被災者だ。鬱蒼とした木々を背後に、ブロックで一階の高さの柱と壁までができている。床、天井や内装はまだこれからだが、2月には開園する予定だ。70人の子どもたちが入園予定だが、そのうち24人が津波で何らかの被災をしたそうだ。30人は3~4歳、40人は4~5歳だ。子どもたちは、今は近くの寺で勉強している。しかし、寺が宗教の活動に使われるときには使えない。子どもたちはいつでも遊べる場所を待ち望んでいるそう。
この幼稚園は海から約1キロ離れており、安全地帯にある。それでも津波は地面から30センチほどの高さまで来たそうだが、園の裏が高い丘になっており、逃げ場になるのだと言う。
より南部のウェリガマの幼稚園に向かう。「ウェリガマ」とは、「砂の村」という意味らしい。海が近く、たしかに砂はあるが、特に砂の村というイメージはない。幼稚園の建設現場となっている場所では、波が家の一階くらいの高さまで来て88人が亡くなったと先生が教えてくれた。園舎は9割方完成している。もうすぐ開園し、20人ほどの園児が通う予定だ。ブランコや滑り台などの遊具もある。私たちが着くと、歓迎のセレモニーを催してくれた。5歳くらいの園児たちが、ゆかたとタキシードで迎えてくれた。舞台を使って「おはしもの歌」に合わせて踊ったり、スリランカのジャングルに住む先住民のダンスをしてくれた。
13歳になる幼稚園の先生の娘さんが、日本語で挨拶をしてくれた。学校で習っているそうだ。「支援ありがとうございます。日本からスリランカに来る皆さんによろしく。私たちは手と手を合わせて挨拶します」と手を合わせ、最後に「なむあみだぶつ」と言った。
最後に訪れたのはマータラの幼稚園。ここは、2006年1月に完成しており、約30人の園児が学んでいる。旗を立てるポールには、スリランカの旗と日本の旗が並んで翻っていた。到着すると、園児とお母さんたちが待っていてくれた。村井事務局長は、先生と子供たちにこう語った。「災害はつらいけれど、これからのスリランカを作っていくのは子どもたち。日本も災害を経験しています。世界のどこであっても、共通の経験や思いを共有することが大切です。その心のつながりが、国を越えて災害を乗り越えてゆく力となるのです」