第2次派遣」カテゴリーアーカイブ

つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.16

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【写真】NSETのビジャイさん(前列左から二人目)

3月 ムザファラバード
 N-SETというNGOがネパールにある。彼らは建築家の専門だ。
過去にCODEもイランやインドの被災地でお世話になっている。
今回もパキスタンで、耐震住宅の普及で活動している。
そのメンバーのひとり、ビジャイさんはこう言う。
「耐震の家を数多く建てるよりも、現地のMASON(石工)たちを育てた方がよ
い。そうすれば彼らが自分たちで耐震住宅を普及させていく。そうすれば、彼
らが自分たちで耐震住宅を普及させていく。それこそ循環だ」と。
この地震多発地帯でさえ、時が経てば人々は忘れてしまう。
人々の意識を変えてゆく事は、ゆっくりとした行程だとも言っていた。
パキスタンと言語や文化も近いネパール人建築家の技術と経験に裏打ちされた
自信のようなものを感じた。あせらずに、じっくりと時間をかけて、パキスタ
ンの人々の思いや暮らしを見つめていくしかないのかもしれない。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.15

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【写真】倒壊したアリ君の家

3月 ムザファラバード
 昨年11月に初めてムザファラバードの大学のテント村を訪ねた際に、
通訳をやってくれたアリ君(30歳)に再会した
昨年同様、フランスなどのNGOで働いているらしい。
大学のテント村で再会した。アリ君と仲の良いユーセフミールさん(35歳)の
テントでチャイを頂きながら、お話しした。
実は、アリ君自身も被災者である。
テント村には住んでいないが、歩いてすぐのマーケットの中に家がある。
アリ君に案内してもらった。にぎやかに再会しているマーケットの路地を少し
入ったところにアリ君の家はあった。
1947年に建てられたという二階建ての大きな家は、
原形をとどめない程に倒壊していた。
「ここで母が、ここで姪が、ここで甥が、亡くなったんだ」
と当時の状況を語ってくれた。アリ君は外出していて、ちょうど戻ったところ
で、玄関の前で、わが家が崩れ落ちるのを見たと言う。
亡くなった家族のそれぞれの写真を財布の中に大事にしまっていた。
彼は今も、その悲しみを紛らわすかの様に、NGOで働いている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.14


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【写真】(上)むき出しになった山肌
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【写真】(上)ムザファイルさんの村は地滑りで崩れてしまった

3月 ムザファラバード
 ムザファラバードは東西を山に囲まれ、街の中心を南北にニラム川が流れる。街の東側斜面の山肌が、今は真っ白になっている。すべて地震による地滑りで山肌が削られ、石灰岩質がむき出しになっている。その斜面には多くの村が点在している。
マクリー村もその一つだ。
大学テント村に暮らすムザファイルさん(48歳)もそのマクリー村の出身だ
(ちなみに、ムザファラバードは「ムザファイルの町」という意味)。
家族、親せき17人で3つのテントで寝泊まりしている。
ムザファイルさんは8人の子どもたちのお父さんだ。
そのムザファイルさんの案内でマクリー村に行ってみた。
車で約20分、道路から急斜面を歩いて上がる。
約1時間くらいの登山だ。
村は急斜面にへばりつくように点々と家が続く。
この村は街から近いこともあり、ほとんどの人が街に働きに出ていたそうだ。
山の一番高いところには小学校があり、子どもたちが通っていた。
村には女性のための裁縫の学校もあったそうだ。かつてはここに約5000人が暮らしていた。
ムザファイルさんの家は急斜面に建っていたため、地滑りで家は全壊していた。「政府は今月末でテント村を閉鎖して、村に帰れという。でも、この崩れた場所のどこに住めというのか?」
「政府はこの村の状況は、何も分かっていない」
と、ムザファイルさんは言う。
山頂付近では、地割れを起こしていて、そのすぐ向こうには最大の地滑り地帯が見渡せる。
この土地に愛着はないのと聞くと
「別に田畑を持っているわけではないから・・・。それよりもここは危険だ」と言っていた。
ムザファイルさんは、最愛の弟さんを亡くしている。
倒壊した家屋の下敷きになった遺体を運び出す時、右足が瓦礫に挟まれていて、やむを得ず足を切断したそうだ。
イスラム教では、土葬でわかるように体に傷を付けることを禁じられている・・・。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.13

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【写真】ムザファラバード

3月 ムザファラバード
 毎日、大学グランドのテント村に通っていると、子どもたちは顔を覚えてくれる。「Hello!!」「How are you?」と声をかけて握手を求めてくる。
そして、手をつないでずっとくっついてくる。
「変な外国人が毎日来ている」と思っているのか、写真を撮ってほしいのか、大勢の子どもたちに囲まれる。
今日は通訳であるマリック君がイスラマバードに行って不在だったので、子どもたちと身振り、手振り、片言のウルドゥー語で会話してみた。一人の子は山の手の村から、もう一人の子はタルカバードという近郊の小さな街など、あちこちから来て、このテント村で知り合って仲良くなったようだ。
と、突然、背中に強い衝撃が・・・。
髪の毛がボサボサで裸足の女の子が「頭突き」で体当たりしてきた。
痛かった・・・。
よく見ると、その他の大人や子どもたちにもゾウリでたたいたり、体当たりしたりしている。近くにいた大人が「あの子は、地震後にあんな風に精神的におかしくなっちゃったんだ」と教えてくれた。
震災が奪ったものがここにもあった。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.12


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【写真】キャンプ・ジャパンの様子

3月 ムザファラバード
 ムザファラバード市内からインド国境方面へ西へ約20分、日本のNGOがマネジメントする「Camp Japan」がある。久しぶりに訪ねた。
この数日の悪天候で、元々田畑であったテントサイトはドロドロだった。少しテントサイトを回ってみようと思ったら、一人のおじいさんがウルドゥー語で何かを訴えかけて来た。何を言っているのか全く分からなかったが、彼の身振り、表情や単語から察すると、「何でこのテントを出なくてはいけないんだ」「お金がないんだよ」と言っているように感じた。今月末で一応このテント村も閉鎖ということになっている。
PWJ(ピース ウィンズ・ジャパン)の方に聞くと、明日から帰還が始まるという。一部の家族は村に帰りたいと言い出したらしい。現実的に帰ることができない人もいる。その人々が「追い出される」という感覚を抱いてないといいが・・・。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.11


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【写真】(上)マディナ・マーケット
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【写真】(上)数分前に倒壊したビル
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【写真】(上)焼失したテント

3月 ムザファラバード
 ムザファラバードは、その州の名の如く「カシミール・ショール」などで有名な街だ。
その中心バザールである「マディナ・マーケット」は、今、活気を取り戻しつつある。
色とりどりのショールやドレスなどを売る洋服店、
綿やシルクなどの布地屋、仕立屋、どこも女性の客でにぎわっている。
このマーケットでは、日頃、あまり見かけない女性達を多く見かける。
美に対する意欲は、世界中どこでも同じだ。
そんなマーケットの中でも、活気を取り戻したエリアと、
今やゴーストタウンのようになってしまったエリアもある。
財、地位などの力のある者は、自力で再建していく。
そして、その陰に多くの「取り残され感」を抱いている人々もいる事を忘れてはならない。
 テント村に毎日通う。途中、メインバザールを通っていくのが楽しみのひとつでもある。
かつて、ここがどれだけにぎわっていたかが想像できるくらいに活気がよみがえりつつある。
が、今日、いつもの道を歩いていると様子がおかしい。
妙にほこりっぽい。
石段を上がってみると、バザールの一角のビルがほんの数分前に倒壊した。
人々が騒いでいる。どうやら三人ほどがケガをしたらしい。
日本のように家屋調査士が危険度を判定しているわけではない建物で、
人々は営業を再開したり、暮らしたりしている。そうするしか出来ない現実もある。
その後、テント村へ行ってみると、子どもたちがこっちこっちと手を引く。
行ってみるとそこに真っ黒焦げになったテント、家財道具が横たわっていた。
前夜、電気のショートでテントに火がつき、隣のテントを含め二つのテントが焼失した。
幸いケガ人は出なかった。地震によって二次的被害は今もなお続いている。
今朝、早朝、地震があった。震度どのくらいだろうか。
週に何度か降る雨、そして余震……、人々はそれでもたくましく「今」を生きている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.10


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【写真】大学跡のテント村

3月 ムザファラバード
 アザード・ジャンムー・カシミール州(AJK)の州都であるムザファラバードでも、あの地震によって多くの被害が出た。死者4万3000人以上、負傷者3万人以上。そして数十万、数百万の被災者の人々は、五ヶ月が過ぎた今でも、テントで暮らしている。厳冬の時期を乗り越えて来た人々にとって、今、新たな転換期に来ている。AJK州政府によると、3月末には、全テント村を閉鎖すると言う。政府は行き場のない人々に、代替地を用意していると言う話もあるが、多くは元暮らして
いた村、街へと戻る事となる。
その村でどんな”暮らし”が待っているのだろうか。
 大学のグランドにあるテント村で暮らす、ユーセフミールさん(35歳)は、奥さん、三人の娘さん、ひとり息子さんの6人家族だ。街から見ると山の斜面に地すべりを起こしたエリアが目に入る。チュタキアン村だ。ユーセフミールさんはその村から避難してきた。地震の際に足をケガして、今なおベットに横になっている。歩く事はおろか、立つ事も難しい。NGOから提供された車イスを使っている。今月末(あと二週間ほど)には、ここを出て行かなくてはならないが、彼らの住んでいたチュタキアン村は、危険エリアなので帰る事が出来ない。「今後どうしようか未だ決まっていない」と顔を曇らせる。
「政府はまったく何もしてくれないよ」とベットの上でつぶやいていた。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.9

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【写真】バンブー(竹)ハウス

3月12日 バラコット
 バラコットでは街の至る所で家が再建されている。
ほとんどの家屋が角材を骨組みに使ったものだが、
竹を使って建設している家を見つけた。
しっかりした竹を骨組みに使い、壁の上部や天井は編んだ竹を使っていた。
パキスタンにもこんなやり方があるのかと驚いて聞いてみたら、竹はビルマから輸入したものでバングラデッシュの大工の指導で建てられていた。竹は一本600RSし、一軒に48本使うそうだ。
その他、セメントやトタンなど含めると総額250,000RS(約50万円)かかるそうだ。現場スタッフが言うには、
この家は、パキスタン空軍が資金を出してパキスタンのコンサル会社が無償で建てているそうだ。それにしても高い。バラコット周辺には細い笹竹くらいしか見当たらないが、パキスタンの竹は、細くてあまり良くないと言っていた。ちなみに壁や天井に使っていた、すのこ(細い笹竹を使ったもの)はパキスタン製で
1m×4mで1000RSするらしい。いずれにしても安くはない。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.8


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【写真】(上)金曜日のテント小学校
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【写真】(上)ムニールさん(左から二人目)とガラット村の人々

3月 バラコット
 金曜日のテント小学校は一日歌を唄って過ごす。
春の陽気でテントの中は暑い。約40人の生徒の中には弟を子守している女の子もいる。一人、二人ずつ前にでて恥ずかしそうに思い思いの歌を唄う。知っている歌は皆で大声で唄う。春の陽気でテントの中は暑い。弟を子守している女の子もいる。彼ら彼女らの幼い心はこの震災をどのように受け止めているのだろうか。あの子たちの未来にとってより良い復興をただ希うばかりだ。
ムニールさんは今は地震で全てを失ってしまったが、実は震災前の自宅は部屋が32もある二階建ての豪邸?に住んでいた。今はガレキになった広い敷地が、それがあながち嘘ではない事を思わせる。これからこの敷地に三つの小屋を建てるという。角材は友達の業者から買うそうだ。山の斜面に見えるマツの森林は国有林で当然伐採する事は出来ないが、業者は夜中にこっそり伐って来るそうだ。当然違法である。ムニールさんも政府から25000RSをもらっているが、
「そんなもん今住んでるシェルターの費用と生活費であっという間に無くなったよ」と言って笑っていた。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.7

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【写真】(上)細い角材を使った家の骨組み
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【写真】(上)建設中のサブルンサンさんの家

3月 バラコット
 再びバラコット。お馴染みムニールさんの案内でガラット村をじっくり歩く。山の麓の斜面に広がる村は今、ガレキの中から立ち上がろうとしている。
細い角材を使った家の柱の骨組みをよく見かける。これまでてっきり仮住まいの小屋と思っていたが、どうやら本格的な家のようだ。
じっと観察していると自慢げに俺の家だと言わんばかりに男性が寄って来た。サブルンサンさん(46歳)。大工である弟さんと共に現在、二軒を建設中だ。角材の骨組みに窓枠などを取り付け、レンガとコンクリートで壁を張っている。屋根はトタンを張るという。ふたつの部屋にキッチン、トイレの間取りだ。聞くと角材一本150RSするという。資材だけで85000RSはかかったと。
その他全て含めると150000RS(約30万円)かかるらしい。かなり高額だ。
しっかり作られてはいるが、耐震性を考えると疑問も多い。これだけのお金と労力をかけて作るならそこに少しの耐震の智恵を入れる事でより強度を増すのではないか、そんな事を思った。サブルンサンさんもやはり政府からの25000RSしかもらっていないと。政府の耐震構造を採る場合の25000RSの話をバラコットではあまり聞かない。そんな事待っていられないというかのように人々は自力で再建しようとしている。
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