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No.8-ウクライナ編⑦

CODE未来基金のメンバーとして、MOTTAINAIやさい便をウクライナの方に届けている学生、山村太一さん(神戸学院大学4年生)から報告が来ましたのでご紹介します。

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5月16日と6月2日の二回、私はCODEの「MOTTAINAIやさい便」に参加させてもらいウクライナから日本に避難してきた方に野菜を届け、お話を聞く機会がありました。そのような貴重な機会に私も参加させていただき、ありがとうございました。今回は、その二回を通して、私が感じたこと考えたことを自分の中だけで終わらせないために文章にして共有していきたいと思います。

私は、CODEの「MOTTAINAIやさい便」に参加させてもらって、まず感じたのは、メディアで報道されていることは、ほんの一部で大枠であり、一人一人の声を聞いていくとやっとその詳細が分かっていくことがわかりました。

5月16日にお会いしたMさんの弟さんは、4月に日本に来ました。それまでは、ポーランドで仕事をしており、ロシアの侵攻を聞いてウクライナに戻って戦おうと思っていたそうですが、お姉さんがいる日本に避難してきました。特に弟さんが言ったなかで、印象に残っているのが「未来のことは分からない、今はまだ日本にいたい」です。その言葉に、私は弟さんの様々な思惑の全て詰まっているように感じました。私と弟さんの年は、あまり変わらないからこそ、その重たい表情から語られる言葉が非常に重く感じました。

その他に感じたのは、弟さんが話す言葉を直性的に聞き理解したいと思ったのですが、ウクライナはウクライナ語を話し英語も日本語も話せません。ここに大きな言葉の壁=心の壁も感じました。ウクライナを支援していく上で、言語の支援は必要不可欠であることを学びました。言葉の支援が十分に整うと、仕事もできるようになり次へと繋がっていくと考えました。

6月2日にお会いした方は、もう日本に10年以上住まれておられる女性で、その方のお姉さんと姪っ子とお父さんが避難してきました。その3人にも「困っていることは何ですか?」と尋ねると同じように日本語が分からないと言語の問題を言っていました。その他には、電車の乗り方が分からないや毎日毎日が暇なので仕事がしたいが挙がりました。これらの問題の根本的なところにあるのが、やはり言語の問題と考えます。

これらの問題解決のために、日本語学校に通うとか日本語を勉強する機会を提供するのも大事ですが、私たち自身が、もっともっと身近にウクライナの方が避難してきていることを知るべきだと思います。知るために、ウクライナの方との交流会を開いたりすれば双方にメリットがあると考えます。

ウクライナと日本の共通の話題が難しいようにも思えますが、ウクライナの方はネイルが好きだったり、意外と芋焼酎を飲んでいたりと思わぬ発見がたくさんありました。ウクライナのことについて、ロシアに侵攻されてポーランドやヨーロッパに逃げている、私たち日本人とは関係がないと思いがちです。実際に、私もこの「MOTTAINAIやさい便」に参加するまで、ウクライナとは、どこか自分とは関係のない遠いイメージがあった。毎日のメディアで報道されていることだけでは、身近に考えるのが難しい。だからこそ、今回の一番の収穫は、ウクライナ、戦争を身近な存在であると認識して、自分自身の意識を変えることができたことだと思っています。
(神戸学院大学現代社会学部社会防災学科 山村太一)

*MOTTAINAIやさい便では、ウクライナの食材であるディルやビーツを作っている方で安価で提供していただける方を探しています。またはそのような方をご存知の方がいましたら、CODEまでご一報ください。

No.7-ウクライナ編⑥「言葉と食」

先日、通訳ボランティアのKさんと共に神戸市内に避難してきたOさん(28歳)に「MOTTAINAIやさい便」をお届けしました。
これまでにOさんには何度か野菜を届けていましたが、日本語や英語を解さないOさんの事情がほとんど分かりませんでした。今回はKさんの見事な通訳のおかげで、Oさんがどのようにして日本に来たのか、日々どのように暮らしているのかがわかってきました。

Oさんは、ウクライナ北西部ドゥブノから義理の姉Nさん(35歳)とその娘D(12歳)ちゃんと共にポーランド経由で日本に避難してきました。「西部の故郷の街は、戦地にはなっていないけど、北のベラルーシから攻めてくるかもしれないから怖いわ」と言います。
日本に住む義姉を頼って4月に神戸に来ました。Oさんは、戦争前にも2度日本に来た事があるので、生活には慣れてきたそうですが、姪のDちゃんが「食べものが合わない」と語ります。ロシアやウクライナの食文化に詳しい通訳Kさんは、「ディル(ハーブ)やビーツがあるとボルシチも作れてきっと喜ぶと思うわ」と教えてくれました。食は人の体を作り養いますが、故郷の味は心も潤してくれます。

通訳としてご協力いただいたKさん、ありがとうございました!
(吉椿)

*MOTTAINAIやさい便では、ウクライナの食材であるディルやビーツを作っている方を探しています。または作っている方をご存知の方がいましたら、CODEまでご一報ください。

No.6-ウクライナ編⑤「することがない」

Oさん(40代女性)は、娘のPさん(15歳)、お父さん(74歳)とともにウクライナ西部テルノピリから4月に日本に避難してきました。

「毎日、低空飛行する戦闘機や爆撃音がものすごいストレスで…」とテルノピリは戦地にはなっていませんが、故郷の張り詰めた空気がOさんたちを避難へと駆り立てました。Oさんたちは、日本で結婚した妹Nさんが住む神戸へとやってきましたが、SNSで知った住宅会社が半年間無償で提供するマンションで暮らしています。ただ、高齢で持病のあるお父さんはNさん宅で一緒に住んでいます。

野菜を届けたこの日、Oさん母娘は妹Nさんのマンションまで40分かけて歩いて来ました。歩いて大変ですねと声をかけると「大丈夫よ。だってする事がないし」、「毎日起きて、ご飯作って食べて、また寝るだけで太っちゃうから」と笑います。

日本に来たのはいいけど、言葉も通じない、電車にも乗れない状況で、時間をもて余しています。「皿洗いや倉庫の棚おろしなど言葉を使わなくてもいい仕事があるといいのに」とこぼします。
(吉椿)

*ご寄付、自転車提供のお願い
「MOTTAINAIやさい便」では、ウクライナからの避難者の方々、アフガニスタンからの退避者の方々、在日ベトナム人留学生や技能実習生などに新鮮で美味しい野菜を提供しています。また、自転車(防犯登録証つき)のご提供も引き続きご協力のほどよろしくお願いいたします。

No.5-ウクライナ編④「住居の不安」

「先の事は誰にもわからないよ」と彼は言いました。

ウクライナから4月に神戸市内に避難してきたVさん(25歳)は、初めて会った時、ずっと下を見てうつむいていました。「戦争で故郷を奪われた人はこんな表情をするのか」と時折顔を上げた時の彼の顔が今も忘れられません。ウクライナに戻って戦おうとした事、言葉も通じない日本に来た事がVさんをこんな表情にさせたのかもしれません。

中でも彼を悩ませるのが、「住居」です。今、彼は民間の企業の提供したアパートで暮らしています。でも日本語のできる姉の家から離れているので、アパートには帰らずに姉の家で寝泊まりする事もあるといいます。

「今のアパートは3か月だけなので、7月には退去しなくてないけない」と不安を隠せません。県のサポートで次の住居を探していますが、姉の家の近いで公営住宅の空きがない事や公営住宅にシャワーがない事などが理由で次の住居が見つかっていません。期限が刻々と迫る中、Vさんは姉の職場の紹介で仕事を見つけ、必死に日本語を勉強しています。

先の見えない中でたくましく生きて行こうとするウクライナ人がいます。
(吉椿)

*ご寄付、自転車提供のお願い
「MOTTAINAIやさい便」では、ウクライナからの避難者の方々、アフガニスタンからの退避者の方々、在日ベトナム人留学生や技能実習生などに新鮮で美味しい野菜を提供しています。また、自転車(防犯登録証つき)のご提供も引き続きご協力のほどよろしくお願いいたします。

No.4-ウクライナ編③「避難者家族の困窮」

ウクライナから神戸市内に住む姉Mさん(27歳)を頼って避難してきたVさん(25歳)。日本に来る時に持っていたのは、あまり調子のよくない携帯電話と所持金3万円(日本円換算)のみだったそうです。ポーランドから日本までの旅費はすべて姉のMさんが働いている会社から借金したそうです。

ロシア軍の侵攻がなければ、Vさんは婚約者のSさん(23歳)と7月に結婚する予定でした。SさんはVさんのお母さんと一緒にポーランドに逃れ、Vさんと二人で日本に来ました。二人はまだ正式には夫婦ではないので、日本にいて何かと不便なのでしょう、近々東京のウクライナ大使館に行って結婚証明書を発行してもらうそうです。神戸から東京までの旅費、宿泊費はすべてMさんが負担しなくてはなりません。また、来月にはお母さんがポーランドから日本に来るそうです。

Mさんは、幼い子どもを抱え、シングルマザーとして神戸で働いています。日本での自分の暮らしもある中で、ウクライナから避難してきた家族3人を支えるMさんが今後困窮していかないかが懸念されます。

Mさんはもちろん、Vさん、Sさんは一時金や生活補助金などの公的な現金給付は全く受け取っていません。前日お会いした際に、「今から保育園の迎えなの。」と足早に去っていくMさんの後ろ姿からその苦労が見えた気がしました。
(吉椿)

*ご寄付のお願い
「MOTTAIAIやさい便」では、ウクライナからの避難者の方、アフガニスタンからの退避者の方々、在日ベトナム人留学生や技能実習生などに新鮮で美味しい野菜を提供しています。ウクライナの避難者や受け入れたウクライナ家族の中には、公的支援をほとんど受け取れず、困窮する方も出てきています。ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

No.3-アフガニスタン編①「アフガニスタンとウクライナ」

昨年8月のアフガニスタンでのタリバンによる全土制圧によって、国外に退避した人、退避することさえできない人もいます。CODEのカウンターパートの家族も退避することができずに今もアフガニスタンで身を潜めるように暮らしています。

昨年、神戸市内に避難してきたSさんにもこの「MOTTAINAIやさい便」を届けています。昨日、Sさんからのお招きいただき、アフガニスタン料理をふるまっていただきました。美味しい料理をいただきながら、アフガニスタンの文化や暮らしなどを聞いたり、楽しい時間を過ごすことができました。
でも、アフガニスタンに残してきた妻や4歳の子どもの話になると表情が曇ります。当初は日本に呼び寄せるはずでしたが、最近は、「難しいですね。日本に来ても言葉もわからないし、日本に馴染みもないし・・・」と語ります。英語が堪能で日本に関心の高い彼は、驚くほどのスピードで日本語が上達していますが、家族は同様にはいきません。

話がウクライナの話題になると、英語も日本語もできないウクライナの避難者の方と自分の家族の姿を重ね合わせたのか、頭を抱えるように「難しいね~」とつぶやいていました。そして「家族に会えなくて寂しいけど、アフガニスタンには帰りたくない」とも言っていました。アフガニスタンから日本に来て「安全」な暮らしを得られるのかもしれませんが、決して「安心」な暮らしが保証されている訳ではありません。

日本政府は、ウクライナからの避難民に対しては、いち早く受け入れを表明し、在留許可や就労、生活補助金など手厚い特例措置を行い、民間企業なども住居や生活用品の提供など様々な支援を実施しています。他方、アフガニスタンからの退避者にはそのような支援はほとんどありません。ウクライナへの特例措置が、アフガニスタンで今も苦しむ人たちへも適用されることを願ってやみません。

ウクライナだけでなく、アフガニスタンも忘れないでください。
(吉椿)

*ご寄付のお願い
「MOTTAIAIやさい便」では、ウクライナからの避難者の方、アフガニスタンからの退避者の方々、在日ベトナム人留学生や技能実習生などに新鮮で美味しい野菜を提供しています。ウクライナの避難者を受け入れた在日ウクライナ人の中には、公的支援をほとんど受け取れず、困窮する方も出てきています。ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

No.2-ウクライナ編②「野菜の力」

Vさん(25歳)、Sさん(23歳)の夫妻は、4月11日にウクライナ・リビウから姉のMさん(27歳)の住む神戸に避難してきました。

Mさんは、僕らの持ってきた丹波の新鮮な野菜を見た瞬間、「神戸には農村のようなところがなく、牛がいない。私も農村のようなところに行きたい!」と言いました。聞くと、Mさんのおじさん(2019年に他界)は農家で野菜を育て、牛を飼い、チーズを作っていたそうで、そのお手伝いをしていたことを懐かしそうに語ってくれました。

国土の7割が農地であるウクライナは、「ヨーロッパの穀倉」、「欧州のパンかご」と呼ばれています。Mさんは野菜を見て、そんなウクライナ田園風景を思い出したのでしょう。

今回のMOTTAINAIやさい便の中にはフェンネル(和名:ウイキョウ)という野菜がありました。日本ではあまり馴染みがないので、食べ方を説明しようとしたら、Mさんは「私たちの国でもよく食べます!」と嬉しそうに言いました。

野菜には食物繊維やビタミンなどの栄養があるのはもちろんですが、このように野菜には、故郷の風景を思い出させる力がある事を実感しました。「今度、一緒に丹波に行こうね!」と言って別れました。

一日も早くウクライナの豊かな田園風景がよみがえる事を願います。
(吉椿)

*急募!!!
・通訳ボランティア
ウクライナ語または、ロシア語の通訳ボランティアさんを探しています!対面または、オンラインでの言語のサポートや日本語の学習指導、話し相手などが考えられます。

・自転車
ウクライナから避難されてきた方、ベトナム人の生活困窮者に提供します!自転車は登録証付きのものでお願いします。神戸市内または近郊であればこちらから取りに行きます。遠方からのものはこちらから取りに行けませんのでご容赦ください。

No.1-ウクライナ編①

CODEは、昨年6月より「MOTTAINAIやさい便」と称して、形が悪いなどの規格外の野菜をコロナ禍で困窮している神戸市内の子ども食堂やベトナム人留学生や技能実習生の集まる寺院、留学生の暮らすシェアハウス、アフガニスタンから退避された方などへ約50回提供してきました。丹波、丹波篠山、たつのなどの農家さんに、商品にならなけど新鮮でおいしい野菜を安価で提供していただき、CODEの賛助会員のYさんが運び、CODE未来基金の学生さんたちと届けてきました。

今般のウクライナ侵攻で日本に避難してきた方にも「MOTTAINAIやさい」を届けました。2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻によって、戦火を逃れてきた19世帯33名(5/9時点)が神戸市内で暮らしています。
先日、「MOTTAINAIやさい」をお届けしたMさん(27歳)は、ウクライナのリビウ出身で3年に来日し、神戸市内で働いています。ウクライナ侵攻後、4月11日弟夫妻(25歳、23歳)は姉のMさんを頼って来日し、神戸市内で暮らしています。母と弟さんの妻は、隣国ポーランドに避難し、侵攻前にポーランドに出て働いていた弟さんは徴兵を免れ、日本に来ることができました。でも、弟さんは戦うためにウクライナに戻ろうとしたそうですが、Mさんの必死の説得で思いとどまり、日本に来たそうです。

弟さんに神戸での暮らしで困っていることを聴くと、「言葉だ!」と即答します。日本語はもちろん、英語もほとんどできない弟さん夫妻は、「スーパーでシャンプーを買うことさえできない」と言います。これから少しずつ日本語を勉強するそうですが、時間もかかります。また、弟さん夫妻の暮らすアパートからMさんに住む家まで徒歩40分かかかるそうで、自転車があると行動範囲が広がります。
そこで以下を急募します!!!ご協力、ご支援のほどよろしくお願いいたします。(吉椿)

*急募!!!
・通訳ボランティア
ウクライナ語または、ロシア語の通訳ボランティアさんを探しています!対面または、オンラインでの言語のサポートや日本語の学習指導、話し相手などが考えられます。

・自転車
ウクライナから避難されてきた方、ベトナム人の生活困窮者に提供します!自転車は登録証付きのものでお願いします。神戸市内または近郊であればこちらから取りに行きます。遠方からのものはこちらから取りに行けませんのでご容赦ください。