月別アーカイブ: 2022年12月

「土に触れ、ウクライナを想う。」農業体験レポート②

元CODE理事の村上忠孝さんのご協力で、11月から西区の畑でウクライナ人のLさんとCODE学生スタッフが毎週農業体験をさせて頂いています。
きっかけは、Lさんの「ウクライナでは畑が身近にあったのに、神戸は都会でそのような場所が近くにないのが寂しい。」というひと言でした。
活動の様子と参加したスタッフの感想をご紹介します。この日はLさん、CODEスタッフの山村が参加しました。(植田)

**********************
これまで「農業と国際協力」や「丹波での農業フィールドワーク」、「食育プロジェクト」を通して、農業と国際協力の関係性や人と人との繋がりの基本に農業があることは体験し知り感じていました。それを、今回Lさんと一緒に農業をすることによって、自分自身も体験し改めて確認することができました。また、農業の奥深さも改めて感じました。行った農作業としては、ビーツの種を植えるという至ってシンプルなことだが、植え方一つ、土一つに意味があり、なぜこの土を使うのか、なざ、わざと間引くのか、なぜ水は池から引いてきたものを使うのか、常に「なぜ」がつきまとう時間でした。この「なぜ」を考えることが非常に大切で、「なぜ」から見えてくる食料自給率の課題、環境問題、農薬の安全性、慣行の農業などがあり、種一つ植えるのに様々な要素が関わり合っているのだと感じました。
(山村太一)

**********************
MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。
自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにかかわってもらっています。
ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。ぜひご協力お願いいたします。
ご寄付はこちらから。
https://code-jp.org/donation/

 

「土に触れ、ウクライナを想う。」農業体験レポート①

元CODE理事の村上忠孝さんのご協力で、先月から西区の畑でウクライナ人のLさんとCODE学生スタッフが毎週農業体験をさせて頂いています。
きっかけは、Lさんの「ウクライナでは畑が身近にあったのに、神戸は都会でそのような場所が近くにないのが寂しい。」というひと言でした。
今日から、活動の様子をご紹介していきます。

**********************
この日はLさん、吉椿、植田が参加し、黒豆とサツマイモの収穫作業を二時間ほど行いました。黒豆を枝からもぎ取る作業を、村上さんから農業にまつわる様々なお話を伺いながら行いました。サツマイモ掘りでは、人の顔ほどの大きさのサツマイモが沢山収穫でき、Lさんも驚かれていました。Lさんは体を動かし、村上さんのお話を聞いているうちに、「さらに日本の農業に興味を持った」とおっしゃっていました。やはり大規模で農薬も多く使われるウクライナの農業と、日本の農業の間には大きな違いがあるようです。また、MOTTAINAI野菜便の野菜を食べたことで野菜のおいしさを実感しているようで、有機農法等の野菜の作り方についてもっと勉強したいとも話されていました。この日に収穫した作物は、MOTTAINAI野菜便として各ご家庭に送られました。
(植田)

**********************
MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。
自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにかかわってもらっています。
ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。ぜひご協力お願いいたします。
ご寄付はこちらから。
https://code-jp.org/donation/

No.37-ウクライナ編 25

学生インターンの島村優希です。

前回に引き続き、MOTTAINAIやさい便をお届けしているSさんご一家へのインタビュー内容をお伝えします。

********************************

「ウクライナがほしいのは平和だけ。でも負けることではない。勝利による平和。」

Sさんには、三人の娘と一人の息子がいて、長女はボーイフレンドと共にウクライナに残っています。故郷に残っている娘さんはマスクを提供するボランティアをされています。私が娘さんとどのように連絡を取っているか伺うと、

「もちろん毎日電話している。彼女は大丈夫って言うんだけど….日本でもアラートは見れて、彼女がシェルターに入っているか確認できるから、チェックしている。ウクライナは今団結している。お互いを助け合うから、私たちの軍隊は強くて勇敢だ。後ろで支えるボランティアの存在が本当に重要。」と仰っていて、故郷に残る娘を強く心配をすると共に、彼女が国のために活動をしていることへの誇りが感じられました。また、お話を伺った際で既にクレメンチュークの気温は1度以下であるのに、娘さんが電力不足で冷蔵庫さえ使えない状況にある、と心配した表情で伝えて下さいました。

Sさん一家が日本に来られてからは、言語の違いや手続きなどで困惑したことが多々あったみたいですが、兵庫県の多くの支援団体や人々から支援を受けることができたそうです。Sさんは日本に対して、「私達が言いたいことは、『本当に日本に感謝している』ということ。多くのサポートや何でも受け入れてくれて、感謝している。また、数日前にウクライナのために戦って亡くなった日本人の兵士にも感謝している。彼は命という一番大きなものを差し出した。私はこれに本当に感謝している、他の多くの外国兵を含めて。」と仰っていました。

また、MOTTAINAI野菜便に関連して料理の話をしている際に、Sさんは故郷の家を思い出し、「私たちはここも愛せる家にしようとしている、ここにも家が必要だから。私は毎日を生きたい。」と伝えられました。

最後に、戦争に対してのSさんとVさん(Sさん母)の思いです。

Sさん「ウクライナがほしいのは平和だけ。でも負けることではない。勝利による平和。」

Vさん「子供たちは平和な場所で生活しなければいけない。ウクライナに勝利を。」

ウクライナ東部の奪還が進んだ地域もある一方で、お話にあったように、ウクライナの気温が益々下がる中、電力不足の未だ厳しい状況は刻々と続いています。ご家族や友人の多くがウクライナに残る避難民の方は、日本での新たな生活をやりくりしながら、遠く離れた故郷に残った大切な人々の心配をして、日本からできる支援をされています。では私達一人一人ができることは何なのでしょうか。この記事を読んで、もう一度しっかりと考えてみて頂けると幸いです。

********************************
 
MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。
自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにかかわってもらっています。
ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。ぜひご協力お願いいたします。
Sさんと娘さん

No.36-ウクライナ編 24

学生インターンの島村優希です。

先日、MOTTAINAIやさい便をお届けしているSさんご一家にインタビューを行いました。振る舞って下さったボルシチとヴィネグレットをいただきながら、Sさん、旦那さん、娘さん、Sさんのお母さんが日本に来るまでの道のりや故郷の様子などを話して下さいました。今回は2回に分けて、そのインタビュー内容をお送りします。

***********************************

「私たちは何も間違ったことをしていないのに、朝起きたら始まっていた。」

Sさんご一家の故郷はクレメンチュークで、ルーマニアに車で4日間かけて避難された後、日本には6月頃に来られました。

Sさんと旦那さんのMさんはその際のことを思い出しながら、

「多くの道路がチェックポイントで閉じられていたんだ。最初の夜は、私たちは床で寝た。とても寒くて雪が降っていた。次の晩は教会に泊まれたからましだった、彼らは避難する人を受け入れる準備が整っていた。もし食べ物がほしければ、もらうこともできた。その後は、2つのガソリンスタンドに行ったけど、私たちは5時間も待たないといけなくて、ガソリンは10Lに制限されていた。国境では16時間も待って、車の中で寝た。気温は-5度だった。私達は普通の車を使っていたから、いつ車が壊れるか分からなかった、検閲所を避けるために田舎の粗い道を通っていたからね。もしかしたら車が止まったときにミサイルに打たれたかもしれなかった。もっと恐ろしかったのは誰がウクライナ人でだれがロシア人か分からなかったということ。私たちの車には『子供が中にいる』というサインを張っていた。けど、ロシア人は気にしない。私たちが故郷を去る二日前、何人かの子供達がロシアに撃たれた。避難している間、何人かのボランティアがスープを提供していた。あと、息子には喘息があって、治療の機械で呼吸をするのに電気が必要だったが、手に入れることができなかった。」と、実際の写真と共に語って下さいました。

また、お話を聞いている最中も更新されつづけているウクライナの避難指示アラームを見ながら、Sさんは家の地下の避難場所を思い出し、

「家の下にはサウナがあって、戦争が起きてから、地下のシェルターに変えた。いつも私たちはアラームがなると一日の内に何回も地下に避難した。私たちの長女が今それを使っている。2月24日に使い始めたことを覚えている。私たちは何も間違ったことをしていないのに、起きたら始まっていた。正直に言うと、ロシアとウクライナは兄弟みたいなものだし、一つの大きなコミュニティだと思っていたから信じていなかった。」と語られました。

自分と同じように、何気ない日常を過ごしていた方々が、ある朝突然の戦争の始まりによって、それまでの日常には戻れなくなってしまったということが実際にお話を聞く中でまじまじと感じられたと共に、この悲惨な状況に対して自分の出来ることは何だろうと改めて考えさせられました。インタビューの始めに、私が「伝えたくないことは言わなくても大丈夫ですよ」と言った際、「知ろうとしてくれてありがとう」「もっと知ってもらいたいから話したい」とSさんとMさん(旦那さん)は何度も仰っていました。今ウクライナから避難されている方々はそれぞれに全く異なる背景とストーリーがあります。また、他地域からの難民の方でも同様です。私達が出来ることの一つは、その話一つ一つに耳を傾け、このような経験をされた避難者が身近にいるということ、それは世界のどこか遠い場所で起きている出来事ではないのだということをまずは知り、その上で自分に出来る支援の形を見つけることではないかと思います。

次回は、Sさんの故郷の現状について、伝えます。

************************
 
MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。
自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにかかわってもらっています。
ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。ぜひご協力お願いいたします。
頂いたヴィネグレットサラダ(ビーツやじゃがいもを使ったサラダ)