ジャワ中部地震から6か月 (No 14)

CODE川での忘れることのできないこと!
 このレポートNo.8で紹介した”CODE川(チョデ川)”のバンブーハウス群は、今も日々変化を遂げている。わずか数時間の訪問だったが、私たち日本人にとっては忘れられないできごとに出会った。迷路のような川沿いの集落を歩いていると、真っ黒に日焼けした老人が、畳2枚くらいの広さのバンブーハウスでマッサージをしていた。そのお爺さんは私たちを見ると日本人とわかったのか、「こんにちは!」と大きな声で声をかけられた。「えっ!」と一瞬立ち止まり、家の中を覗き込むようにその老人と話しはじめた。彼は日本軍との戦争で「衛生兵」として日本軍で働いていたそうだ。しばらくすると彼はゆっくりと「君が代」を歌い出した。特に災害援助で、アジアの国に来て最も考えさせられるのは日本軍がもたらした「戦争」だ。何も語ることは要らない!なんら解説も要らない!この老人が朗々と歌う「君が代」がすべてを語っている。日本とインドネシアは、切っても切れない関係があるのだ。
 一方、皮肉なことに、日本とインドネシアはアジアでも有数の地震国でもある。もっと昔の1万年もまえに遡ると、同じ先祖であるという説もあるのだが、それはさておき、阪神・淡路大震災という大地震を経験したKOBEの市民として、お互い減災社会を目指して、国境を越えての民際交流を永続的なものにして行きたい。「災害」には、戦争もあることを肝に銘じながら。(完)